♯242
コンクールの合奏練習が、個人の能動的な演奏で組み上がっていく流れに次第についていく未乃梨。そこで未乃梨が気付いたことが、彼女にはやや引っかかるようで……。
音楽室では、「スプリング・グリーン・マーチ」の合奏が中間部に差し掛かろうとしていた。
マーチの主部を賑やかに締めくくりにかかる金管楽器は、普段とは明らかに彩りが違う。トロンボーンは切れ味の鋭い吹き始めで音を作っているし、ホルンやトランペットはフレーズを締めくくる和音の終わりを綺麗に整えると、ホルンだけが弱音で残ってテューバやユーフォニアムといった低音楽器と一緒にリズムの下地を描き出した。
未乃梨はフルートを構えると、合奏に取り残されかけた自分に鞭を入れるように、深くブレスを取った。
(この曲の中間部は私のソロなんだもの。ただ流されて吹くわけにはいかない……!)
未乃梨はサックスやユーフォニアムやテューバといった中低音楽器のパートが座る、指揮台に座る顧問の子安から見て右手側を見た。
(連合演奏会の時と違って前の地区大会に千鶴はいなかったし、今度の県大会でもそうだけど……前の本番みたいに……!)
中間部では、ユーフォニアムとテューバのリズム打ちの伴奏は随分と軽やかになっていた。よく見ると、テューバを吹いているのは二年生の男子の新木一人で、蘇我は珍しく不満を顔に浮かべずにテューバのマウスピースから唇を離している。
コントラバスのピッツィカートにかなり寄せた輪郭のはっきりした新木のテューバに、サックスやホルンが軽快な後打ちを重ねる伴奏に乗って、未乃梨は伸びやかにフルートを吹いた。リードや唇といった振動するもので音を出さない楽器特有の澄んだ響きで、未乃梨は中間部のソロを紡いでいく。
未乃梨の視線は、自分の伴奏に付いている中低音の楽器や、子安の振る指揮棒をしっかりととらえていた。先ほど他の高音の木管と一緒に立って吹いた時には戸惑うばかりで怯んだように動かなかった未乃梨の身体は、ソロの流れるようなフレーズに合わせて自然に動いた。
「スプリング・グリーン・マーチ」は、そのまま主部へと返っていく。さざ波のように舞うクラリネットやサックスやファゴットは、それぞれが未乃梨のフルートソロを導くように受け止めてくれた。
未乃梨は、中間部が終わってからは、「スプリング・グリーン・マーチ」の楽譜を見ずに演奏している他の部員と子安の指揮だけを見ながら吹いた。いつの間にか、曲の流れが未乃梨に見えてきたような気がして、フレーズの大まかな区切りでやや大きめに上体を振ってブレスを吸うと、合奏全体と未乃梨の演奏が引き合って結びついていく。
(みんな、誰かに言われたからじゃなくて、自分なりに何か考えて演奏してるんだ……こうやって作っていく部活の合奏があるなんて……?)
部員全員の演奏が能動的なものに変わっていくのを、未乃梨は肌で感じていた。一方で、未乃梨はこの合奏にどこかで経験したことがあるような、見覚えのある感覚を拭えないでもいた。
(これ、「あさがお園」で千鶴や凛々子さんたちと演奏した時になんか似てる……?)
未乃梨の頭の中に、「あさがお園」で一緒に演奏した四人の弦楽器奏者が記憶の中から浮かぶ。ヴァイオリンの凛々子やヴィオラの瑞香にチェロの智花、そして今どこかの空き教室で個人練習をしているであろうコントラバスの千鶴も、今にして思えば互いの演奏を見合ってアンサンブルを組み立てていた。
(凛々子さんたちも、もしかすると千鶴も、この感覚はとっくに知ってる……!? 凛々子さんは、いつの間にか千鶴を自分の方に引き込み始めてたってこと?)
自分の気付きに、未乃梨は怯みそうになって、演奏が崩れる前に踏みとどまった。「スプリング・グリーン・マーチ」は最後の和音を迎えて元気に幕を閉じるところだった。
子安は指揮棒を置くと、部員全員の顔を一人ずつ確かめるようにゆっくりと見回した。
「皆さん、今の演奏、大きな進歩がありました。まだ粗はありますが、自分たちでアイデアを出して自主的に音楽を作っていくことができた時点で今までとは次元が違う演奏になっています。この調子で、休憩を挟んでから『ドリー組曲』をやってみましょう」
緊張が解けてざわめき出す部員たちの中で、未乃梨は演奏中に浮かんだ凛々子のことを思い返す。
(今日、合奏練習で凄いことが出来たように思ったけれど……それでも、やっと私が凛々子さんに追いついただけなんだろうか)
未乃梨は席を立ってフルートを置くと、音楽室の外の空気を吸いに廊下に出た。どこからか、穏やかに淀みなく流れる低い響きが、聞き覚えのある旋律を奏でているのが聴こえてくる。未乃梨は、それが聴こえてくる方向に足を向けた。
(これ、「オンブラ・マイ・フ」だ。千鶴、練習頑張ってるんだね)
その、コントラバスによる「オンブラ・マイ・フ」は、いささか様子が違って未乃梨に聴こえてくる。旋律は穏やかに流れて、かつてくつろいだ木陰を懐かしむ曲の内容に沿うような演奏に、どこか拙さを残しながらも近付いている。
(千鶴……こんな演奏をいつの間に?)
コントラバスの旋律が流れてくる空き教室を突き止めて、未乃梨はそっと戸口から中を覗いて――未乃梨は、言葉を失った。
空き教室の中で、千鶴は教室の机に腰掛けてコントラバスを弾いている。並みの男子より背丈に恵まれた千鶴が机に腰掛けて弾く、元々立って弾いていても危なげなく支えられていたコントラバスは、全く揺らぎもせずにその音を響かせている。
(千鶴……? その弾き方、一体どこで……!?)
チェロの演奏に少し似た、机に腰掛けて楽器を左半身で支える構え方でコントラバスを弾く千鶴に、未乃梨は戸惑ったまま声を掛けることも、空き教室に入っていくことすらもできなかった。
(続く)




