♯23
初めての部活の分奏で、早くも注目を浴びる千鶴。
そんな彼女を見る未乃梨は、嬉しい一方どこか複雑で……?
吹奏楽部の木管分奏は、「スプリング・グリーン・マーチ」の「Trio」と表記された、ひとつだけある調号のフラットが消える中間部まで十小節あまりまで差し掛かった。
未乃梨は音楽室の向こう側に立っている、コントラバスを構えた千鶴を改めて見た。
木管だけの分奏とはいえ、初めての大人数での演奏の割に、未乃梨から見ても千鶴にはさして気負った様子が見られなかった。
(一人だけ立って演奏してて、男の子より高いあの身長だもん、周りなんてよく見えちゃうよね)
演奏しながら主旋律や目立った動きのある楽器につい視線を向けてしまう千鶴は、目線の高さでは恐らく、部屋の中で座って演奏している未乃梨他の木管楽器の奏者の倍近く、もしかすると指揮を振っている子安よりも高くて誰よりも全体を見渡せるだろう。
その千鶴の演奏中の動作は、何度か朝に合わせた時よりややこなれていた。弓で弾く時の硬くざらついたノイズが少し減って、代わりに響きに柔らかな豊かさが増している気がする。
「スプリング・グリーン・マーチ」が中間部に入って、千鶴の演奏は更に変わった。たっぷり響きを含んだ、コントラバスの弦を直接指ではじくピッツィカートに乗って、未乃梨のフルートのソロが伸びやかに歌おうとした。
千鶴のピッツィカートにバリトンサックスとバスクラリネットが威勢良く重なり、中高音のサックスがあと打ちで盛り上げるような吹き方で伴奏に入りかけて、一瞬アルトサックスを吹いていた高森が、メッシュの入ったアシンメトリーボブの髪を小さく翻して千鶴のコントラバスを見た。
千鶴の音を聴いた高森のアルトサックスの音量がはっきりと落ちた。他のサックスやバスクラリネットが高森の演奏に続いた。千鶴のコントラバスのピッツィカートと、他の中低音の木管楽器やサックスが混ざって噛み合い始めて、未乃梨のフルートのソロを邪魔しない、当たりの柔らかな伴奏が出来上がりつつあった。
マーチの中間部が終わったところで、子安は再び演奏を止めた。
「さて、中間部で皆さんの中でサウンドを切り替えた人が何人かいましたね。中間部に入って元気に吹く音楽から穏やかに歌う音楽に切り替えるわけですが」
子安はそこまで言うと、木管楽器のパート全体を見回した。
「この中で、演奏の切り替えという意味では一人だけ、他の楽器にはできないことをしている人がいますね。誰でしょうか。はい、クラリネットの畑中くん」
千鶴や未乃梨のリボンタイと同じ、青い色のネクタイをしたセンター分けの髪の少年が、子安に名指しされて「ええっと……」と困ったような顔をした。
「弦バス、かな? 弦を指ではじくやつ」
「そう。ピッツィカートって言います。さて、そこで弦バスパートにお願いなのですが」
子安は今度は千鶴の方を向いた。
「ちょっと、トリオに入る二小節前から、ちょっと一人だけで弾いてみてもらっていいですか?」
「あ、はい」
千鶴は指定された場所を弾いた。区切りの和音の土台になる音を弓で弾き切ると、その弓を右手の小指に吊り下げるように持ってコントラバスの弦をはじくフレーズに入る。千鶴のピッツィカートを二小節ほど聴いた辺りで、子安は「そこまで。ありがとうございます」と千鶴の演奏を止めた。
「こんな風に、曲の雰囲気が変わる時に、合図になる動きをしている楽器がいたら、それを目印に演奏を切り替えるということも皆さんに合奏で試してみて欲しいんですよ。弦バスはまだわかりやすいけれど、管楽器でもこんなケースはあるので、合奏では積極的に周りを見て、聴いてほしいんです」
子安の説明に、部員の一部がどよめいた。戸惑っているのは、青いネクタイやリボンタイを着けた、一年生が殆どだった。
未乃梨も、その戸惑っているうちの一人だった。
(あれ? 吹部の練習って、こんなに先生にお願いされてするもんだっけ? ひたすら先生の言うことに従うもんじゃないの?)
明らかに、音楽室の空気が木管分奏を開始したときより和やかになっていた。その中で、「先生、ベースみたいなことなら、私出来ますよ」と挙手した者がいた。
あの、メッシュの入ったボブの髪の高森が、アルトサックスを膝に立てて、千鶴を一度振り返る。
子安はにこにこと笑いながら「おや、何か思いつきましたか」と腕組みをした。高森はやや得意げに、千鶴に告げた。
「さっきのトリオの二小節前から。私のアルトと江崎さんのベースだけで」
先ほどと同じように、千鶴は弓で二小節を弾き切ると、ピッツィカートに切り替わる中間部に入った。その時、高森のアルトサックスから聴き慣れない音がした。
千鶴のピッツィカートの裏に、高森のアルトサックスからガットギターか何かをつまびくような音があと打ちで入る。それは、千鶴の音を土台に未乃梨のフルートソロを全く別の装いに変えそうな、何とも可愛らしい音が立ち昇っていた。
子安は「うむ、それはそれでありかもしれませんが」と笑った。
「高森さん、スラップタンギングなんて芸当、うちの学校じゃ多分あなたしか出来ませんよ? ま、そういうイメージは大切なんですけどね。もう、びっくりしました」
高森の演奏に、千鶴や他の部員たちも笑っていた。未乃梨もつられて笑いながら、ふと気持ちが立ち止まった。
(あれ? 今日の分奏、千鶴ってなんだか注目されてる? ……千鶴って、なんか吹部に馴染むの速くない?)
音楽室のクラリネットやサックスの部員の席の向こう側にコントラバスを持って高森や子安と気さくに話す千鶴を、いつしか未乃梨は見つめていた。
(クラスのみんなに、仙道先輩に、高森先輩や子安先生に……千鶴、私のことだけ見てくれるわけじゃない、のね……)
(続く)




