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♯225

千鶴と朝に待ち合わせなかった日の合奏練習で、未乃梨は自分でも気付かないうちに千鶴を気にかけてしまっていて。

それに気付いた高森は……?

 その日のコンクールの合奏練習を、未乃梨(みのり)は気負うように唇や首周りを強張らせることもなく、攻撃的な音にならずに吹けた。

(何とか、切り替えられた、かな)

 未乃梨は、問題なく進んだ課題曲の「スプリング・グリーン・マーチ」や自由曲の「ドリー組曲」での、自分のフルートの出来栄えを思い出しながら、譜面台を片付け始める。

 今日はちゃんと子安(こやす)の振る指揮棒も見られたはずだった。楽譜ばかり見ずに、目線を上げて吹けていたはず、と未乃梨は信じていた。

 隣に座る二年生の仲谷(なかたに)が、自分のフルートを分解しながら未乃梨に話し掛けてきた。

「今日の小阪(こさか)さん、良かったよ。特に、最後の『キティ・ワルツ』とか」

 すぐ近くの一番オーボエの席に座る二年生の女子も、うんうんと頷く。

「あそこ、今日は小阪さんのフルートといつもより絡みやすかったかも。昨日よりなんかオーボエパートが混ざりやすかったっていうか」

 オーボエの二年生に、仲谷は「だよねえ」と相槌を打った。

「これで江崎さんが低音にいたら言う事なしなんだけどなあ。テューバだけだと、気を抜くとすぐうるさくなっちゃうし?」

 フルートやオーボエから見て指揮者を挟んだ音楽室の向こう側、ユーフォニアムやテューバといった低音楽器の席が集まる辺りで、テューバの蘇我(そが)がトロンボーンの上級生の女子複数人に囲まれて、何やら諭されている。

 音楽室の向こう側から漏れ聞こえる、「ピアニッシモが難しいのはわかるけど、ちゃんと響かせようか?」とか、「テューバは天井で音が跳ね返るでしょ? 頑張らなくても周りに音が広がってくれるよね?」などと言葉の上では上級生に優しく諭されている様子の蘇我を視界の端に入れつつ、未乃梨はこの場にいない低音楽器奏者を思い浮かべそうになる。

(……もし、千鶴(ちづる)が初心者じゃなかったら――)

「あーあ、やっぱ『ドリー組曲』でも弦バス欲しいよねえ。よその高校だったら、江崎さんコンクールメンバー入りしてたのになぁ」

 オーボエの二年生がリードをケースに仕舞いながらこぼす愚痴に、未乃梨はびくりと背筋を震わせかけた。その未乃梨を気にかける様子もなく、片付けがほとんど終わった仲谷も暑そうに制服のブラウスの代わりに着たTシャツの襟元を扇ぐ。

「だよねえ。江崎さんいたら、小阪さんも気持ち良く吹けるんじゃないの? 今日なんか、ずっと低音の方見てたしさ」

「ま、しょうがないだろ。無理をさせちゃうから初心者の一年生はコンクールに出さない、っていう一年生ルールあるしさ」

 最近の一件を思い出して口をつぐむ未乃梨に代わるように、サックスのケースを担いだ高森(たかもり)が割り込んできた。

「無理させて楽器を触るのが嫌になられたらコンクールどころじゃないしさ。それで部活をやめてく子、結構いるじゃん?」

「……そう、ですよね」

 割り込んできた高森に内心ほっとしつつ、未乃梨も頷いた。フルートとオーボエの二年生たちは「まあ、高森さんの言う通りだけどね」と納得ずくの様子で席を立って、椅子や畳んだ譜面台を片付けに行ってしまった。

 ふと、高森が未乃梨の顔をまじまじとのぞき込むように見た。

「あ、あの、高森先輩?」

「今日の合奏練習も暑かったよねえ。小阪さん、冷たいものでも飲んでかない?」

「え?」

 高森の申し出に、未乃梨は目を泳がせた。


 夏休みで人気の少ない購買の自販機の前に、未乃梨は高森に引っ張られるように連れて来られてきた。

 高森は何か思うところがある風でもなく、未乃梨に尋ねる。

「小阪さん、何にする?」

「……じゃ、ミルクティーの冷たいやつで」

「おっけー。はい、これ」

「……あ、ありがとうございます」

 手渡されたペットボトルのミルクティーを持て余すように持ったまま、未乃梨は早速缶のメロンソーダをあおる高森をぼんやりと見た。

「やっぱ、こう暑いとこういうの飲みたくなるんだよねえ。あ、そうそう、今朝来るとき、江崎さんと一緒じゃなかったね?」

「……朝、少し寝坊しちゃって、ちょっと遅く家を出たので」

「ま、そういう日もあるよね。その割に、ずっと低音の方ばっかり見てたみたいだけど」

「……それは、その……」

 未乃梨は手つかずのペットボトルを手にしたまま俯いた。

(やっぱり、他の人にもわかっちゃったのかな。……もし千鶴がコンクールメンバーにいたらって思って、テューバパートの後ろの方を見ちゃってたの)

 メロンソーダを美味しそうにもうひと口飲んでから、高森が改めて未乃梨の顔を見た。

「言いにくかったら無理しなくていいけど。もしかして、小阪さん、江崎さんと何かあったの?」

「……別に、大したことじゃ、なくて――」

「やっぱり、あったんだね?」

 声を落として真面目な顔になる高森に、未乃梨は視線を上げることすらできないでいた。

 高森は未乃梨を落ち着かせるように、穏やかな声で続ける。

「これ以上は私からは聞かないけど、辛くなったら抱え込まないで相談してよ? 私でも祐希(ゆき)でも瑠衣(るい)でもいいからさ」

「……はい」

 高森が挙げた名前が、一緒にプールに出かけた植村(うえむら)織田(おりた)だったことに未乃梨の気持ちは少し落ち着いた。

(他の高校の瑠衣さんなら……話してもいいかも)

 未乃梨は、早くもぬるくなりかけたミルクティーの蓋をやっと開けて、ひと口目を喉に流し込んだ。


(続く)

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