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♯211

千鶴から返信のメッセージを受け取って、安堵しつつ後ろめたい思いも抱える未乃梨。一方で、どこかしら凛々子のことも頭から離れない千鶴。少しずつ、二人の間で何かが浮き彫りになって……。

 翌朝、未乃梨(みのり)は前の日より一時間以上早く家を出た。

 学校に着くのは、八時より前になるだろうか。授業のある学期中なら授業はともかく朝練に間に合わない時間だが、それでも千鶴(ちづる)より早い時間に駅に来ていることは今の未乃梨には正解とも不正解とも割り切れない。

 未乃梨は、昨日千鶴のスマホに送ったメッセージを読み返した。


 ――さっきは突っかかって、ごめんね。明日の練習、コンクールメンバーは早めに集まることになったから、朝は先に行ってるね。それじゃ

 ――ううん、気にしないで。未乃梨、色々悩ませちゃってごめんね。コンクールの練習、頑張ってね


 顔を合わせづらい千鶴が自分に気遣ってくれた嬉しさと、その千鶴に嘘をついて顔を合わせづらいあまりに登校する時間をずらした後ろめたさの間で、未乃梨はどこか居心地の悪さを感じている。

 それが千鶴のいない朝早くの電車の中でも、未乃梨にとっては同じことだった。

(私、千鶴に突っかかって、顔を合わせづらくなって嘘をついて……)

 未乃梨は電車の窓の外を見た。夏休みらしい学生や仕事に出かける勤め人で程良く込んだ電車の外は、今日もしっかりと暑くなりそうだ。

 そんな外の景色を見つめながら、電車の窓ガラスに映る自分の顔を見て、未乃梨は気落ちしたように俯いてしまうのだった。少し自慢の自分のやや明るめのセミロングの髪も、その髪をハーフアップにまとめているお気に入りのはずのリボンも、未乃梨の気分を上げてくれそうにない。

 未乃梨は、学校に着くまで、いつもより重く感じる肩に提げた楽譜の入ったスクールバッグやフルートケースの位置を何度も直した。


 一方で、千鶴はいつもほどではないにしろすっきりと目を覚ましていた。

 学期中よりはむしろ早めに起きて、朝食は白飯をお代わりしたほどだった。未乃梨のことは少しだけ気掛かりではあったものの、千鶴の中でそのことについて考えるとりあえずの方向は決まっていた。

(とにかく、未乃梨とちゃんと話して、不安がらせないことが一番だよね。……どういう形であれ、未乃梨が私にとって大事な人なのは間違いないし、今は未乃梨にとって大事な時期だし)

 仕事に出かけた父親より少し後で、千鶴は家を出た。未乃梨のいない駅のホームで、千鶴は昨日の未乃梨と凛々子(りりこ)に宛てた返信を見返す。


  ――ううん、気にしないで。未乃梨、色々悩ませちゃってごめんね。コンクールの練習、頑張ってね


 未乃梨への返信には、既読のサインが出ただけで反応はなかった。

(未乃梨、悩んじゃってるだろうし、私に返事なんか、できないよね)

 一方で、凛々子とのやり取りは少し意外な方へと動いている。


 ――練習、 頑張ってる? 私、明日は一日空いてるけれど、良かったら見てあげましょうか?

 ――お願いします。色々お尋ねしたいこともあるし

 ――分かったわ。学校の練習は何時頃かしら?

 ――夏休み中だし、九時にどこかの空き教室で個人練習してます

 ――分かったわ。それじゃ、学校で。ヴァイオリンも持っていくから、ヴィヴァルディとか合わせましょうね。それと

 ――何でしょう?

 ――せっかくだし、ちょっとした課題を持っていくわ。コントラバスで弾きがいのある曲だから、楽しみにしててね。それでは、おやすみなさい


 凛々子とのメッセージはそこで終わっていた。千鶴はその、昨晩の早めの時間にやり取りした内容を見返しながら、制服の襟元のリボンタイを外してスカートのポケットに仕舞う。駅のホームの外は早くも真夏の陽射しに照らされていた。

(今日も、暑くなりそうだね)

 千鶴は駅のベンチに腰を下ろすと、スクールバッグの中から本を一冊取り出した。凛々子と水着を買いに行った後で足を運んだ「ツジモト弦楽器」で買った、「西洋音楽の自由時間」という本の内容に、真琴(まこと)がメッセージと一緒に送ってきたヴァイオリンを弾く動画を観て以来、千鶴は少し興味が湧いているのだった。

(そういえば、前に凛々子さんがオーケストラの演奏会でやってた「グレート」って曲の紹介も載ってるし、……凛々子さんと入ったカフェで流れてた「ます」のことも書いてあるんだよね)

「西洋音楽の自由時間」のページを手繰りながら、千鶴ははたとその手を止めた。

(私、凛々子さんのことばっかり考えてるけど、凛々子さんも私の大事な人で、……コントラバスの練習を見てくれる頼れる先輩っていうか先生みたいな人で、学校の外で色んな人に会わせてくれて……)

 部活の中で顔を合わせる未乃梨のハーフアップにまとめたやや明るめの色のセミロングの髪と、凛々子の緩くウェーブの掛かった背中まである長い黒髪が千鶴の意識の中で重なる。

 千鶴は、本から顔を上げて自分の髪に手をやった。高校に入った頃は伸びかけだったボブのストレートの髪が、そろそろ肩に届こうかという長さのミディアムに近い長さになりつつある。

 千鶴の真っ黒で固く太い男の子のような性質の髪は、今日も後ろでショートテイルにまとめているが、その結んだ髪もいつの間にか毎朝結んでまとめるのにすっかり慣れてしまっていた。

(未乃梨が私のことで不安になっちゃうのって、私が最近ちょっと変わってきたから、なの?)

 駅のホームに熱のこもった風が吹いてきて、電車の接近を告げるチャイムが鳴る。千鶴はホームに入ってきた電車に乗り込むと、窓ガラスに映る自分を見た。

(髪、結構伸びちゃったな。もうすぐ、未乃梨と同じぐらいまでいくかも)

 窓ガラスに映る千鶴は、半年ほど前の中学生の頃には想像もつかない姿になっていた。

 並の男の子より高い背丈や筋肉のついた起伏の多くない身体の線は変わらないものの、すっかり日焼けの抜けた肌や伸びてアレンジの利くようになったストレートの黒髪は、千鶴を半年前から遥かに女の子らしく見せている。

(今の私、変わりすぎちゃって未乃梨を不安にさせてるかもしれない、けど……)

 千鶴の物思いの続きの言葉は、まだまだ見えそうになかった。


(続く)


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