♯284
織田とのメッセージのやり取りで、二学期の楽しみが増えそうな未乃梨。
その未乃梨が朝の練習に誘った千鶴は、やっぱり誰かの影響を感じさせて……。
帰宅して、夕飯と風呂を済ませた未乃梨が自室に引っ込むと、スマホにメッセージの着信が二通届いていた。
未乃梨は差出人を見て、その片方には複雑な顔をした。
(こっちは凛々子さんからの発表会の詳細……)
そのメッセージの後半に、未乃梨は目を止めた。
――発表会の本番は三週間後だけど、それまでにセシリアホールの練習室で出演者有志でやる弦楽合奏の練習があります。私と千鶴さんはそっちに参加するけれど、もし希望があれば千鶴さんと未乃梨さんの伴奏合わせをする時間も取れそうだから、良かったら考えておいて下さいね
(……千鶴、一人で行かせたくないな)
未乃梨は少し悩んでから、メッセージの返信を打った。
――明日、千鶴と相談してからお返事します。ピアノ伴奏合わせは学校でもできるけど、本番のピアノが触れるならやってみたいので
――分かったわ。それでは、また学校で
凛々子の落ち着いたアルトの声が聴こえるようなメッセージの文面に、未乃梨は溜め息をつくとスマホをベッドの枕元に投げ出しそうになって、思い留まった。
(そういえば、メッセージがもう一通……)
もう一通の差出人は、織田だった。未乃梨の表情がすっと和らぐ。
――未乃梨ちゃん、今日はお疲れ様。フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン、良かったよ!
――ありがとうございます。ジャズっていうの? そっち系は私は全然分かんなくて
――今日、未乃梨ちゃんと初めて合わせて思ったけど、ボサノヴァに未乃梨ちゃんのフルート、ハマってたよ! 文化祭、これで千鶴ちゃんのベースも入れたらもっと楽しいかもね
織田からのメッセージに、未乃梨はあっと声を上げそうになった。
(あのセッション、千鶴も一緒に……!? あり、かも……)
学校のどこかで織田や高森と一緒に、千鶴のコントラバスも交えて演奏するのは未乃梨には悪くないことに思われた。
――明日、千鶴に話してみます!
――おっけー。玲にも話してあるから、決まったらまたメッセージちょうだいね
未乃梨は、少し軽くなった気持ちでベッドに横になると、千鶴にメッセージを送った。
――明日、駅で待ってるから遅れないでね。いつもより一本早いやつで行くから
――了解。明日、宜しくね。寝坊するといけないから、今日はもう寝るね
千鶴からの簡潔な返事に、未乃梨はかえって嬉しさがじわりと身体に染み込むように感じて、上機嫌でベッドに入っていった。
翌朝、千鶴は遅れずに駅に現れた。改札の近くで待っていた未乃梨が、駆け寄ってくる。
「千鶴、おはよ。結構早かったね?」
「おはよう。発表会の曲、ちゃんとピアノと合わせたかったし、当日の伴奏も未乃梨にして貰うんだしね。よろしく」
千鶴は誠実に未乃梨に挨拶を返す。その千鶴の表情に、未乃梨は微かに気持ちのざわつきを覚えた。
「……ねえ、千鶴、今日は髪を結んでないんだ?」
その日、千鶴はしっかりと梳いたストレートの黒髪を、リボンやゴムなどで結ばずノーセットのままだった。肩にそろそろ届きつつあるその黒髪が、九月の朝の爽やかな微風に揺れている。
未乃梨に聞かれて、千鶴は髪に手をやった。
「ああ、これね。朝起きてから櫛を通したらいい感じにまとまっちゃったし、今日は寝癖もないから結んだりしなくてもいいかな、って。じゃ、行こっか」
千鶴は特にこだわった様子もなく、伸びてきたストレートの黒髪を翻して改札に向かう。その後ろ姿に、未乃梨はどこかで見たような奇妙な感じを覚える。
(千鶴、髪が伸びたらこんなに真っ黒のストレートになるんだ。中学の頃は短いボブだったから分からなかったけど……でも)
改札を通ってホームで電車に乗り込むときに、千鶴の伸びてきた髪が朝日を浴びて微かにきらめいた。その様子が、未乃梨には高校に入ってからの千鶴の変化を見せつけられているようにも思えて、どこか落ち着かない気持ちにさせられてしまう。
学校の最寄り駅で電車を降りると、千鶴と未乃梨を後ろから走って追い越していく見慣れた女子生徒の姿があった。その、スクールバッグと運動部のスポーツバッグを担いでポニーテールの髪を振り乱しながら走っていた少女は、千鶴を追い越すと急に立ち止まる。
「あれ? 千鶴っちにみのりんじゃん? 朝早いね?」
それは千鶴や未乃梨と同じクラスでバレー部の結城志之だった。朝練に行く途中だったのか、同じようなバッグを持った女子が「志之、遅れんなよー」と声を掛けて追い越していく。
千鶴がわざわざ立ち止まった志之に、心配そうに尋ねる。
「大丈夫? バレー部の朝練、遅れたら怒られたりしない?」
「大丈夫。一年だけの自主練だし。にしても千鶴っち、夏休みで髪伸びたよね? 今日綺麗に決まってんじゃん?」
「そう? 伸ばすの初めてだし、ケアとか自信ないけど」
「みのりんも嬉しいんじゃない? 千鶴っちがこんな美人さんだと」
志之の言葉に、未乃梨が一瞬顔を曇らせたように、千鶴には見えた。その未乃梨が、明るい声で志之を見上げる。
「これから千鶴はどんどん可愛くなるんだから! でも、千鶴は結城さんにはあげないからね?」
「そういや自称千鶴っちの彼女だもんね? おっと、もう行かなきゃ。じゃ!」
「私たちも、音楽室に行こっか。時間はいつもよりたっぷりあるけど」
駆け出す志之を見送ると、千鶴も未乃梨を促して先に早足で歩き始めた。
「待ってよ、もう――」
千鶴の後を追おうとして、未乃梨はほんの一瞬、立ち止まってしまった。
未乃梨の前の千鶴の後ろ姿は、伸びてきたストレートの黒髪を翻しながら、音楽室へと急いでいる。その後ろ姿が、未乃梨には千鶴の未来の姿を想像させた。
(千鶴がこのまま髪を伸ばしたら……まさか、私より長いロングにしちゃうつもり?)
背中まで黒髪を伸ばした千鶴が見えた気がして、未乃梨は慌てて三歩ほど前を行く千鶴を追いかけた。その後ろ姿が、別の緩くウェーブの掛かった長い黒髪の持ち主と重なる。
(千鶴、……まさか、凛々子さんみたいになりたいのかな……そんな)
小さな、しかしはっきりとした不安を抱えたまま、未乃梨は駆け足で千鶴の後を追った。
(続く)




