♯270
可愛らしい浴衣に身を包んだ未乃梨と、格好良くもあり、女の子らしくもある浴衣姿の千鶴と、大人びた容貌に更に磨きがかかる浴衣姿の凛々子。
三人は、夏の終わりの夜にそれぞれの想いを抱えて……?
星月夜祭りの当日、未乃梨は少しだけ気が重かった。この日のために母親に教わって着付けたピンクの撫子の柄の浴衣も、気を晴らしてくれそうにない。
(たまには私が千鶴を迎えに行きたかったのに。ま、結局凛々子さんは後で合流だけど……はぁ)
未乃梨のため息の原因は明らかだった。前日に凛々子と未乃梨の間で、スマホのメッセージでこんなやりとりがあった。
――未乃梨さん、お疲れ様。明日の夕方だけれど
――私は千鶴と一緒行きますけど、どこかで待ち合わせます?
――お祭りの会場はディアナホールの近くの三日月大通りだから、そっちの最寄り駅でいかがかしら。何なら、私も千鶴さんの家まで迎えに行っても良いのだけれど
未乃梨は凛々子からの返信を見て、寝転んでいた自室のベッドから飛び起きた。
――そこまでしなくて大丈夫ですから! 千鶴は私が責任を持って連れてきます
――あら、それじゃお願いね。うちのオケから波多野さんと智花さんも来るから、宜しくね
(凛々子さんのオーケストラの人たちが一緒なら、まだ大丈夫かな。智花さんは前に一緒に「あさがお園」で演奏してるし)
見覚えのある名前を見て、未乃梨はやっと安心したように大きく息をついたのだった。
未乃梨が迎えに来る頃には、千鶴の身支度はすっかり済んでいた。チャイムを鳴らすと、浴衣を着た千鶴がぱたぱたと足音を立てて玄関に現れる。
「未乃梨、迎えありがと。父さん、母さん、行ってくるね」
「夜道だし、気をつけてな」
「はーい。楽しんでらっしゃいね」
未乃梨の家とは様子の違う、男の子を遊びに送り出すような千鶴の両親に何故かほっとしつつ、未乃梨は玄関に現れた千鶴に見惚れた。
千鶴が着ている白地に群青色の矢絣の浴衣は、並の男の子よりはずっと高いその背丈や起伏の少ない千鶴の身体付きによく合っている。そろそろ肩に届きそうなストレートの黒髪は、サイドを垂らして残りを後ろで高めのショートテイルに青い細めのリボンで結っていて、それが千鶴を凛々しく見せていた。足元は誰かのお古らしい男物の雪駄だったが、それも同性から目を引きやすい千鶴によく似合っている。
「じゃ、行こうか。今日の未乃梨、可愛い浴衣だね?」
「従姉妹からの貰い物だけどね。千鶴のは?」
千鶴は、満更でもない様子で、まだ着慣れない浴衣の襟に手をやっている。
「これ、父方のおばあちゃんが着てたんだって。私ほどじゃないけど若い頃は背が高かったらしくてさ」
その白地に群青の矢絣の浴衣は、確かに古風な仕立てではあるようだ。それでも今千鶴が着られるあたり、大事に保管されてきちんと手入れをされているのが未乃梨にも見て取れた。
「千鶴が背が高いのって、おばあちゃんからの遺伝だったの?」
「みたいね。ま、昔の女の人で一七一センチは結構高いかも」
すたすたと雪駄を履いた足を運びながら、千鶴は未乃梨の隣を進む。駅に着くと、今夜の祭りに繰り出すらしい乗客で人混みが出来つつあった。
「未乃梨、足元気をつけて」
ホームに上がる階段で、千鶴は未乃梨の足元を見ると手を差し伸べた。
「ん。……ありがと」
未乃梨は少し恥ずかしそうに、千鶴の男子より大きな手に自分の手を預ける。階段を踏むたびに、未乃梨のおろしたての桐下駄がかたかたと鳴った。
「ありがと。今日の下駄、可愛いんだけどまだ慣れてなくて」
「しょうがないよ。でも、それ似合ってる」
千鶴の言葉に、未乃梨は頬が熱くなった。
(うちのおばあちゃんにも、いつか千鶴のこと、紹介しようかな。……お父さん以上にびっくりするかもだけど)
未乃梨の手を引く浴衣姿の千鶴は、ホームでも電車の中でも人目を引いた。浴衣の柄の矢絣が、未乃梨より顔ひとつは優に背が高い千鶴をいつも以上に格好良く見せている一方で、その浴衣がれっきとした女物で千鶴のしなやかな身体の線を浮き彫りにしているのも、未乃梨にはたまらなく好ましい。
(今日の千鶴、何か、いいな)
未乃梨は、ディアナホールや三日月大通りの最寄りに当たる駅まで、弾む気持ちで電車に乗っていた。
集合場所の駅では、凛々子がやはり浴衣姿で待っていた。
「お二人とも、今晩は。今来たところよ」
菖蒲の柄で紫と紺が主体の浴衣に、長い黒髪を結い上げてややかかとが高い女物の下駄を履いた凛々子は、千鶴や未乃梨のひとつ歳上とは思えないほど大人びている。
いつも通りにリボンで髪をハーフアップにしてきたことをやや後悔しつつ、未乃梨は千鶴と凛々子の間につかつかと割って入った。
「凛々子さん、今晩は。それじゃ、行きましょうか」
「ちょっと待って。未乃梨、波多野さんと智花さんも来るんでしょ?」
千鶴の言葉に、未乃梨ははっと足を止める。
「凛々子さん、オケの人たちって」
「ああ、もうすぐ着くみたいよ。今、隣の駅ですって」
袖から出したスマホを見る凛々子に、千鶴が尋ねる。
「波多野さんって、凛々子さんのオケのコントラバスの人ですよね?」
「ええ。本条先生にも習ってるから、色々お話が聞けるかもね」
凛々子と自分には関わりの薄そうなことを話す千鶴に、未乃梨はもう一度ため息をついた。そのため息は、今夜だけ歩行者天国になっている三日月大通りの賑やかな雑踏に紛れて消えていく。
(ま、今夜は楽しまなきゃ)
未乃梨は気を取り直すと、千鶴と凛々子の後ろですっと熱を帯びた宵の空気を吸い込んだ。
(続く)




