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♯249

コンクールを目前にして、身体に生理からくる違和感に襲われる未乃梨。

一方で、千鶴は凛々子から発表会のその先のことの話をされて……。

 音楽室での合奏練習が終わる頃、未乃梨(みのり)の身体の違和感は弱まったように思われた。それでも、精神の高揚感は、まだ未乃梨の中に残っている。

(せっかく合奏が上手くいった時に、今月のが来そうになるなんて……もうちょっと先だと思ったのに)

 ハンカチで額の汗を拭いながら、未乃梨は今後の予定を話す顧問の子安(こやす)の話に耳を傾けた。

「――詳しいことはまた後日お話しますが、県大会は地区大会と同様に、コンクールに出るこの場の皆さんの他に、初心者の一年生も裏方で一緒に行きます。繰り返しますが、コンクールも演奏会です。演奏することもですが、他校の演奏をマナーを守って聴くことも同様に大事です。皆さんはそれを忘れないで下さい」

 静かに子安の話を聞きながら、未乃梨はへその下あたりをこっそりと押さえる。不快な痛みはまだ無いようだった。

(大丈夫、だよね。重くならないといいけど)

 身体の調子を気にする未乃梨に、隣に座っている二年生の仲谷(なかたに)が、小声で話しかけてきた。

小阪(こさか)さん、どうかしたの? もしかして、生理でも来ちゃった?」

「……いえ。ただ、前兆っていうか」

「そう。辛かったら言ってね? コンクールの本番、江崎(えざき)さんにいい演奏聴いてもらわなきゃだしね?」

 未乃梨は、自分の様子に気づいた仲谷の気遣いが少し嬉しかった。そして、千鶴(ちづる)のことを仲谷に話に出されて、気持ちはやや明るくなっていく。

(千鶴にも聴いてもらうんだもん、コンクール、頑張らなきゃ)

 精神の高揚が、未乃梨の身体の不安を、少しだけ押し返しつつあった。


 吹奏楽部の練習時間が終わる時間が迫る頃、千鶴は凛々子(りりこ)から一冊のパート譜を手渡された。

「千鶴さん、これ。目を通しておいて」

「これは、一体……? 発表会で、追加でやる曲ですか?」

 千鶴は受け取ったパート譜を開くと、書かれている音符に面食らった。長さは一学期に部活の連合演奏会で参加した「スプリング・グリーン・マーチ」の倍はあるだろうか。最初のページには、凛々子に出会ってから色々な機会で目にしている、明らかに英語ではないアルファベットが並んでいる。

 凛々子は、当たり前のことを話すように告げた。

「今の千鶴さんなら、決して難しくはないわ」

「……これが? あ、あの、本気で言ってます?」

 千鶴はその、英語ではない長ったらしいタイトルのパート譜をざっと見通して、眉をしかめそうになった。

 ヘ音記号の譜表で書かれたコントラバスのパート譜とはいえ、弾いたことのない加線の沢山付いた高い音域が数カ所とはいえ出てきたり、今までに見た楽譜には出てこなかった、単純ではないリズムや細かな動きを要求する十六分音符のフレーズが書かれていて、千鶴を怯ませるには充分だった。

 その千鶴に、凛々子は「さて、そうかしら?」とまるで動じる様子もなく、千鶴が開いているそのパート譜の、十六分音符の箇所を指差す。

「この曲、途中で転調はあるけど、全体としてはハ長調なの。この十六分音符、私が出したハ長調の音階の課題に、ちょっと似てないかしら?」

 千鶴が怯んだその十六分音符の箇所は、よく見ると音階をなぞるように動いている。一方通行で上がったり下がったりというような動きではないものの、音階練習の応用でなんとか弾けそうな感触はないでもなかった。

 凛々子は、怯みの消えた千鶴の顔を見ながら穏やか微笑む。

「そうそう。千鶴さん、その曲のタイトルはね、、『ニュールンベルクのマイスタージンガー』の前奏曲っていうのよ」

「……それって、もしかして、前に一緒に買い物行ったときに話してた……?」

 千鶴の頭の中で、買い物の途中で立ち寄ったカフェで凛々子がスマホで聴かせてくれた曲が蘇った。

 あの、石造りの分厚い壁といくつもの尖塔を備えた大きな城を思わせる、全オーケストラが形作る壮大な響きを千鶴はありありと思い出す。

「確か、本条(ほんじょう)先生が私に教えるように言ってたっていう……?」

「そう。うちのオーケストラで十一月にやる曲だけど、今の千鶴さんならついてこれるはずよ」

「それじゃ、私が凛々子さんのオーケストラに……」

「ええ。発表会の次は、星の宮ユースオーケストラで千鶴さんに私たちと一緒に弾いてほしいの」

 凛々子は千鶴の顔を見上げて、視線を逸らさずに言い切った。

「じゃあ、これの練習も明日から……?」

「そうよ。もちろん、私も練習は見てあげるし、発表会を千鶴さんのご両親が聴きにいらっしゃるなら、その時に説明させて頂くわ。本条先生も、チェロの智花(ともか)さんやコントラバスの波多野(はたの)さんも、楽しみにしてるかもね?」

 以前に知り合った星の宮ユースオーケストラの面々の名前を聞いて、千鶴はその場に立ち尽くした。

(あんな凄い人たちと、私が一緒に演奏できるかもしれないの……? でも)

 ふと、千鶴は後ろ髪を引かれるような錯覚に襲われた。

(でも、オーケストラに私が入ったら、部活はどうなるんだろう……? このことを、未乃梨が知ったら……?)


(続く)




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