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♯262

付属高校の「シルフィード・マーチ」を聴きながら、「どんな演奏をしてみたいか」ということに考えを巡らせる千鶴。彼女が結局考えをたどり着かせたのは……?

 付属高校の演奏は、地区大会にときと同じように、制服らしいボタンのない黒の詰襟を着たスポーツ刈りの男子生徒が指揮台に上がって始まった。

 その男子生徒や、楽器を構えた夏服の半袖の白いシャツと黒のパンツやスカートに身を包んだ演奏者を含めた、付属高校の部員たち全員が舞台の上では全く怖じた様子もない。

 黒い詰襟の男子生徒が、指揮棒を掲げた。

 課題曲の「シルフィード・マーチ」が始まって、僅か五人のクラリネットと三人のサックスが、ざわつくような、空気が泡立つようなフレーズで入ってくる。それが日向の心地良い風のように四小節の間を吹き抜けて、トランペットが颯爽と主部の旋律を吹き立てた。

 千鶴(ちづる)は、目を思わず見開いた。

 他の学校と何ら変わらないトランペットから、攻撃的な性格とはほど遠い、可憐に歌う旋律が流れてくる。その音は、地区大会で聴いた演奏よりはるかに練られて整っているように、千鶴にも思われた。

(トランペットって、こんな音が出るんだ!?)

 驚く千鶴の左隣で、未乃梨(みのり)が小さな声で漏らす。

「……うそ、あの音、まるで木管みたい……?」

 千鶴と未乃梨が驚いたトランペットの後で、トロンボーンとユーフォニアムとテューバによる主題が勇ましく現れる。その音は、勇ましくはあっても聴き手に怖がらせたり眉を潜めさせたりするような響きではなかった。

 二人のトロンボーンと一人ずつのユーフォニアムとテューバの演奏者は、鎧を脱いで礼服姿に着替えた騎士のように、どこか頼もしくはあれど蛮勇には走らない安心感さえあった。

 千鶴の右隣の高森(たかもり)植村(うえむら)は、ひと言も発さずに付属高校の演奏を聴いている。高森はクラリネットやサックスを中心とした木管セクションの動きに何やら気に入るところがあるようだし、植村は金管の中低音の乱暴さを排した演奏に聴き入っている。

 付属高校の低音の核になっているらしいユーフォニアムの男子生徒が、たった一人のフルート奏者に目配せをするように僅かに上体を揺らした。フルートの男子生徒も、その合図を受け取って低音の旋律を飾るような細かな音符のパッセージを滑らかな音で紡いでいく。その低音の旋律が締めくくられて、「シルフィード・マーチ」は中間部に進んでいく。

 低音が決まったフレーズを繰り返す上で、最初フルートとオーボエが、次いでクラリネットとホルンがずれて追いかけ合うように重なる、以前に千鶴と未乃梨が凛々子(りりこ)と演奏した「パッヘルベルのカノン」を思わせるその中間部は、地区大会から比べて更に磨き上げられていた。

 指揮者を務める男子生徒が逆手にした指揮棒を左手に持って身体に引きつけて、空いた素手の右手で控えめに振る中を、付属高校の部員たちは互いを見合いながら吹いている。譜面台に置いた楽譜をほとんど見ずに互いを見合いながら演奏する付属高校は、千鶴にあることを思い起こさせるには十分だった。

(……付属の演奏のし方、やっぱり凛々子さんたちのオーケストラと何か似てる? 星の宮ユースオーケストラも、凛々子さんとか本条(ほんじょう)先生とかが管楽器も弦楽器も関係なくお互いを見てたし?)

 千鶴の思案をよそに、付属高校の演奏する「シルフィード・マーチ」は主部に返っていく。

 ずれては重なり合って様々な楽器を受け渡されてきた二本の旋律が、クラリネットとサックスの思わせぶりな和音で読点を打つように区切られて、そのままクラリネットとサックスが花びらをはらんだ心地よく渦巻く日向の風のようなフレーズを、四小節ほど湧き立たせる。

 冒頭の颯爽としたトランペットの主題が帰ってきてからは、千鶴は付属高校の演奏に晴れやかで朗らかな印象をすっかり持っていた。どこまで溌剌と爽やかに主題を歌って締めくくられた「シルフィード・マーチ」の演奏が終わると、千鶴は真っ先に拍手を送る。

(やっぱり、吹奏楽って清鹿(せいろく)とか(学園)みたいな演奏が全てじゃないんだ。さっきの植村先輩の「どういう演奏をしていきたいか」って話、私だったら付属高校が近いかも……でも)

 千鶴は、自分の左隣で拍手をしている、顔を感激で上気させた未乃梨に、そっと視線をやった。

(私がコントラバスを弾きたい場所は、どこなんだろう? 未乃梨のいる紫ヶ丘(うち)の吹奏楽部? それとも、凛々子(りりこ)さんのいる、星の宮ユースオーケストラ?)

 そこまで考えて、千鶴は自分がどこかで演奏する姿を思い浮かべようとして、愕然としかけた。

(私、どうして一度も参加したことがない凛々子さんのオーケストラのこと、考えてるんだろう?)

 千鶴の中で後ろめたさが急速に湧いてきて、未乃梨から目を離そうとした。その未乃梨が、千鶴を向いて無邪気に目を輝かせている。

「ねえ千鶴、来年のコンクール、付属みたいに出来たらいいよね?」

「……う、うん」

 千鶴はためらいがちに応えることしかできなかった。付属高校の演奏に感じ入っている未乃梨の隣でこの場にいない凛々子のことを考えていたことは、千鶴は流石に知られるわけにはいかなかった。

「そのためにも秋の発表会、いっぱい勉強しなきゃね? 私、千鶴のピアノ伴奏、頑張るから!」

(その発表会、凛々子さんと一緒の合奏もあるのに……私、未乃梨と、どこかすれ違っちゃうの!?)

 千鶴は曖昧な表情のまま未乃梨頷くと、舞台にもう一度顔を向けた。

 舞台の上では、付属高校の「六声のリチェルカーレ」が始まろうとしていた。


(続く)

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