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♯285

朝の音楽室で「オンブラ・マイ・フ」を未乃梨と合わせる千鶴。

一学期や夏休みに千鶴が積み重ねてきたものを目の当たりにした未乃梨は……。

 朝の早い時間の音楽室は、千鶴(ちづる)未乃梨(みのり)以外に吹奏楽部員の姿はなかった。

 早速音楽室の倉庫からコントラバスを運び出して準備を始める千鶴に、未乃梨は登校中に感じた奇妙な感じや小さな不安を抱えたまま、ピアノの前に座る。

 チューナーでコントラバスの調弦を終えた千鶴が、軽く音出しを始めた。

 ウォーミングアップらしい音階が響いて、金管楽器やサックスに比べれば決して音量が大きいとはいえない弓で弾くコントラバスの低い音が、音楽室の床や未乃梨の座っているピアノの椅子すら微かに振動させてしまうかのようにしっかりと伝わってくる。

 千鶴は一オクターブと半分ほどの音階を軽く往復すると、コントラバスの弓を下ろして未乃梨を振り返った。

「それじゃ未乃梨、お願いね」

 そう言ってコントラバスを構える千鶴の姿に、未乃梨は一学期には感じられなかった柔らかさというか、余裕のようなものを感じずにはいられなかった。

(千鶴、こんな感じだったっけ?)

 どちらかといえば好ましい印象の、それでも一学期とは何かが違う千鶴に引っかかるものを感じながら、未乃梨は「オンブラ・マイ・フ」の前奏を弾き始めた。


(誰? ピアノなんか弾いてるのは)

 早めに登校した蘇我(そが)は、久し振りに音楽室にテューバの朝練をしに行こうとして、漏れ伝わってくる音に怪訝な顔をした。

 音楽室から、ピアノで何かの伴奏を弾く音に重なって、テューバと似たような音域の低い音が校舎の床や壁を這うように聴こえてきて、蘇我の顔をしかめさせた。

(誰よ、吹部以外で音楽室を使ってるのがいるの?)

 蘇我は眼鏡をかけ直すと、音楽室の扉を開けた。

「ちょっと、――むぎゅ」

 音楽室のピアノの周りにいるだろう誰かに何をやっているのか問いただそうとした蘇我の口が横から塞がれた。

「無粋なことはしなさんな」

 同時に、後ろから何者かが蘇我の制服のブラウスの襟を引っ張って廊下に引き出す。

「そうそう。朝練は早い者勝ちだよ」

 蘇我は横と後ろを振り向いた。サックスの高森(たかもり)が蘇我の口を手で塞いで、ユーフォニアムの植村(うえむら)が蘇我の襟首を引っ張っている。音楽室では、トランペットやトロンボーンの上級生が楽器のベルにミュートを差し込んで、ピアノの近くにいる誰かの練習邪魔しないように背を向けて練習をしていた。

「でも先輩、誰が朝からピアノなんか……え?」

 蘇我は高森と植村に抗議しようとして、音楽室の中を覗き込んだ。フルートの未乃梨がピアノに向かって、千鶴がコントラバス弾くソロの練習に付き合っているのを見ると、蘇我は面食らったように固まる。

 植村が、蘇我の襟首を引っ張ったまま諭した。

「吹部の部員がピアノを弾いちゃいけないって道理は無いはずだけどねぇ?」

「で、でも、なんで弦バスとピアノの合わせなんか」

 それでも食い下がろうとする蘇我の肩に、高森が腕を回す。

「あの二人、学校外で本番があるんだってさ。そういうのも勉強だよ」

 植村と高森に取り押さえられて目を白黒させる蘇我は、千鶴が未乃梨にピアノで伴奏されながらコントラバスを弾いていることに顔をしかめた。音楽室でわざわざトランペットやトロンボーンにミュートを着けて練習をしていたはずの上級生たちが楽器を下ろして、千鶴と未乃梨の演奏しているゆったりとした曲に聴き入っているのも、蘇我をやや不愉快にさせた。

「でも、弦バスでソロなんて。テューバと同じ低音じゃないですか」

「そういうことを言うんなら、文化祭の屋外演奏チームに入るかい? ディキシーランドジャズをやるらしいけど、テューバだってソロあるぞ」

「ひ、ひぃぃ」

 自分の肩に腕を回している高森に少し凄みの入った声を出されて、蘇我は縮み上がりながら改めて音楽室を見回した。千鶴の弾く曲が最後まで通って、練習の手を止めていた上級生が楽器を持ったままピアノの周りに近寄ってくる。

 その様子が腑に落ちないまま、やっと高森から解放された蘇我はテューバを音楽室の倉庫に急ぎ足で取りに行った。


「弦バスでソロやるの? 初心者なのに凄いじゃん?」

「『オンブラ・マイ・フ』かー。音程もいいし音も綺麗だったよ」

 トランペットとトロンボーンの上級生に口々に褒められて、千鶴はコントラバスを身体に立てかけたまま頭を掻いた。

「いえ、まだまだっていうか、本番までもっと詰めたいし」

 トロンボーンを持った二年生の少女が、「じゃ、こういうの、弦バスでやってみたら?」と楽器からミュートを外して構える。

 ベルが開放されたトロンボーンから、コントラバスより一オクターブ高くい音域で「オンブラ・マイ・フ」の冒頭の旋律がゆったりと流れ出した。

 そのトロンボーンの音が美しく揺らいで、旋律に艶を付けていく。

 未乃梨が、思わずピアノの前から立ち上がった。

「でも、千鶴にまだヴィブラートは無理なんじゃ?」

 トランペットの方の少女が、千鶴の顔を見上げる。

「別に良いんじゃない? せっかく音も音程も綺麗なんだし、ゆっくりした曲なんだしさ。江崎(えざき)さん、ヴァイオリンやってる人に教わってるんなら聞いてみたら?」

「ちょっと、考えてみます」

 上級生に挟まれてアドバイスを受けながら、千鶴はそっと未乃梨の方を見た。

(……うわ。どうしよう)

 自分から目を背けてピアノの前で立ち尽くす未乃梨に、千鶴は気まずさが上がっていくの感じていた。


(続く)


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