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♯283

凛々子の千鶴に対する余裕を見せるような態度が腑に落ちない未乃梨と、その未乃梨に困惑が止まらない千鶴。

未乃梨は再び、「友達同士のなら」、と、千鶴に……。

 その日の帰り道、千鶴(ちづる)未乃梨(みのり)は結局、紫ヶ丘(ゆかりがおか)高校から最寄り駅までの道を凛々子(りりこ)と一緒に歩いた。

 未乃梨は珍しく、千鶴とは手を繋がなかった。その未乃梨に、凛々子はつとめて穏やかに言葉を掛ける。

「今日、高森(たかもり)さんと、あと他所の学校でギターを持ってらっしゃった方がいたわね。文化祭で何かやるの?」

「ちょっと、ジャズとかのセッションみたいなことをやるかも、みたいな感じです」

 素っ気ない未乃梨に、凛々子は軽く口角を上げた。

「あら、素敵ね。発表会の後も楽しそうな本番があるのね?」

 未乃梨の話に興味を引かれた凛々子に、千鶴も「へえ?」と目を見開く。

「未乃梨、高森先輩とか瑠衣(るい)さんと演奏するんだ? 凄いじゃない?」

「……私が参加するかは、まだ、分かんない。ジャズとか、あまり詳しくないし」

 未乃梨がそう言い切った辺りで、三人は高校の最寄り駅に着いていた。凛々子がスクールバッグとヴァイオリンケースを背負い直すと、改めて未乃梨の顔を見た。

「お二人とも、それではまた明日。未乃梨さん、もうすぐ発表会だけれど、楽しみましょうね?」

「……はい」

 柔らかな表情を見せながらその場を辞す凛々子に、未乃梨は短く返事をすると、千鶴の手をやや強引に引いて駅に急ぎ気味に入っていく。

「未乃梨? どうしたの?」

 戸惑う千鶴に、未乃梨は改札を通ってホームに上がってからやっと足を止めた。

「どうしたも何もないわよ。……分かってるくせに」

「……あ……、未乃梨、ごめん」

 千鶴は言葉を途切れさせながら、頭を下げた。その小さな声の返事に、未乃梨はどこか納得出来ずに語気が強まってしまう。

「謝らないで。そういうことじゃないでしょ」

 未乃梨は千鶴から目を背けたまま、それでも千鶴の手を離さなかった。むしろ、未乃梨は千鶴の腕にすがりつくように取りついてくる。

 自分の腕に取りつく未乃梨を、千鶴はどうすることもできなかった。夕方に差し掛かって増えた他の乗客に好奇の目で見られているような気がしても、千鶴は未乃梨をたしなめることも、腕にすがりついてくる未乃梨の手を振り払うこともできそうにない。

 腕に感じる未乃梨の体温と柔らかな身体の感触に、千鶴は後ろめたさすら感じながら、ホームに入ってきた電車に乗り込んだ。

 家の最寄り駅に着いてからも、未乃梨は千鶴の腕に取りついたままだった。夕方とはいえまだ明るい時間に、千鶴はそのまま改札を出て未乃梨の家に向かう。

 未乃梨は、千鶴の腕取りついて歩きながら尋ねてきた。

「千鶴、……凛々子さんにキスのこと、言ったのよね?」

「……うん」

「凛々子さん、何か言ってた?」

「……頬にするキスは家族とか友達同士でもするものだから、気にしないって言ってた」

「……そう。なんだか、ムカつくなぁ」

「そこまで言うんだ?」

「だって、凛々子さん、余裕見せてる感じなんだもん」

 未乃梨は前を向いたまま、顔をむくれさせる。その顔は、やっと心の中で整理がついたらしいことを千鶴に感じさせる。

 内心でほっと安心しかけた千鶴の顔を、未乃梨がやっと見上げた。

「千鶴、明日の朝、発表会の曲を合わせるわよ。『オンブラ・マイ・フ』、ちゃんと練習してきてあるわよね?」

「うん。大丈夫だけど」

「じゃ、明日の朝、駅で集合ね。遅れたら、許さないから」

 いつも帰る時に別れる大きな交差点まで来ると、未乃梨は足を止めた。街路樹の影に千鶴を引っ張ると、未乃梨は千鶴の両肩に手を置いて、千鶴の顔を見上げる。

「凛々子さん、友達同士のキスなんて言ってたんだ?」

「そう、だけど、……未乃梨?」

「じゃ、もう一回ぐらいしても、構わないでしょ?」

 千鶴が返事をする前に、未乃梨は背伸びをした。未乃梨の唇が、右頬に触れる。

「あの、未乃梨?」

「別にいいでしょ。……友達同士のなら、ノーカンなんだから」

 幸い、交差点には人通りも車の交通も少ないようだった。千鶴は何とか落ち着いて未乃梨が自分から離れるのを待った。

 未乃梨の唇は千鶴が思ったより少し長く頬に触れていた。潤んだ感触が離れて、未乃梨が眉を吊り上げて千鶴を見上げてくる。

「音楽とか楽器のことはともかく、私、千鶴のことだけは凛々子さんに負けないから」

「……そこまで、突っ張らなくても」

「そうでもしないと、不安なの。……千鶴、鈍感なんだから」

 そう言って千鶴から離れると、未乃梨は振り向かずに交差点の信号が変わるのを待った。青になった瞬間、未乃梨は口を開く。

「それじゃ明日の朝、駅で待ってるから」

 夕陽の中を早足で横断歩道を渡っていく未乃梨の背中を、千鶴は立ち尽くしたまま見送った。


 バスで帰宅途中の凛々子のスマホが音もなく震えて、メッセージの着信を知らせた。凛々子は、スカートのポケットからスマホを取り出すと、メッセージの文面を無言で流し見た。

(……秋の演奏会、『マイスタージンガー』以外の曲も決まったのね。……こっちもチャイコフスキー、好都合だわ)

 凛々子はスマホの画面を落としてスカートのポケットに仕舞うと、バスの窓の夕陽に照らされた街の景色を眺める。

(……もしかしたら、学校以外でも千鶴さんと一緒にいられる機会が増えるかしら。そうなれば……)

 凛々子は、肩に提げたヴァイオリンケースに手をやると、小さく口角を上げた。


(続く)

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