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♯234

スマホに届いた千鶴の疑問に、少しばかり考え込む凛々子。それは、千鶴の中で成長している音楽的なことと繋がっているようで……!?

 千鶴(ちづる)は、メッセージを送ったスマホを机の上に置くと、ふうっと息をついた。

未乃梨(みのり)は「別の人に話しちゃダメ」って言ってたけど……多分、凛々子(りりこ)さんなら分かってくれるよね)

 ここ数日の間、未乃梨に対してぎこちない態度しか取れていないような自分に苦い顔をしつつ、千鶴はスマホに表示されているメッセージに改めて視線を落とす。

 送るかどうかすら迷って、文面を何度か書き直した自分の送ったメッセージは、家に帰る途中で未乃梨に抱き着かれた時の戸惑いが残っているような気がして、千鶴には気恥ずかしい。


 ――凛々子さん、ちょっと相談です。調和の霊感の最初の楽章で、コントラバスパートの途中から出てくる(デー)Cis(ツィス)(ハー)(アー)(ゲー)(エフ)(エー)Dっていう最初の方に出てくるAから始まるのとそっくりなフレーズって、ラソファミレドシラって読んじゃダメでしょうか?


(なんだかよく分からない文章になっちゃったなあ……。凛々子さんに変に思われないかな)

 千鶴は髪が伸びかけた頭を掻きながら、一度送ったメッセージの文面を見直すと、取り掛かっていた夏休みの課題に戻った。未乃梨のことは千鶴の中でまだ整理はついていないものの、敢えて厄介そうな夏休みの課題でもやっていれば気も紛れるかもと、千鶴は開き直るように机に向かった。

 中学生の頃に比べて量も質もなかなかに手強い数学の問題集の二次不等式とにらめっこしている千鶴を、スマホの画面に浮かぶ通知が振り向かせた。

(メッセージ? ……凛々子さんからだ)

 千鶴はスマホを手に取ると、返信されてきたメッセージを開いた。それには、楽譜の画像が添付されている。


 ――千鶴さん、お疲れ様。質問のあった件だけれど、もしかして、ここのDから始まるフレーズのことかしら?


 凛々子から返ってきたメッセージに添えられた画像には、ヴィヴァルディの「調和の霊感」第八番の全てのパートをまとめて並べた総譜のページが写っている。

 その、最下段に見えるヘ音記号のパートは間違いなく千鶴が凛々子から受け取ったコントラバスのパート譜と同じもので、問題のDの音から始まることを除けば、音階を順に下っていく音の並びも付点音符と八分音符を交えたリズムも千鶴が疑問を持ったフレーズそのものだった。

 千鶴は早速返信をした。


 ――これで間違いないです! 最初の方のAから始まって順番に下がっていくフレーズをそのまんま高さだけ変えたみたいなやつ


 凛々子からの返信は意外に早かった。


 ――メッセージで説明するのはちょっと難しいから、詳しいことはお盆明けに練習を見てあげる時に教えるわね


 一見素っ気ないメッセージのすぐ後で、凛々子からもう一通返信が届いた。


 ――ヴィヴァルディに限らず、練習していてAの音がラとして読めなかったり、Cの音をドと読むのに違和感があるところがあったら、その場所をチェックしておきなさいね。割と大事なことだから

 ――わかりました

 ――発表会の練習、しっかり進めておくのよ。オンブラ・マイ・フも、ヴィヴァルディもチャイコフスキーも楽しんで弾けるようにね。それでは


 凛々子のメッセージは、一旦は回答を保留しているものの千鶴の疑問を受け止めていた。そのことに、千鶴はなんとなくほっと安心をしてしまう。

(良かった。凛々子さんに変に思われなくて。……おっと、安心してる場合じゃないや)

 千鶴は目の前の、まだまだ終わりには遠い夏休みの課題の山を見て、続きに取り掛かる。

(気持ち良く学校でコントラバスを練習したいし、夏休みの課題はとっとと終わらせたいよね……今日はあと三ページか)

 何とか目処をつけると、千鶴はスマホを置いて机に向かった。


 やり取りしたメッセージを見直すと、凛々子はふうっと溜め息をついた。

(千鶴さん、コントラバスを初めて数ヶ月で、まさかそういうところに気付くなんて)

 凛々子は「調和の霊感」第八番の総譜を自室の本棚に仕舞うと、椅子に座って考え込んだ。

(おそらく千鶴さん、コントラバスを部活で始める前に何か音楽のレッスンを受けたりはしていないはずよね……)

 唐突に、凛々子のスマホが着信を告げる。電子音のアルペジオと同時にスマホの画面に表示された、電話をかけてきた相手の名前に凛々子は眉をひそめそうになる。

真琴(まこと)さん、何の用かしら」

『あ、今日は凛々子ってご機嫌の良くない日だった?』

 電話の向こうの能天気にすら感じる声に、凛々子はひそめた眉を吊り上げそうになる。

「ちょうど今、悪くなりそうよ。私は忙しいの」

『そういや千鶴ちゃんだっけ、あのコントラバスの子を教えてたっけ。秋の発表会、一緒に出るんでしょ?』

「ええ。彼女、ちょっと面白いことに気付いたみたいで、付き合い甲斐があるわ。あなたと違ってね」

 電話の向こうの声は、不機嫌そうに話してみせる凛々子をどこか面白がっていた。

『もしかして千鶴ちゃん、見どころありそう?』

「身長も高いし、コントラバス奏者としては有望かしら。ちょっと気にかかることがあるけど」

『凛々子が気にかかることって? 何か問題でも?』

 話し方が真面目になる真琴に、凛々子は緩くウェーブのかかった長い黒髪をかき上げながら、椅子に座りなおす。

「大したことではないのだけれどね。あの子、どうも転調があるとAをラとして読まないことがあるみたいで」

『千鶴ちゃん、移動ドで読めるってこと? それ、本条(ほんじょう)先生に見てもらったほうが良くない?』

「……真琴さんも、やっぱりそう思う?」

 電話の向こうの真琴の声から、軽薄さがすっかり消えた。

『千鶴ちゃん、しっかり教えてあげなよ。あたしでもできないことを出来てる可能性があるから。あ、そうそう』

「今度は何かしら?」

『千鶴ちゃんの出る発表会、聴きに行きたいから後で詳細教えて。せっかくなら色々話したいし』

「はいはい。くれぐれも、千鶴さんにちょっかいを出さないようにね」

 真琴に釘を差して通話を閉じると、凛々子は再び考え込んだ。

(千鶴さん、いつかはちゃんとしたレッスンを受けた方がいいと思っていたけれど……意外と早くその時が来ているのかもしれないわね)


(続く)

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