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♯288

他校の織田も交えた文化祭でのセッションの話に興味を示す凛々子と、冷や汗をかく千鶴。未乃梨からセッションへの参加を誘われた千鶴は……?

 千鶴(ちづる)の背筋を流れる冷や汗を、聞き慣れた穏やかなアルトの声が一気に止めた。

「あらあら、楽しそうね?」

 音楽室の戸口から、廊下で待っていた凛々子(りりこ)が、いつの間にか興味深そうに音楽室の中を覗き込んでいた。

 待たされていることを咎める響きが凛々子の声になかったことに千鶴は安堵して、その千鶴に上目遣いを使っていた未乃梨(みのり)は眉を吊り上げる。

「凛々子さん、何立ち聞きしてるんですか!?」

「だって、皆さん千鶴さんと何だか面白そうな話を賑やかにしてるんですもの? 廊下にいても耳に入ってしまうわ」

「大体、凛々子さん部外者じゃないですか? 吹部の文化祭の話に首を突っ込まなくても」

「あら、そちらのギターの方は他所の学校の方ではないの? なら、同じ紫ヶ丘(ゆかりがおか)の私が話を横で聞く分には問題ないのではなくて?」

「くっ……!」

 どこまでも穏やかに、未乃梨の言葉をかわす凛々子に、未乃梨は歯噛みをした。その様子を見た織田(おりた)が、アコースティックギターを椅子に置くと、未乃梨のブラウスの半袖を引いてなだめる。

「まあまあ、未乃梨ちゃん落ち着いて。千鶴ちゃんにあまり無理なことも言えないし」

「……確かに、瑠衣(るい)さんの言う通りですけど」

 吊り上がった眉が戻った未乃梨をよそに、凛々子は織田に一礼した。

「そちらの千鶴さんの練習を見させてもらっている、紫ヶ丘の二年の仙道(せんどう)凛々子ですわ。ヴァイオリンを少々弾いております」

桃花(とうか)高校の吹部の二年の織田瑠衣です。吹部といってもポップス中心で、ジャズ研とか軽音部と混ざってますが」

「まあ。それでギターをお弾きになるのね。で、紫ヶ丘(うち)の文化祭にもいらっしゃるのかしら?」

 凛々子に問われて、織田は高森(たかもり)を親指で指した。

「そういう感じです。そっちのサックスの高森の企画で、文化祭に紫ヶ丘(ここ)の吹部が廊下とか外でジャズとかのセッションを、飛び入りありの少人数でやらないか、って」

「それで千鶴さんにもコントラバス、そちらの呼び方だと単にベースと言うのだったかしら? 演奏をしてほしい、と」

 ふんふんと顔小さく縦に振ると、凛々子は腰が引けている千鶴を見た。

「良いんじゃないかしら? 千鶴さん、一曲ぐらいやってみたらいかが?」

「あの……私、ジャズとかポップスみたいな、瑠衣さんとか高森先輩がやってるようなことって全然素人で……」

 長身を縮こまらせる千鶴に、アルトサックスをストラップで首から提げたままの高森が、まるで気にした風もなく千鶴に振り返る。

「ああ、そんなに面倒な曲はやらないよ? それに江崎(えざき)さんなら何とかなりそうだと思うけど」

 高森の事も無げに話す内容に、千鶴はますます縮こまって凛々子に助けを求めた。

「……凛々子さん、どうしましょう?」

「やってみたら? ジャズならほとんどピッツィカートでしょうし。それに、何事も経験よ」

「千鶴、一曲ぐらいならいいでしょ?」

 凛々子に続いて未乃梨にも迫られて、千鶴は渋々と返答をした。

「……わかりました。一曲だけですよ?」

 自信なさげな千鶴に高森は苦笑しつつ、織田顔を見合わせた。

「んじゃ、とりあえずだけどベースは一人確保、と」

(れい)、なんならベースの楽譜は私が作ろうか? 流石に初心者にコードネームだけ見せて弾かせるのもキツいだろうし」

「それじゃ、そっちは任せたよ。あとは、セッションの場所だな」

 話を進める織田と高森に、千鶴は困惑したまま肩をがっくりと落とした。

「ジャズ、かあ……」


 昇降口を出て駅に向かう、浮かない顔の千鶴と先ほどから楽しそうな凛々子の後を、未乃梨は追いかけるようについて歩いた。

 自分の隣についてくる未乃梨に、凛々子は「あらあら」と目を向ける。

「未乃梨さん、他にも何か千鶴さんにご用かしら?」

「大有りです。今度の発表会の合奏練習、ピアノ合わせも出来るんですよね?」

 未乃梨の言葉に、千鶴は弾かれたように姿勢を正す。

「あれ? 未乃梨も来るの!?」

「当たり前でしょ。私の知らないところで千鶴が凛々子さんと会うの、ちょっとだけ嫌なの」

 未乃梨は千鶴の顔を見上げてはっきりと言い切った。その未乃梨に、凛々子は大して驚いた様子もない。

「分かったわ。それじゃセシリアホールの練習、未乃梨さんもピアノ伴奏合わせで参加ね」

 練習場所の名前に、千鶴は少し目を見開いた。

「そういえば、セシリアホールってコンクールの地区大会の会場だったんですよね。そこで未乃梨と弾くのかぁ」

「……千鶴、来年のコンクールは一緒に出るんだからね?」

「うん。そっちも頑張るよ」

 胸の前で両方の拳を握る未乃梨に、千鶴がうなずいた。その千鶴に、今度は凛々子がすっと近寄る。

「私とも、また演奏してくれるわよね?」

 不意に、秋の初めのまだ熱が抜けきらない夕風が、凛々子の緩くウェーブの掛かった長い黒髪をなびかせた。その髪の微かに甘い香りに、千鶴は何故か恥ずかしそうに身体を硬直させる。

 反対側から、未乃梨が千鶴の腕にすがりついた。今度は、未乃梨のリボンでハーフアップにまとめたセミロングの髪の甘酸っぱい香りが、千鶴の嗅覚に忍び込んでくる。

「もう。凛々子さんも未乃梨も、ちょっと強引なんだから」

 千鶴は、自分より頭ひとつほど背の低い二人の少女に挟まれたまま、落ち着かなさと心地良さが何重にも重なった複雑な気持ちで、駅へと歩いていった。


(続く)

 

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