♯216
真琴が凛々子と同門だと知って、改めて驚く千鶴。一方で、どうにも力みが抜けず演奏に支障が出てしまう未乃梨は……。
凛々子の呆れたように笑う顔と、その凛々子の視線の先にある自分のスマホに表示されている画像の中の真琴を見比べながら、背中に冷たいものを感じていた。
「あの、別に、真琴さんとはたまたま知り合っただけで、その――」
「あら。本当にそうだったか、本人と未乃梨さんに聞いてみようかしら?」
「ええっ!?」
千鶴は顔を青ざめさせた。その千鶴の引きつった顔を見ながら、凛々子は面白がるように笑う。
「冗談よ。もしかして、真琴って千鶴さんの好みだった?」
「ち、違いますよ。ただ、気さくに話してくれるし、ヴァイオリンすっごく上手いしで」
「ふーん? 真琴のヴァイオリン、どこで聴いたのかしら?」
「……実は、メッセージのアドレス交換してて、動画を送ってもらったんです。これ」
形だけ不満そうに振る舞う凛々子に、千鶴は真琴からスマホに送られてきた動画を呼び出した。
凛々子の表情が、スマホから流れる真琴の演奏を聴いて、ゆっくりと頷く。
「パガニーニの二十四番、か。悔しいけれど、見事だわ」
「凛々子さんでも、そう思うんですか?」
「ええ。正確に演奏するだけなら、私だってできるわ。でも、彼女がやっていることは、そのずっと先、この曲を自分なりにどう解釈するか、よ」
「真琴さんが、凛々子さんのずっと先を……」
千鶴は、スマホに映るセーラー服の制服姿でヴァイオリンを構える真琴に目を落とす。
奔放にすら聴こえるパガニーニを演奏しているきちんと制服を着た画面の中の真琴と、普段は折り目正しい演奏をする、今日は暑さで制服のブラウスのボタンを全部外して裾を結んでキャミソールの胸元をさらす凛々子が、千鶴には妙に何か通じるものがあるように思えた。
「凛々子さんと真琴さん、色々と正反対なのに、何か似てるような気がします」
「基本の奏法は一緒よ、同じ先生に習ってるんだもの。そこからの発展は全然違うけどね」
大して特別なことでもなさそうに言う凛々子が、空き教室の机からひらりと下りた。開けたブラウスの胸元から覗くキャミソールのふくらみや、翻って揺れる制服のスカートが、千鶴の目を引き付けてしまう。
「さて、休憩はここまで。今日は、未乃梨さんに伴奏してもらう『オンブラ・マイ・フ』をやりましょう」
凛々子に促されて、千鶴は慌てて床に寝かせてあるコントラバスを起こした。音叉に合わせたAの音をヴァイオリンで弾く凛々子に合わせてコントラバスの調弦を合わせながら、千鶴はふと気付く。
(凛々子さん、水着を一緒に買いに行った時もそうだったけど、どうして私の前で肌を出しても恥ずかしがらないんだろう……?)
休憩が終わりに近付いて、音楽室の空気が程よい緊張感が満ちていく中を、未乃梨はどうにも気持ちの切り替えが出来ずにいた。
原因は今日に限って起こっている、唇か顎かどこが原因か判然としない力みだった。
(いつもより固くて尖った音になっちゃうの、何とかしなきゃ。夏場だからチューニングはどんどん上がっちゃうし)
フルートをチューニングし直すと、未乃梨は音出しをしている他の部員に紛れて適当な高い音のフレーズを吹いてみた。
他の部員たちが吹く、沢山の管楽器がごちゃ混ぜに音を出している中で、自分の音がナイフのように音楽室の空気を切っているように錯覚するほど、どうしても固い音になっているように、未乃梨には思える。
(どうして!? 私、いつもこんな音で吹いてないのに!?)
焦りはじめた未乃梨をよそに、音楽室の中が静まり返っていく。他の部員が音出しを止める中、顧問の子安が指揮台に上がって、部員を見回した。
「それでは、後半の練習を始めましょう。では、『子守唄』から」
子安が指揮棒を上げるのを見ながら、未乃梨は恐る恐るフルートを構えた。身体のどこかにある力みはどうにも取れていない。
(『ドリー組曲』の『子守唄』……今、一番吹きたくない曲……!)
二小節の前奏の後で、未乃梨は少なくとも動揺を何とか隠そうと吹き始めた。昨日より明らかに尖ったアタックの付いた音が、揺りかごのように穏やかな伴奏型の上に乗ってしまっている。
子安は合奏を止めずに、そのまま最後まで演奏を続けさせた。「子守唄」を最後まで通すと、子安は改めて音楽室全体を見回した。
「ありがとうございます。さて、この『子守唄』ですが、誰が、どんな時に、何を思って演奏するか、これに歌詞がついていたら誰のために唄うだろうか、ということをちょっと考えてみてください」
未乃梨は、俯いて子安の言葉を聞いた。決して誰かを咎めるような口調ではないのが、未乃梨にとっては救いだった。
子安は部員全員に向かって続けた。
「誰のために演奏するか、つまり、赤ちゃんだとか小さな子供のための音楽です。決して私たち演奏する側のためにある音楽ではありません。私たち演奏者はつい自分のことばかり考えてしまいますが、この音楽はそうではないのです」
諭すように話す子安の言葉に、未乃梨はやっとの思いで顔を上げた。
(続く)




