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♯219

千鶴のコントラバスがいる想定で、改めて合奏練習に臨む未乃梨。それが意外な結果をもたらす一方で、音楽室には誰かが演奏しているワルツの二重奏が聞こえてきて……?

 その日の吹奏楽部の合奏練習を、未乃梨(みのり)は何とか体裁をつけるような仕上がりで終わらせた。


 未乃梨の吹くフルートの音に、尖ったアタックが付いてしまうおかしな力みは、まだところどころに残ってはいた。それでも、未乃梨の演奏は決して崩れはしなかった。

(今日の合奏は、千鶴(ちづる)が一緒に弦バスで伴奏してくれてるって思って吹こう。千鶴がここにいたら、どう吹くかってことを考えよう)

「ドリー組曲」の「キティ・ワルツ」を合わせている間、未乃梨は指揮台に座る顧問の子安(こやす)の振る指揮棒を見つつ、その向こうの新木(あらき)蘇我(そが)が座るテューバパートの辺りをも見つめた。

(あの辺りにもし、千鶴が立って弦バスを弾いていたら――)

 テューバやユーフォニアムが軸になって流れる三拍子の流れを、未乃梨は淀ませないように吹ききった。

 低音の管楽器群が吹く小節の頭の拍を示す四分音符の足取りを聴き逃すまいと耳で追いかけつつ、未乃梨はそこに千鶴の弾くコントラバスの弓やピッツィカートが重なっているのを想像しながらフルートを吹いた。

(千鶴がもしここで弦バスを弾くなら、子安先生の指揮棒に弓とか右腕の動きをシンクロさせるはず。この前「あさがお園」で凛々子(りりこ)さんたちとやった本番だって、そう弾いてくれたんだもの)

「キティ・ワルツ」の緩やかに遊ぶような三拍子を、未乃梨のフルートが流れていく。ユニゾンで主旋律を吹くオーボエやクラリネットと綺麗に縫い合わさったように重なったり、ソロで伴奏についたホルンや中低音の楽器を引っ張ったりと、未乃梨のフルートは能動的にフレーズを紡いでいく。

(こんな合奏の合わせ方、中学の頃は考えたこともなかったし、これが正しいかも分からないけど、決して間違ってない気がする)

 子安が指揮を振りながら、明らかに未乃梨を見た。未乃梨はそれでも臆さずに演奏を続ける。音の出だしに尖ったアタックを付けてしまう力みは、いくらか未乃梨から抜けていた。

「キティ・ワルツ」が終止符にたどり着くと、子安は指揮棒を下ろしてから部員全員に語りかける。

「皆さん、今日の演奏は一歩前進したことがありますね」

 穏やかに話す子安に、音楽室にいる吹奏楽部員が小さくざわめき出した。未乃梨は背筋を正したまま、子安の言葉を待った。

(いつもの私の合わせ方じゃないけど、良かったところも悪かったところも今日はしっかり受け止めて帰ろう。今の演奏、ちょっと私の独りよがりになってたかもしれないし)

 子安が、穏やかな口調を崩さずに部員全員に向かって告げる。

「今の演奏、実は皆さんは少しだけ遅くなったり速くなったりと、テンポが揺れながら演奏していました。ですが、自然な流れでした。『キティ・ワルツ』みたいな曲では、それは非常に大事なことです」

 明らかに褒める口調で言っている子安の言葉に、ほっと安心する空気が部員たちの間に広がる。

 子安は続いて、フルートやオーボエやクラリネットといった高音の木管楽器の方を向いた。

「今の演奏の流れ、木管の高音の皆さんが引っ張って作ったように思えましたが、ここでひとつ注文があります。テンポが僅かに先走っていってしまっていたので、それだけは注意して下さい。初めてドレスを着て踊る子供が裾を踏んで転んでしまいますからね」

 釘の差し方すらも穏やかな子安に、未乃梨は表情を引き締めた。

(さっきの、低音を聴いて自分から引っ張っていくやり方、間違ってなかったんだ。……千鶴が一緒にいたらって想像しただけで演奏が上手くいくなんて)

 楽譜の主旋律の部分に「急がないこと、テンポ注意」と書き込みながら、未乃梨は考えを巡らせる。

(やっぱり、私にとって中学の時以上に千鶴のことが大事なんだ。それなのに、昨日はあんなふう突っかかって……帰りに、千鶴にちゃんと謝らなきゃ)

 ふとその時、微かな高い音と低い音の二重奏が、音楽室まで届いてきた。それは三拍子の音楽で、たった今吹奏楽部が合奏した「キティ・ワルツ」とどこかしら旋律の流れ方が似通っている。子安が「おや?」とその二重奏の流れてくる方を向いた。

「みなさん、お静かに。私たち以外にワルツを練習している人がいるようです」

 子安の言葉に、音楽室の中が一斉に静まった。

 ゆったり目のテンポで揺らぎのある三拍子のフレーズを歌う高い音と、そのフレーズを三拍子の頭打ちで支える低い音は、どちらも管楽器のものではなかった。その微かに聴こえてくる二重奏の響きは、低い音のほうがどこか不器用さを残しつつも、見事に寄り添ってフレーズを紡いでいる。その二重奏に、子安は感服した様子で頷く。

「こんな風に、寄り添って演奏できてたのがさっきの皆さんです。こういう演奏を、みんなで作っていけたらいいですよね?」

 部員たち全員に向けて問いかける子安に無言で首を小さく縦に振りながら、未乃梨は何者かの微かな二重奏を聴いた。その響きに、未乃梨は間違えようのない心当たりがある。

(これ、千鶴の弦バスと凛々子さんのヴァイオリンで、やっているのは秋の発表会の曲だ。……千鶴に昨日のことを謝ったら、凛々子さんにも話そう。私が千鶴のこと好きだってこと、ちゃんと言おう。……そうじゃなきゃ、私は何もかも先に進めない気がする)

 それがどのような結果を生むかは、未乃梨には想像もつかない。それでも、未乃梨は二人にどうしても話さなければいけないと、強く感じざるを得ないのだった。


(続く)

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