♯255
舞台のセッティングをしながら、他の高校の吹奏楽部について思うところが出てきてしまう千鶴。
そして、コンクールで紫ヶ丘高校の演奏が始まって……?
鳴宝学院高校の演奏が終わって、客席に何やら怒鳴り声のような歓声の混ざった大きな拍手が巻き起こった。それが静まり返る少し前に、千鶴は打楽器のパート員を手伝って舞台の上にティンパニを運び込む。
照明のついた舞台から千鶴が客席に目を向けると、それまで九割ほど埋まっていた座席からぞろぞろと立ち上がってホールの外へと退出する姿が目立った。
(あれ? 紫ヶ丘の演奏、聴かないで出てっちゃうんだ?)
半分ほどが席を立った客席を千鶴は妙に思いながら、楽器置き場で耳にした乾学園のひそひそ話を思い出す。
(……紫ヶ丘、吹奏楽であんまり有名じゃないならしょうがないのかもしれないけど、コンクールメンバーがちょっと気の毒かな)
ティンパニの設置を終えると、千鶴は他の初心者の一年生たちと一緒に足早に上手側の舞台袖へとはけた。
舞台袖に出る前に、千鶴は舞台下手を振り向いた。仕切りの隙間から、銀色に光るフルートが見えた気がして、千鶴はコンクールメンバーに向けて心の中で祈る。
(未乃梨、先輩たち、頑張って)
夏の制服で舞台に上がる紫ヶ丘高校の吹奏楽部を、前に演奏した乾学園や鳴宝学院に比べると明らかに小さい拍手が出迎えた。
(客席は半分か少しぐらい……でも、審査員の先生たちはみんな聴いてくれてるんだから)
未乃梨はしっかりと気持ちを切り替えて、いつもの一番フルートの席に座る。
指揮台に上がる顧問の子安も、前の出番の高校に比べて客席の人数が減ったことにはまるで動じていないようで、いつも通りの穏やかな表情のまま指揮棒を掲げる。
そして、紫ヶ丘高校吹奏楽部の演奏が始まった。
課題曲の「スプリング・グリーン・マーチ」は、今までより更に闊達に始まった。
舞台の奥の方で前奏のファンファーレを吹くホルンとトランペットは、地区大会の時より元気良く、決して乱暴にならずに吹いていて、音の抜けも舞台の前の方に席がある未乃梨たちフルートパートの頭上を突っ切って客席の後ろまでまで音が飛んでいくように感じられる。
(私たち木管だって……!)
周りの音を聴きながら、未乃梨はフルートを構えた。前奏のあとで主旋律を取るクラリネットパートが、しなやかなうねりを持って歌い出す。
クラリネットパートの誰かが、フレーズの終わり際で明らかに未乃梨を見た。それに続いてフルートの上級生の仲谷や高杉が、未乃梨を横目で視線を送る。未乃梨は、深くブレスを取った。
フルートパートの吹く愛らしい主旋律が、未乃梨の澄み切った音に先導されてせせらぎのように流れていく。伴奏に付いているユーフォニアムとテューバも、先ほどから練習の時以上に軽やかなリズムを打って未乃梨たち木管セクションを支えている。
未乃梨は楽譜すら見ずに、子安の指揮と舞台の上の他の演奏者を代るがわる見通した。アルトサックスを構えた高森とフレーズの締めの小節で目が合って、そのまま高森がリードするサックスセクションが小気味よく駆け出す。
高森はいつもの銀色に光る金属のマウスピースのサックスで、軽快に主旋律を描き出した。アルトサックスの二番やテナーサックスも高森の音と溶け合って、クラリネットやフルートとは違うややスパイスの利いた味付けで旋律を仕上げていく。
サックスの後で旋律を引き継いだオーボエパートは、フルートにはとても無理な長いフレーズで旋律を描ききった。旋律の入りの直前に一度ブレスを取っただけなのではないかと疑うほど、切れ目の見えないなめらかなラインを描いていく。
(みんな、凄い……!)
休符でフルートから一瞬唇を離すと、未乃梨は周りに改めて目を配る。未乃梨の身体が、じわりと上がった。未乃梨は顔をしかめそうになって、すぐに気を取り直す。
(お腹とか痛くなってないし、服で締め付けられる感じもない……いける!)
マーチの主部が締めくくりに入って、トランペットとトロンボーンが鋭く和音を解決させた。そのままホルンが弱音で残って、ユーフォニアムやテューバが打ち出すリズムの伴奏をハーモニーで繋げていく。
練習の時とは違ってちゃんと制服を着て緑色のネクタイをユーフォニアムの梶本が、他の中低音をリードしながら未乃梨を見た。中間部の穏やかな曲想に合わせてテューバの蘇我が仏頂面のままマウスピースから唇を離して、低音の音量がはっきりと落ちる。
未乃梨は、テューバパートの近くに、コンクールにはいないコントラバスを構えた長身の少女の姿を想像して、フルートを構えた。同時に、間近で何度か演奏を目の当たりにした、緩くウェーブの掛かった長い黒髪の年上の少女の姿も、頭の中に浮かんでくる。
(千鶴の弦バスに合わせてるときの、凛々子さんのヴァイオリンみたいに歌えたら……? ちょっと、癪だけど……!)
未乃梨は、「スプリング・グリーン・マーチ」の中間部のソロに、少し大きめに上半身を揺らしてブレスを取ってから入った。それは、オーケストラを牽引するコンサートマスターのように、舞台と客席全員の注目を惹きつけた。
(続く)




