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♯276

夏祭りのあとの夜以来、自分に対する距離感が近い未乃梨に、千鶴はどうにも落ち着かず……?

 未乃梨(みのり)が腕をほどいて、千鶴(ちづる)の身体から離れた。

「千鶴、ここまで送ってくれて、ありがとう。それじゃ、また新学期に、ね」

 そう言って、未乃梨は交差点を渡ると、道路の向こう側の暗がりの中に姿を消した。

 千鶴は、未乃梨が自分に何をしたかどころか、何が起こったのかすら認識出来ず、ただ交差点の向こうへと去っていく浴衣姿の未乃梨を無言で見送ることしか、できなかった。


 帰宅しても、着付けてもらった浴衣を脱いで入浴を済ませても、千鶴の混乱は治まらなかった。自室に引っ込んで灯りを消して、ベッドに入ってやっと、千鶴は未乃梨から自分の右頬に受けた潤んだ柔らかな感触の意味を、ゆっくりと理解した。

(未乃梨が言ってた「カノジョになりたい」っていうのは、私とそういうことをしたい、って未乃梨が思ってるっていうことで……)

 その事実が飲み込めず、千鶴はその夜、なかなか寝付くことができなかった。


 新学期を迎えた朝、千鶴はどうにも落ち着かない気持ちで学校に向かった。

 いつもの駅で千鶴は未乃梨と待ち合わせていた。未乃梨はスクールバッグとフルートのケースを肩から提げて、千鶴より少し早く駅前に着いて千鶴を待っていた。

「……未乃梨、おはよう」

「おはよう。行こっか」

 千鶴はぎこちなく挨拶を返すと、いつもの電車に一緒に乗り込む。未乃梨がいつものように千鶴の手を握ってきて、千鶴はその手を握り返すのをためらった。

「千鶴、……だめ?」

 上目遣いに自分を見上げてくる未乃梨に、千鶴はぎこちなく答えざるを得なかった。

「そうじゃ、ないけど……」

「なら、いいわよね」

 距離を詰めてくる未乃梨の手を、千鶴はそっと優しく包むように握り返した。

 電車を降りてからも、紫ヶ丘(ゆかりがおか)高校の校門をくぐるまで、千鶴は未乃梨に手を握られたままだった。その千鶴を、よく知るアルトの声が呼び止めた。

「千鶴さん、未乃梨さん、おはよう」

「凛々子さん……おはようございます」

「今日も、仲良しさんね?」

 スクールバッグにいつものワインレッドのヴァイオリンケースを肩から提げた凛々子が、千鶴と未乃梨の様子を微笑ましく見ていた。

「……おはようございます」

「おはよう。未乃梨さんも千鶴さんの発表会の伴奏、宜しくお願いね」

 未乃梨のソプラノの声が、凛々子に挨拶する時だけやや低くなったように感じて、千鶴は首をすくめそうになる。一方で、凛々子は未乃梨のそんな様子を全く気にかけてもいない。

「それじゃ、また始業式のあとで」

 凛々子は、緩くウェーブの掛かった長い黒髪を翻すと、表情がやや沈んだ未乃梨と怯んだように顔を曇らせた千鶴を残して、先に昇降口へ入っていった。


 教室に入った千鶴と未乃梨を、バレー部の結城志之(ゆうきしの)が出迎えた。

「お二人さん、おひさー!」

「あ、結城さん、おはよう」

 すっかり日焼けした志之は、元気な様子で千鶴と未乃梨を等分に見た。

「ねえねえ、こないだの星月夜(ほしづくよ)祭り、来てたでしょ?」

「もちろんよ。千鶴と一緒に浴衣で行ったけど?」

 未乃梨が一歩前に進み出て、志之に得意そうに応える。

「あ、やっぱり? 女バレの一年でも行ってきたんだけど、あの浴衣の三人組の一人、千鶴っちじゃないかって噂してたんだよね。ほら、これ」

 志之が差し出したスマホには、私服のシャツやキャミにショートパンツや短いスカートといった夏らしい服装で映る女子バレー部の部員が写っていて、その後ろに櫓の周りで踊る浴衣姿の三人組が写りこんでいた。

 顔こそ鮮明に写ってはいないものの、浴衣のピンクの撫子や青の矢絣や紫の菖蒲といった柄は千鶴たち三人で間違いない。

「あ……これ、私と未乃梨と凛々子さんだわ」

「やっぱり!? 千鶴っち、浴衣めちゃくちゃ似合うじゃん? 何か大人っぽいし別人かもとか思ってたけど!」

「私も一緒にいたんだけどなぁ?」

 片目をつむる未乃梨に、志之は「そうそう」と続ける。

「お祭り、千鶴っちって両手に花だったんだね? みのりんも気合入っていたし仙道(せんどう)先輩も色っぽかったしさあ」

「……いや、あの、他にも一緒行った人とかいるし、そういう訳じゃ」

 千鶴は、しどろもどろになりながら志之に弁解をした。心なしか、隣に立っている未乃梨の視線が痛い気がしてくる。

 その未乃梨が、腰に両手を当てて志之の顔を見上げた。

「ないとは思うけど、千鶴のこと狙ったりしないでよね?」

「……はいはい。みのりん、千鶴っちのことになると怖いんだから」

「千鶴も、大丈夫だと思うけど、これから発表会で大事な時期なんだから、放課後はちゃんと練習ね?」

 千鶴に頭を掻かせる未乃梨に、志之は「うわぁ」と小さく声を上げる。

「……みのりん、千鶴っちのことますます束縛しそうだなあ」

「……何か言った?」

「いや、なんでも」

 未乃梨に鋭い視線を向けられて、志之はすごすごと自分の席に戻って行った。


(続く)

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