♯210
千鶴に突っかかってしまったことを思い悩む未乃梨。その彼女に、とある人物が相談に乗ってくれて……?
満腹になった千鶴が自室でメッセージを確認する少し前のこと。
帰宅した未乃梨は、ぐったりとした表情で制服のまま自室のベッドに倒れ転んだ。
両親とも仕事で夜まで家にいないのが、未乃梨にとってせめてもの救いだった。
(母さんに今の私の顔を見られたら心配させちゃうし、父さんには当たり散らしちゃいそうだし……あー、どうして、千鶴にあんなことを言っちゃうかな、私)
未乃梨は、駅のホームでの自分の言動を思い出して、頭を抱えた。
(千鶴にカノジョになりたいって言って、キスしたいって言って、他に好きな女の子がいるんじゃ、って疑って……明日の練習、どんな顔して千鶴に顔を合わせればいいのよ)
未乃梨はのろのろと半身をベッドから起こすと、枕元に放り出していたスマホを見た。駅のホームでのすぐ後で、流石に千鶴に電話をするのは気が引ける。せめて、メッセージでも送るべきかと、アプリを立ち上げてからしばらく、未乃梨は十分ほど千鶴に送るべき文面を考えあぐねた。
何も思い付かない未乃梨に、スマホがメッセージの着信を告げる。未乃梨は、恐る恐る未読のフォルダを開いた。
メッセージは意外な人物からだった。
――未乃梨ちゃん、今日も暑い中コンクールの練習お疲れ様! こっちは文化祭に向けてガッコで練習ってかセッションやってます
メッセージには、ギターを持った織田の自撮りの画像が添付されている。
その織田の後ろには、ドラムのスティックやトランペットやマイクを持った面々が無理やり画角に入ろうとしており、中には顔も身体も見切れている誰かのピースサインを作った手まで映り込んでいる有り様だ。
賑やかそうな織田と桃花高校の、半ば軽音楽部と一体化したポップスが専門の吹奏楽部の様子に、未乃梨は溜め息をつきつつ、ふっと笑みがこぼれた。
(瑠衣さんたち、楽しそうだな)
――お疲れ様です。コンクールの練習はまあぼちぼちっていうか
――そうなんだ。千鶴ちゃんとは最近どう?
未乃梨は、織田からの返事に、顔を引きつらせかけた。
(どうにも……嫌われるかもしれないこと、しちゃったのに)
引きつった顔が沈んでいくのを自分でも感じながら、未乃梨は織田に文字を絞り出すように返事を打つ。何度か消しては書き直してやっと書けたメッセージを、未乃梨は織田に返信した。
――あんまり、上手く行ってないかもです。今日の帰り何か、千鶴を置いて先に帰っちゃったりして
――どうしたの? ケンカでもしちゃった?
――何ていうか、うまく言えないけど、ケンカじゃなくて私が突っかかっただけ、なんですけど
やや間があって、織田から返信があった。
――大丈夫? 未乃梨ちゃんが落ち着いたら、千鶴ちゃんにメッセでも電話でもいいからしてあげてね。千鶴ちゃん優しい子だし、きっと未乃梨ちゃんのこと気にしてると思う。ちゃんと話せば許してくれるよ
未乃梨は、織田からの返信が、少しだけ嬉しかった。
(瑠衣さんに、励まされちゃった。 ……千鶴に、ちゃんと話さなきゃ、ね)
――心配かけてすみません。あとで、千鶴にメッセしておきます
――相談なら、いつでも乗るよ。また、紫ヶ丘にも遊びに行くしさ
――分かりました。また、お願いします
――それじゃ、コンクールも千鶴ちゃんのことも頑張ってね
――ありがとうございます
織田からのやり取りで、未乃梨はやっと自分の重く絡まった気持ちが解けた気がした。未乃梨は、千鶴に宛てたメッセージを打ち始める。
――さっきは突っかかって、ごめんね。明日の練習、コンクールメンバーは早めに集まることになったから、朝は先に行ってるね。それじゃ
(今日あんなことをしちゃったばっかりだし、流石に朝から千鶴と顔を合わせるのは難しい、かな)
コンクールメンバーではない千鶴には見透かしようもない嘘をついたことに少し後ろめたさを感じつつ、未乃梨はベッドから下りた。
帰宅してから何も口にしていないことを思い出して、未乃梨は制服を着替えることすらせずに台所に入って冷蔵庫の麦茶をグラスに注いで口に運んだ。自分で思った以上に喉が乾いていたらしく、未乃梨はグラスをあっという間に空にした。
(明日、休憩時間にでも千鶴にちゃんと話そう。千鶴、ちゃんと話を聞いてくれる、よね)
未乃梨はもう一杯麦茶を注ぐと、今度はゆっくりと飲んだ。グラスを流しで洗ってから、夏休みに出されている課題を思い出して、未乃梨は頭の中を切り替えた。
(さて、と)
レッスンに向かうバスの中で、凛々子は千鶴にメッセージを送信した。
――練習、 頑張ってる? 私、明日は一日空いてるけれど、良かったら見てあげましょうか?
(返事、来るかしら。そもそも、千鶴さんってコンクールメンバーじゃないって言ってたし、学校で会えるかどうかも分からないけれど)
凛々子は、早くも千鶴が発表会の曲をどう仕上げてくるか楽しみになっていた。
(そうだわ。発表会の曲に加えて、これも)
スマホで別のアプリを立ち上げると、凛々子は楽譜のファイルを開けた。
調号のないヘ音記号の譜表に、十六分音符がたくさん連なった楽譜が凛々子のスマホの画面に表示されている。楽譜の最初のページには、「R.Wagner」と記されている。
(千鶴さんが練習してるヴィヴァルディ、イ短調だし、平行調のハ長調の曲もちょうどいいかしらね。……この課題、千鶴さんがもしクリア出来たら、発表会の次は?)
バスの中で思わず笑みをこぼしそうになって、凛々子は軽く咳払いをひとつした。
(続く)




