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♯275

そして、星月夜祭りの帰り道。凛々子と未乃梨の千鶴への想いはどこへ……。

 電車が紫ヶ丘(ゆかりがおか)高校の最寄りに近付いて減速を始める頃、凛々子(りりこ)が改めて千鶴(ちづる)未乃梨(みのり)に告げた。

「今夜は楽しかったわ。発表会、頑張りましょうね」

「宜しくお願いします。帰り、気を付けて」

「千鶴のことは任せて下さいね。それじゃ」

 十代の少女にしては大人びた微笑みを残して、ホームに止まった電車を降りていく紫色の菖蒲の浴衣を着た凛々子の後ろ姿を、千鶴と未乃梨は手を振って見送った。

 電車が動き出してすぐ、未乃梨は千鶴の顔を見上げた。

「ねえ、千鶴。さっき、凛々子さんが来年がどうとか言ってたじゃない?」

「ああ、浴衣に合わせて巾着も、とかね」

「窓の外を見てたけど、何考えてたの?」

 千鶴は、ばつの悪そうに、というか何かをごまかすかのように困り笑いをした。

「ちょっと、三年生になったときのことを、ね。……高校の次は、私、何してるのかな、みたいな」

 未乃梨は呆れたように両手を腰に当てた。

「もう。一年生だってやっと半分終わるかもって時期なのに?」

「そうなんだけど、さ。意外と、三年生になるのってそんな先のことじゃないかも、って思っちゃって」

「凛々子さんが来年受験だからって、私たちはまだ先でしょ?」

「うん。二年以上あるんだけど、ね」

 頷く千鶴の、青い細めのリボンで結った高めのショートテイルの黒髪が揺れる。漠然とした微かな不安は、未乃梨にも覚えはあった。

「……ま、私だって将来のことを考えなくもないけど」

「例えば、どんな?」

「秘密。大したことじゃないけど」

 未乃梨に即答されて、千鶴はそれ以上の詮索をやめた。

「……ごめん。変なこと聞いちゃって」

「別にいいわよ。気にしないで」

 今度は、未乃梨が窓の外に目を向けた。夜の街の灯に遮られてまばらに黒い空に見える星が、少しばかり心細いような気持ちにさせてくる。

(お母さんは、千鶴が男の子だったら「お婿さんに来てほしい」なんて言ってたけど、私は……)


 凛々子は、紫ヶ丘高校の最寄り駅でバスに乗り換えて、家の最寄りの停留所で降りると、夜風に吹かれながら家路を歩いた。

(夏もこれでおしまい。発表会があって、そのあとは)

 今までに真琴(まこと)波多野(はたの)に話した千鶴のことを、凛々子は思い浮かべる。

(……もし、実現すれば、だけれど)

 凛々子の中で、千鶴に対する大きな希望がどうしても抑えられない。それは、千鶴がオーケストラの中でコントラバスを弾く姿だった。

(私があなたのコントラバスと、たった一年と何か月かの間だけ演奏してみたいと思うのはわがままかしら?)

 家までの少しの間、凛々子は星の宮ユースオーケストラの中にいる千鶴を空想しながら歩いた。

 練習や演奏会に弾きに来てくれた本条(ほんじょう)や今夜に星月夜(ほしづくよ)祭りに一緒に行った波多野といった、凛々子のよく知るコントラバス奏者たちと千鶴が同じ場所で弾いている姿を想像するのは、凛々子には決して難しくなかった。

(星の宮ユースか、どこか別のオケでもいいけれど。舞台上手の奥か、配置によってはファーストヴァイオリンから近い下手の奥……そこにもし千鶴さんが座って、コントラバスを弾いてくれたら?)

 そこまで空想して、凛々子は苦笑した。

(私も、未乃梨さんのことを悪く言えないわね。これではまるで、独占欲だわ)

 それでも凛々子は、いつかの帰り道のように、自分の手を預かる千鶴のあの男性並みに大きな手を思い浮かべずにはいられない。

(今頃、千鶴さんは未乃梨さんを家までエスコートしてる頃かしら。……やっぱり、妬けてしまうわね)

 そう独語しつつ、凛々子の内心はどこか愉快だった。


 いつもの登下校で使うそれぞれの家の最寄り駅を降りると、未乃梨は青い矢絣の浴衣の袖ごと、千鶴の左腕にすがるように取り付いて歩いた。

 いつものことでもあり、高校に入ってから頻度が上がったことでもある未乃梨の様子に、千鶴は苦笑した。

「未乃梨、今日、甘えたい日だったの?」

「……かもね」

 短く、否定せずに答える未乃梨の表情は、どこか不安なものをはらんでいるようにも、千鶴には見える。

「お祭り、楽しかったね。お盆はとっくに過ぎちゃったけど、広場の櫓で踊ってこれたし」

「うん。私も、浴衣着てきて良かったわ。……千鶴も浴衣だったのは、驚いたけど」

 そろそろ、人や車の往来が少なくなりだす時間だった。途中の、大きな街路樹のある交差点で、未乃梨は不意に足を止める。

「ねえ、千鶴」

「どうしたの?」

 未乃梨は、何か意を決したような、真剣な眼差しを千鶴に向けていた。

「私、やっぱり千鶴が好き。私、千鶴のカノジョになりたい」

「……でも、私、まだ、返事は――」

「分かってる。今からすることは、凛々子さんにも伝えておいて。これは、いつか必ず千鶴が私と凛々子さんに返事をする、約束のためよ」

 未乃梨は取り付いていた千鶴の腕を放すと、千鶴の正面から抱き着いて、背伸びをした。

「未乃、梨……?」

 千鶴は、未乃梨の身体を慌てて抱き留めた。その時、未乃梨の唇が千鶴の右頬に触れる。甘酸っぱい未乃梨の髪が香って、千鶴の鼻腔をくすぐる。潤んだ柔らかな感触が、千鶴の顔を薄紅に染めた。

 未乃梨のささやく声が、千鶴の耳元で告げる。

「イエスの返事は、いつか、唇に返して。お願い」

 その声は、千鶴にとってあまりに甘く、苦い響きを持っていた。


(続く)

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