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♯226

妙に練習に入り込んでしまい、少し遅れて音楽室にコントラバスを返しに戻った千鶴。その千鶴に、未乃梨の様子を気にかけていた植村が話し掛けてきて……?

 コントラバスを返しに千鶴(ちづる)が音楽室を顔を出すと、合奏練習の片付けは既に終わった後で、部員は半分以上が立ち去った後だった。

(今日、練習を切り上げるの、遅くなっちゃったな)

 千鶴が空き教室でスマホの時計を見たときには、コンクールメンバーが合奏練習を終わる時間を十分ほど過ぎていた。

(でも何か、今日は妙に集中して練習できてたかも。時間はオーバーしちゃったけど)

 コンクールに出る一年生や上級生に「お疲れ様でした」と挨拶をしてからコントラバスを仕舞って音楽室を出ようとする千鶴を、「あれ? 江崎(えざき)さん、まだ残ってたの?」と聞き覚えのある声が呼び止めた。

「あ、植村(うえむら)先輩。お疲れ様でした」

「いやー、今日も蘇我(そが)さんを大人しくさせるのが大変だったよ。ま、今日はトロンボーンからのダメ出しで済んだけどね」

 何人かの上級生の女子に左右から挟まれて、「じゃ、今日の説教部屋の会場に行こっか」「駅裏のファミレスにしようよ。あそこドリンクバー安いし」などと言われながらげっそりとした顔で引きずられていくテューバの蘇我を見送ると、千鶴は苦笑いをした。

「……蘇我さん、また合奏でなんかやらかしたんですか?」

「リズムが正確なのはいいんだけど、何を吹いてもマーチみたいにどかどか吹いちゃうのがね。それより」

 植村は、自分よりずっと背の高い千鶴の顔を下からのぞき込んだ。暑いさなかの練習で、リボンタイを外して襟元を開けた植村のブラウスの中が目に入りそうになり、千鶴は慌てて目を逸らす。しっかり盛り上がったブラウスの下のTシャツの胸元が、凛々子(りりこ)のことを思い出させてしまう。

 千鶴は、植村に恐る恐る尋ねた。

「……あの、何でしょうか?」

「今日、小阪(こさか)さんと会った? 朝は一緒じゃなかったみたいだけど」

「今日はたまたま、待ち合わせとかしてなくて。別々に学校に来ちゃいました」

「ふーん? いつも一緒なのに、珍しいね?」

 植村はぱちくりと瞬きをしてから、千鶴の顔を見た。

「ま、そういうこともあるよね。あたしだっていつも彼氏と一緒って訳じゃないしさ」

「え? 彼氏? 植村先輩、付き合ってる人がいるんですか?」

「そんな驚きなさんな。一世紀以上前だったら、今のあたしらぐらいの歳で結婚しててもおかしくないんだから」

 驚く千鶴を大して気にもせず、植村は続ける。

「実はさ。今日の合奏、小阪さんがずーっと低音の方を見てたんだよね。連合演奏会の練習で江崎さんが弦バス弾いてた、テューバの近く辺り」

「そう、なんですね。……未乃梨(みのり)、何か言ってました?」

 千鶴は声を詰まらせかけた。昨日の凛々子との言い争いのあと、未乃梨から送ってきたメッセージに返事もできていないことも合わせて、千鶴の背中に暑さが原因ではない汗が湧いてくる。

「さあ? あたしは小阪さんと話してないし。(れい)とかの木管の連中とは何か喋ってたけど、変な様子はなかったかな。それより」

 植村は千鶴のブラウスの半袖を引っぱった。昇降口に降りる階段に千鶴を引いて向かいながら、植村が千鶴の顔をもう一度見上げてくる。

「江崎さん的にはさ、小阪さんと付き合いたいとかあるわけ?」

「それは……その……」

 千鶴は、植村に袖を引っ張られて昇降口に向かいながら、口ごもった。

「ふーん。じゃ、仙道(せんどう)さんとはどうなの?」

 植村に問われて、千鶴は階段の踊り場で立ち止まった。

「あの、凛々子さんとは、そんなんじゃないっていうか、その、素敵な人だしヴァイオリンもすっごく上手だし、色んなことを教えてくれるし、ちょっと気になっちゃうこともあるけど、その――」

「江崎さん、動揺しすぎ」

 植村はつまんでいた千鶴のブラウスの袖を放すと、呆れたように左手を腰に当てて嘆息した。

「こりゃ、あたしが聞くだけ野暮か。江崎さん、どれだけ時間掛かってもいいから、小阪さんにも仙道さんにも、ちゃんと話しなよ?」

「はい……」

 一気にしょぼくれた表情になった千鶴が、がっくりと肩を落とした。縮こまった姿勢とは裏腹に、「きゅるる」と胃袋の鳴る音がして、千鶴は顔を赤らめる。

「ま、お説教はここまでにして。江崎さん、この後、時間大丈夫なら一緒にお昼でもどう? 奢るよ」

「ほえ……?」

 くすくすと笑う植村に、千鶴は腹に手を当てながら気の抜けた声を上げた。


 千鶴が植村に連れてこられたのは、紫ヶ丘(ゆかりがおか)高校からほど近い、駅と反対方向にあるお好み焼き屋だった。

 昼食どきで程良く混んだ店内で、案内された鉄板のあるテーブルに座ると、千鶴はスマホを見ながら溜め息をついた。

「江崎さん、メッセでも来たの?」

「うちの親からです。……お好み焼き屋さんに行くならお土産お願いって、母さんから」

「あはは。ま、ゆっくり決めてよ」

 植村に渡されたメニューを見ながら、千鶴はぼんやりと昨日の一件を思い返す。

(私、何やってんだろ。未乃梨にも凛々子さんにも返事できてなくて、未乃梨とは今日は全然話せてないのに)

 他のテーブルから流れてくる油やソースの焼ける匂いが、千鶴の物思いを薄れさせた。今日の練習の集中が、妙な空腹感を呼んでいるようだった。

(あれ……? コントラバス弾くのって、こんなにお腹が空くもんなの……?)

 再びメニューに目を落とすと、千鶴は目を泳がせた。

(焼きうどんに牛すじ玉にモダン焼きに……どうしよ)

 千鶴のここ最近の悩みごとに、空腹感が木材にやすり掛けをするように食い込み始めていた。


(続く)

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