♯272
夏祭りで、あまり面識のない波多野とも早々に馴染む千鶴と、この頃明らかになっていく千鶴の女の子らしさを飲み込めない未乃梨。
祭りの踊りの輪に入っていく千鶴と未乃梨と凛々子のそれぞれ胸のうちは……。
ラムネを片手に語らっていた未乃梨が智花の元に、千鶴と凛々子と波多野がたこ焼きやポテトの入った包みを手に戻ってきた。
千鶴は、凛々子を意外そうな目で見ていた。
「凛々子さん、粉もの好きなんですね? たこ焼き、揚げの方も頼んでたし。こういうところで買い食いとかしないイメージあったのに」
「私、そこまで箱入りではないわよ? うちの父が中学の時に単身赴任に行く前は、夏にお祭りとか連れてってもらうのが楽しみだったし」
「人は見かけによらないっていうか。凛々子、意外とジャンクな食べ物好きだよね」
波多野が、自分より少し背が高い凛々子を面白そうに見上げる。
「お祭りですもの。さ、頂きましょうか」
いそいそと凛々子が先導して、三日月大通りの片側三車線の間に挟まれた長大な広場に出されているベンチに、千鶴たち五人は座を占める。
広場では櫓が組まれて、それを中心に踊る人の輪が三重に囲んでいる。櫓から聴こえる太鼓や囃子の音が、広場を賑やかな喧騒に巻き込んでいた。
早速、波多野がたこ焼きの食べ比べを始めた。
「普通のも良いけど、凛々子さんチョイスの揚げたこ焼きもなかなか」
「屋台のおじ様、千鶴さんを見て『美人なお姉さんにはオマケしとくよ』なんて言ってたのよね」
凛々子の言葉に、未乃梨はたこ焼きを口に運ぶ手を止めた。今日の千鶴の浴衣姿は、高校に入ったばかりの頃には考えられないような女の子らしさというか、女性らしさを纏っている。
千鶴の細い青のリボンで高めに結ったストレートの黒髪から見える白いうなじも、白地に矢絣の浴衣も、凛々しさの奥から大人の女性のような何かを未乃梨に感じさせた。
中学時代からずっと、千鶴の男の子のような部分を見てきた未乃梨には、自分が知らない千鶴を他の面々に見られているようで、それが未乃梨に微かな淋しさすら覚えさせている。
その千鶴が未乃梨に、切り分けたトルネードポテトに爪楊枝を刺して差し出した。
「未乃梨、辛いの大丈夫だっけ? トルネードポテト、チリのやつ美味しいよ」
「そうなの? ……じゃ、頂きます」
千鶴の手にした楊枝から、未乃梨はためらいそうになりつつ赤いスパイスの掛かったポテトを直接食べた。辛さよりは香ばしさの方が勝っているポテトに、未乃梨は口元を押さえる。
「これ、美味しいかも」
表情が明るくなった未乃梨に、凛々子がくすくすと微笑む。
「まあ。未乃梨さん、千鶴さんの妹みたい」
「……姉妹じゃないですから! 凛々子さん、変なこと言わないで下さい」
未乃梨は反射的に凛々子にむくれた顔を向けた。その未乃梨と凛々子を、智花が「まあまあ」と間に入ってなだめる。
「未乃梨ちゃんに凛々子ちゃん、お祭りなんだし、いがみ合わないで、ね?」
「ま、何にせよ千鶴の隣は誰にも譲りませんけど」
未乃梨は今度はノーマルのたこ焼きを口に運びつつ、澄ました顔をした。
波多野がバジルの掛かったポテトに手を伸ばしながら、千鶴に尋ねる。
「そういえば江崎さん、発表会の練習はどう?」
「ソロの曲も合奏の曲もなんとか進んでます。合奏は合わせないとどうなるかわかんないですけど」
謙虚に答える千鶴の横で、未乃梨が胸を張った。
「千鶴のソロの伴奏は私が責任を持ってやるから、安心しててね」
「それは楽しみだね。江崎さん、前にオケの見学で『第九』弾いてたけど、あれ凄かったもんね」
波多野の言葉を、千鶴は偉ぶることもなく受け止めた。
「あの時、本条先生のコントラバスを弾かせてもらった時はドキドキしましたけど、結構好評だったみたいで。前にも『あさがお園』っていうところの本番で弾きましたけど、その時もなんとか上手くいったっていうか」
「凛々子さんとかと一緒に弾きに行った養護施設だっけ? 子供たちにも受けたんだよね」
「そうよ。千鶴さん、でっかいおねーさん、って施設の子供たちに大人気だったわ」
波多野に、今度は凛々子がまるで自分のことのように得意気に話す。
「それじゃ、ますます江崎さんと一緒にバスパートで弾いてみたくなってくるねえ。本条先生もこないだそう言ってたよ」
「……いやー、それほどでも」
千鶴は、リボンで結った黒髪の根元を掻いた。
揚げたこ焼きに手を伸ばそうとしていた未乃梨が、不意にベンチから立ち上がった。
「ねえ千鶴、折角浴衣で来たんだし、踊りに行かない?」
「え? 今から?」
「そういうことなら、私も行こうかしら」
戸惑う千鶴をよそに、凛々子もベンチを立つ。
「凛々子さん、負けませんよ!」
「未乃梨、お祭りの踊りで勝ち負けって――」
「千鶴さん、一緒に行くわよね?」
未乃梨と凛々子に手を引かれて、千鶴は櫓を囲む踊りの輪に入っていく。
「おやおや、行ってらっしゃい」
三人を見送る智花に、波多野がそれとなく尋ねた。
「智花さん、もしかして、江崎さんたちって」
「うーん、色々と複雑みたいよ。凛々子ちゃんと未乃梨ちゃんが両方とも千鶴ちゃんのことを好きみたいでさ」
「その『好き』って、智花さんと瑞香さんみたいな?」
「みたい。凛々子ちゃんはうちのオケに千鶴ちゃんを誘いたいみたいだけど、もしかしたら一悶着あるかもね」
櫓をスマホで撮る智花に、波多野は「ふーん」と踊りの輪の中にいる浴衣姿の三人を見た。ピンクの撫子の浴衣で振りもどこか可愛らしい未乃梨と、所作も紫の菖蒲の浴衣もどこか上品な凛々子に前後を挟まれた、男性と比べても背がすらりと高い群青色の矢絣の浴衣着た千鶴が、大きくなりがちな動きも相まってどうしても目を引く。
「……三角関係、か。江崎さん、どっちを選ぶんだろうねえ」
遠目に踊りの輪を見ながら、波多野は余った揚げたこ焼きを口に運んだ。
(続く)




