♯195
千鶴が「オーシャンウェーブ」で拾った落とし物の持ち主は、有坂真琴という気さくな少女だった。真琴と話が弾みかける千鶴に未乃梨は穏やかではいられないようで?
千鶴は、そのオレンジと黒の水着を着けた明るめの髪色の少女になんとか追いついた。
その少女は、「オーシャンウェーブ」のプールサイドを行き交う他の客の群れをかわしつつ、明らかに何かを探している様子で足元を見ながら歩き回っている。
「あの、これ、落としました?」
千鶴に声を掛けられて、少女は下を向いて屈めていた背中を伸ばして千鶴を振り向いた。背丈は千鶴ほどではなくても女子としては高い方だろうか。
「ありがとう。それ、探してたんだ」
少女は屈託のなさそうな顔で、千鶴に微笑んでみせた。
そのやや男の子じみた口調や高めの背丈とは裏腹に、少女の背中まであるストレートの明るめの色の髪や、オレンジのフリルに飾られている黒いビキニの水着の上下に覆われたしっかりと盛り上がっている胸元や腰回りは、千鶴のやっと結べるようになった黒い髪や起伏にはやや乏しい身体付きとは真逆の女の子らしさを見せつけている。
思わず少女の水着に見とれそうになった千鶴に、少女はしかたなさそうに微笑む。
「拾って来てくれたそれ、渡してくれるかな?」
「……ごめんなさい」
千鶴がその細いベルトのようなものを手渡す時に、少女の指が千鶴の左手の指先に触れる。その時、少女の表情が「おや?」と何かに気付いたような様子を見せた。
「その指先、なんか固いけど……何か、楽器か何かやってる?」
「今年、高校に上がってから吹奏楽部に入ってコントラバスを始めたんです」
「へぇ。あたしとちょっと似てるかな」
少女は千鶴から受け取ったそのフリル付きの細いベルトのようなものを左の太ももに巻き付けると、ぴっちりと留め具で落ちないように締め付ける。
「何か最近、楽器を始めたんですか?」
少女の太ももに手をやる所作にまた見とれそうになりつつ、千鶴が尋ねると、少女は悪びれもせずに答える。
「まあね。元々ヴァイオリンやってたんだけど、最近ヴィオラって楽器も始めたんだ。あんまり有名な楽器じゃないけど、知ってる?」
「あ、はい。一応は」
「良かった。吹奏楽部でもやっぱり弦楽器同士だとわかるんだね」
少女は、初対面で自分より背の高い千鶴に物怖じする様子もない。それどころか、少女は千鶴に興味を持っているようだった。
「あたし、悠修学園って高校の二年の有坂真琴。キミは?」
「紫ヶ丘高校の一年の江崎千鶴っていいます。……先輩だったんですね」
「あ、そういうの気にしないから。千鶴ちゃんもあたしのこと真琴って呼んで」
真琴という少女は、気さくに話しつつ千鶴の背後に顔を向けてから、大袈裟に顔を横に振った。
「千鶴ちゃん、彼女と一緒に来てたの? あたしなんか気にしてちゃダメじゃん?」
「え!?」
千鶴が恐る恐る振り向くと、そこには目尻をいつもより釣り上げた未乃梨がいた。
「ちーづーるー? なーに他の女の子をナンパしてるのよ!?」
「あ、あの、これは――」
「何よ、言い訳する気!?」
千鶴にくってかかりそうになる未乃梨に、真琴は「まあまあ」と宥めにかかる。
「その、千鶴ちゃんにはあたしのガーターリングを見つけてもらったし、お礼もしたいから、どこかで休まない?」
真琴の提案に、未乃梨は急に毒気を抜かれたように「ほぇ?」と力の入らない声を上げた。その未乃梨の両肩に、ぽんと後ろから手が置かれる。
「はい、痴話喧嘩はそこまで」
未乃梨を、高森が後ろに一歩引っ張ると、植村が未乃梨の前にするりと立った。
「うちの後輩がすんませんね。何でしたら、ご一緒にお昼でもいかが?」
「良いですね。行きましょう」
真琴という少女は、初対面の千鶴たちにまるで気後れした風もなく、植村の誘いを受けた。
「……はあ、助かった」
大きく張り詰めた息を吐く千鶴の脇腹を、今度は織田が肘でつついた。
「千鶴ちゃん、こんなイケイケな美人さんを捕まえるなんて、なかなかやるじゃん?」
「……瑠衣さん、やめて下さい。未乃梨がすっごく怖い顔してるんで」
「やっぱりベーシストってジャンル問わず女子を引っ掛けるの得意なんだねえ。千鶴ちゃんもそうだったかー」
声を潜める千鶴を混ぜ返す織田を、未乃梨が千鶴から引き離した。
「ちょっと瑠衣さんもそんなに千鶴に引っ付かないで下さい。もう、行きますよ」
未乃梨は千鶴の腕を抱え込むように取ると、「オーシャンウェーブ」とは別の方向にあるダイナーの赤い屋根の方へ引っ張っていく。
「あ、あの、未乃梨?」
「言い訳ならお昼食べながら聞いたげるから覚悟しなさい。ほら、きりきり歩く! あ、引っ掛けようとしたお姉さんからもお話聞かせてもらうから、嘘はダメよ」
あまりな未乃梨の振る舞いに、真琴は困ったように笑う。
「あちゃー……。千鶴ちゃん、彼女に振り回されるタイプかあ」
「いつもはあそこまでじゃないんですよ。今日は特別ひどいですけど」
困り笑いをする高森に頷きつつ、真琴は眩しそうに目を細める。
「……でも、ああいう気持ち、わかんなくもないかな。あたしも、気になってる女の子、いるし」
(続く)




