♯271
星月夜祭りで、妙に気分の晴れない未乃梨。
智花と語らううちに、未乃梨の物思いはどこまでも深まって……。
波多野と智花が千鶴たちと駅前で合流する頃には、三日月大通りは大学や企業のチームが、賑やかな囃子に合わせて歩行者天国になっている大通りを踊りながら練り歩きはじめる時刻になっていた。
波多野は人混みの中でも目立つ背丈の千鶴を目ざとく見つけて駆け寄ってきた。
「凛々子さんに江崎さん、お待たせ。三人とも浴衣なんだ? いいなあ」
「夏も終わるし、折角のお祭りですもの。ちょっとは気合い入れたいわよ」
片目をつむる凛々子に、智花が肩をすくめる。
「そんなこと言って、千鶴ちゃんにアピールしたいだけじゃないの?」
「あら、いけないかしら? 千鶴さんのコントラバスを弾く姿、あなたが一番身近で見てるはずだけど」
「参ったねえ、うちのコンミス殿には」
凛々子にかわされて、智花は参ったように編み込みを入れた長めのウルフカットの髪を掻き上げた。
波多野は三つ編みの髪に水色のノースリーブのシャツワンピですっきりとまとめていて、智花は前を開けたグレーの半袖のシャツに黒いキャミソールと黒いサブリナパンツとシンプルな服装だった。
「でも、智花さんの今日のコーデ、格好いいですよ。私じゃ地味っぽいだけになっちゃうかも」
未乃梨の言葉に、智花は「そう言ってくれると嬉しいね」と笑う。
「来年は瑞香と一緒に浴衣で回るかなあ」
「瑞香さん、今年受験ですもんね。……私たちもあと二年後、かあ。高校に入ったばっかりなのに」
残念そうな千鶴に、智花は「まあまあ」とその肩をぽんぽんと叩く。
「あと二年以上あるんだし、楽しめばいいよ。卒業したらもっと楽しいことが待ってるかもしれないし?」
未乃梨が、とっぷりと暮れて夜の街の色とりどりの灯りに照らされた空を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「……高校を卒業したら、私、どんなことをしてるのかな」
「ん、未乃梨ちゃん、お悩み中?」
「ちょっと、その……まあ」
智花に問われて、未乃梨は曖昧に頷いた。
三日月大通りは、片側だけで三本ずつある車線の間に、その車線の六倍はあるかという広い幅と大通りが続く区間全てに渡る長さの長大な広場が挟まっている。
その広場のそこかしこで櫓が建てられて祭りの太鼓が聴こえたり、所狭しと屋台が並んで香ばしい匂いが食欲をそそったりと、夏を締めくくる祭りらしい賑やかさが辺りを覆っていた。
千鶴と凛々子は、波多野に誘われて粉ものの屋台に足を向けた。
「あ、私たこ焼き食べたい!」
「いいわね。千鶴さんもシェアしない?」
波多野と凛々子に引っ張られて、千鶴は居並ぶ屋台を見回す。
「じゃあ私、トルネードポテト買ってきます! 未乃梨、智花さんと待っててね」
三人がそれぞれに屋台に並ぶのを、未乃梨はぼんやりと見送る。広場に溢れるばかりの賑やかさと、祭りを行く人の喧騒の中で、未乃梨は矢絣の浴衣を着た千鶴の後ろ姿ばかりを見ていた。
(ほんの半年ちょっと前まで、千鶴って男の子みたいだったのに……浴衣着たらあんなに女の子らしくなるなんて)
その未乃梨の頬に、後ろから冷たい感触をそっと押し当てる者があった。
「ひゃっ!?」
「未乃梨ちゃん、なーに黄昏れてんの」
未乃梨の頬に触れたのは、買ってきたばかりのラムネの瓶だった。その瓶を二本手にした智花が、未乃梨にそっと尋ねる。
「……もしかして、今日の千鶴ちゃん、すっごく気になっちゃってる?」
未乃梨はラムネの瓶を「あ、頂きます」と智花から受け取った。
「気になってるのは、中学の頃からです。一緒の高校に入れたのも嬉しかったし、同じ部活に誘ってもっと一緒にいたいって思ったし」
「未乃梨ちゃん、本当に千鶴ちゃんのこと、好きなんだね?」
「……はい。だから、時々辛くなっちゃうかも、っていうか。まさか、高校で千鶴の側にいる人が出てくるなんて」
未乃梨は受け取ったラムネを開けてひと口だけ流し込んだ。意外に甘くないちりちりと泡立つ酸味が、心地よい冷たさで未乃梨の喉を刺していく。
智花は、千鶴が凛々子や波多野と買ったものを見せ合うのを目を細めて眺める。
「千鶴ちゃんのコントラバスの先生が凛々子だと、やっぱり不安?」
「始めたばっかりなのに千鶴の弦バスがこんなに上達したの、凛々子さんのおかげだってことは分かってますけど……でも、何ていうか」
手の中の飲みかけのラムネに、未乃梨は目を落とした。
「……今度の発表会、私、千鶴のピアノ伴奏で一緒に出るんですけど……また千鶴が私から離れて行きそうで、不安なんです」
「そう。……ねえ、未乃梨ちゃん。千鶴ちゃんのコントラバス、好き?」
智花に問われて、未乃梨は不思議そうに顔を上げた。
「それは……好きですけど」
「じゃあ、部活の外の場所で、色んなことを千鶴ちゃんが持って帰ってきて、次に部活で未乃梨ちゃんと一緒にもっと良い演奏をしてくれたら、素敵じゃないかな?」
「吹部の先生にも、同じことを言われました。でも――」
「それなんだよ。凛々子に何かを教わってる千鶴ちゃんと、吹部で素敵なコントラバスを弾いてくれる千鶴ちゃんの両方を知ってるのって未乃梨ちゃんだけなんじゃない?」
「……それは……」
「凛々子だって、吹部の千鶴ちゃんは知らないし、中学の頃の千鶴ちゃんはもっと知らないわけだしさ。それって、結構大きいアドバンテージだよ?」
「そう、でしょうか」
未乃梨は、顔を上げて瓶に残ったラムネを飲み干した。まだ冷たいラムネが、ひと口めより少し甘く感じる。
智花も、ラムネをひと口あおった。
「あとは未乃梨ちゃんが千鶴ちゃんとどうなりたいか、だよね。私と瑞香みたいに女の子同士で付き合っていくか、友達のままがいいか、みたいな」
未乃梨はもう一度押し黙った。屋台で、波多野と何やら楽しそうに話す千鶴が、やはり未乃梨には遠く感じてしまう。
(私が千鶴とどうなりたいか、か……)
屋台から届いてくる香ばしい匂いが鼻腔をくすぐってきても、未乃梨の思考は止まったままだった。
(続く)




