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♯244

本条の演奏を見様見真似で、コントラバスの演奏を少しずつ身に着けていく千鶴。未乃梨は千鶴の変化していく演奏に、そして女の子らしくなっていく容姿に疎外感すら感じて……。

 合奏練習が再開しても、未乃梨(みのり)の意識には個人練習で見慣れないコントラバスの弾き方をしている千鶴(ちづる)の姿は意識にこびりついたままだった。

(千鶴が、私の知ってる千鶴じゃなくなっていってしまうの……?)

 未乃梨の意識に居残り続けているのは、千鶴の奏法だけではなかった。

 今日の千鶴の、そろそろ未乃梨のセミロングに追い付きそうなリボンやゴムで結んでいないストレートの黒髪も、暑さにたまりかねたのか前を開けていた制服のブラウスからのぞく黒いキャミソールの胸元も、未乃梨には悩ましく焼き付いている。

(千鶴、プールに行った時もそうだったけど、やっぱり中学の頃より女の子らしくなってる……それも嬉しいけど、私以外に千鶴のそういうところ、見られたく、ない)

 子安(こやす)が指揮台に上がって、全体のチューニングが始まった。(べー)の音をフルートで吹きながら、未乃梨は脳裏に浮かぶ女の子らしさが浮かんでいる先ほどの千鶴の姿を自分の中から振り払った。

(……もう、コンクールの県大会が近いのに、私は何を……)

 全体のチューニングが終わって、早速合奏練習の続きが始まった。

(次は「ドリー組曲」を頭から。……これ、お盆休みに、おばあちゃんとか親戚が遊びに来た時に吹いて、おばあちゃんに褒めてもらったっけ。確か――)

 未乃梨は祖母の言葉を思い出して、頭の中が真っ白になる。子安が金管楽器の方を向いて何やら指示を出していて、未乃梨を含む木管を見ていないのが、せめてもの救いだった。

(おばあちゃん、私が「ドリー組曲」の「子守唄」を聴いて、私のことを「素敵なお母さんになりそう」とか、「素敵なお婿さんが見つかるいいわね」って言ってた……おばあちゃんに悪気は無いってわかってるけど、でも)

 子安の指揮棒が上がって、未乃梨は片付かない気持ちを抱えたまま、他の部員と足並みを揃えてフルートを構える。二小節のクラリネットやサックスの前奏の後で、未乃梨はクラリネットの一番とユニゾンのソロを吹き始めた。

(私、千鶴のお嫁さんになりたいって思っちゃだめなのかな。女の子同士じゃ赤ちゃんはできないけど……それでも、千鶴とそういう関係になりたい、って思っちゃ、だめなのかな)

 未乃梨の心は、かえって鎮まった。フルートの音が柔らかに落ち着いて、小さな子供を寝かしつけられそうなピアニッシモの音が、「子守唄」の旋律を穏やかに描き出していく。

(……やっぱり、私は、千鶴が好きだ……)

 あくまで未乃梨は、その日の合奏を表面上は落ち着いて乗り切った。それでも、変わっていく千鶴を目の当たりにして、揺らいで不安になる気持ちは、最後まで拭えなかった。



 空き教室の少し離れた外でぱたぱたと誰かの足音が聞こえたような気がして、千鶴はコントラバスを弾く手を止めた。

「誰か、いるのかな?」

 千鶴は腰掛けていた空き教室の机から離れてコントラバスを寝かせると、千鶴は足音の聞こえた方の教室の戸口から顔を出すと、廊下を見回した。

「何だろう? 私の個人練習なんか、見ててもしょうがない気がするけど」

 足音のした方向は、音楽室に向かう方向だった。千鶴は、怪訝な顔をした。

(部活の誰かが、休憩中にでも様子を見に来たのかな? でも、それなら声ぐらい掛けそうなもんだし、未乃梨だったら教室に入ってきて私と喋っていくだろうし)

 奇妙に思いながら、千鶴は教室の中に戻ると床に寝かせたコントラバスを起こす。そのまま机に腰掛けて、先ほどまでと同じようにコントラバスを構え直した。

 ふと、千鶴は思い立って、スカートのポケットからスマホを取り出す。

(机に座ってコントラバスを練習するの、多分ありだと思うんだけど……凛々子(りりこ)さんにちょっと見てもらおうかな)

 千鶴はスマホのインカメラを自分に向けてスマホを持った手を思い切り伸ばすと、コントラバスを構えた自分の姿を撮った。

 どう工夫しても、机の天板に腰掛けてコントラバスを構えた千鶴自身の姿は、ほとんど上半身から机に座った腰回りまでしか写らなかったが、立って弾いているのではない様子はなんとか撮れている。

 千鶴はメッセージを打つと、コントラバスを座って構えた自撮りの画像を添付して凛々子に送った。


 ――今日の個人練習、前に凛々子さんのオーケストラでコントラバスを弾いてた本条(ほんじょう)先生を真似して座って弾いてみました。立って弾くのとは色々違うけど、意外といい感じかも


(凛々子さん、ダメならダメでちゃんと説明してくれそうだし、ありなら何かアドバイスくれそう。また練習を見てもらう時に、座って弾いてみようかな)

 千鶴は色々と思案を巡らせつつ、練習の続きに入る。ヴィヴァルディの「調和の霊感」第八番を軽く弾いてみて、千鶴は「うん?」と思わず声を出した。

「あれ? 座ってたら、いつもより速いテンポで弾けちゃう? ……やっぱり、座って弾いた方がいいのかな?」

 千鶴はハンカチで額ににじむ汗を拭くと、ヴィヴァルディの楽譜を見直す。少なくとも、急に離れた音に飛ぶパッセージでもなければ、千鶴はヴィヴァルディをいつもより速いテンポで弾けていた。

(ちょっとずつだけど、凛々子さんとか、本条先生に近付けてるかも。……って、高校のバスケ部員がNBAの選手に近付いてる、みたいな勘違いかもしれないけど)

 その日の個人練習は、信じられないほど沢山の収穫があったように、千鶴には思われた。


(続く)




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