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♯183

試着した水着が気に入った様子の千鶴の手を引いて、凛々子はとある場所に向かう。そこは、千鶴が初めて目にする、ヴァイオリンからコントラバスまでを揃えた弦楽器専門の楽器店で……?

 会計を済ませると、凛々子(りりこ)は自分と同じ紙袋を提げている千鶴(ちづる)の手を引いてショップの外に出た。手を引かれる千鶴の足取りが、心なしか軽くなっている。

「千鶴さん、なんだかご機嫌ね?」

「買った方の水色の水着、着てみたら気に入っちゃって」

「部活のお友達とプール、楽しんでらっしゃいね。未乃梨(みのり)さんにも可愛いって言ってもらえるといいわね」

 凛々子はさして気にすることもなく、微笑しながら未乃梨の名前を出した。

(凛々子さん、未乃梨のことは嫌いじゃないとは思うけど……当たり前に名前を出しちゃうよね)

 一緒にいるときに凛々子の名前が話題に出ると、表情が暗くなる気がする未乃梨とは、どこか正反対のように千鶴には思えて、自分の男子並みに大きな手を引く凛々子の一回り小さな手が、未乃梨が自分の手を引く時と違うことを、凛々子が言葉に出さずに千鶴に伝えているような、ぼんやりとした感触があるのだった。

 そんなあやふやで不確かなことを考えてしまう千鶴の大きな手を引きながら、凛々子はゆっくりと歩みを進める。

「千鶴さん、ちょっと行きたいところがあるのだけれど、付き合ってくれるかしら?」

「構わないですけど。どこに行くんですか?」

「楽器屋さんよ。大した用事ではないのだけれど」

「こないだ凛々子さんの演奏会があったディアナホールの近くですか? 確か、ピアノとか管楽器とかがいっぱい置いてある」

「そちらではないわね。そこ、誰かと行ったの?」

 千鶴は正直に、というかごまかすような気にもならず答える。

「この前のユースオーケストラの演奏会の前に、未乃梨に連れてってもらいました」

「まあ。楽しかった?」

 ふわりと、凛々子の口元に微笑が浮かぶ。千鶴も、悪びれずに素直に答える。

「はい。楽器屋さんって行くのが初めてだったんですけど、部活でも見かけない楽器がいっぱいあって」

「そう。それじゃ、今から行くところは千鶴さんも退屈しないで済むかしら? ちょっと、歩くわよ」

 千鶴の手を引きながら、凛々子はビルや街路樹の陰になるところを選んで歩いた。真夏が目前に迫った季節の、烈しい昼下がりの陽射しを避けながら、凛々子は千鶴の手を引いていく。

 凛々子の目当ての楽器店は、ディアナホールからやや離れた場所にあった。繁華街からやや離れた、金融機関やオフィスの入ったビルが並びつつ、広めの歩道を歩く人を降り注ぐ陽射しから防いでくれる大小の街路樹が並ぶそばに、その楽器店はあった。

「ツジモト弦楽器」というらしい、控えめに演奏会のポスターが二枚ほど貼られたその楽器店に、凛々子は千鶴の手を引いたまま入っていく。

 木材と何かの塗料のような匂いが薄く漂う、高校の教室が二つほど収まりそうな店内には、大小の弦楽器が種類別にまとめて陳列されている。

 入口に近い場所ではヴァイオリンやヴィオラが布張りの長机のような台の上で寝かされていたり、小さなスタンドに立てられているかと思えば、奥の方ではチェロやコントラバスが森の中の木のようにずらりと並んでいて、千鶴の興味をすこぶる強く引いた。

「凛々子さん、コントラバス見に行っていいですか?」

「ええ、好きなだけ見ていらっしゃい。私はちょっと用事を済ませてくるわ」

 凛々子がそう言うより早く、千鶴はすたすたとスタンドに立てかけられて何台も陳列されているコントラバスを見た。

(コントラバスって色々あるの? こっちのは学校で弾いてるやつよりなんか小さいし、向こうのはこの前凛々子さんのユースオーケストラの練習を見学した時に本条(ほんじょう)先生に弾かせてもらった楽器みたいに弦が五本あるし、その横のは楽器の胴体の縁に綺麗な彫刻みたいのが入ってて、楽器に塗ってある色もなんか赤っぽいし……?)

 木材の匂いと何か絵の具か接着剤のようなものの匂いが混ざったような、初めて嗅ぐ千鶴には何故か不快とは思えない匂いがうっすら漂う、店内のそこかしこに興味を引かれながら、千鶴は陳列されているコントラバスを見て回った。

 それぞれの楽器の弦に挟んである紙に書かれた信じられない桁の数字や、英語ではなさそうな人名におっかなびっくりと表情を引きつらせそうになって、陳列されている楽器に不用意に近づかないように注意を払っている千鶴を、凛々子はヴァイオリンが陳列されている後ろの小物類が並んだ棚や預かった楽器の調整や修理を行う作業場があるあたりからこっそりと見た。

 凛々子は棚から平べったい正方形の紙包みに入ったヴァイオリンの弦を取り出しながら、作業場の方に声を掛ける。

神野(じんの)さん、すみません。弦を四セット頂いていきますね」

「はーい。じゃ、会計はこちらで」

 神野と呼ばれた、紺色の作業エプロンを着けた眼鏡の女性が、凛々子から代金を受け取りながらコントラバスが陳列されているいるあたりに目をやった。

「あちら、仙道(せんどう)さんのお友達かしら? コントラバスに興味があるの?」

「高校の友達で一年生なんですけど、入学してすぐ吹奏楽部でコントラバスを始めたんですよ」

「へえ。あんな男の子みたいな背の大きい子、星の宮ユースに欲しいんじゃありません?」

「本人がオーケストラに興味を持ってくれたら、ってところかしら。……ちょっと、脈ありかもって思ってますけど」

 あちこちのコントラバスを興味深そうに見て回る千鶴に、凛々子は小さく口角を上げた。


(続く)


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