♯180
千鶴と未乃梨にそれぞれ発表会の伝達事項をスマホのメッセージで送った凛々子。
彼女には色々と思惑もあるようで……?
凛々子はスマホを置くと、自分の部屋を出て居間に向かった。
居間の家族全員の予定が書き込まれているカレンダーの、終業式の翌日の日程に「お昼から買い物」と書き足す凛々子に、凛々子の母は「あら」と声を掛けた。
「夏休み初日からお出かけ?」
「父さんの実家に遊びに行くでしょ。海辺だし、水着でも買いに行こうかなって思って」
「あなた、海に入るの、あんまり好きじゃなかったのに。珍しいわね」
意外そうに目を丸くする母に、凛々子は「そうかしら? 」と微笑んでみせた。
「去年とか、叔父さんとこの子たちは泳いでたし。今年は私も泳ごうかな、って思って」
「お父さん、帰ってきたらびっくりしそうね? 凛々子がそんなアクティブなんて。好きな男の子でもできたの?」
「まさか」と凛々子は微笑む。
「父さんが単身赴任中に不安になることはしてないわよ?」
「ま、凛々子がお勉強もヴァイオリンも頑張ってるの、お父さんが一番知ってるものね。自分が凛々子の一番のファンだからって、電話で言ってたわ」
「秋の発表会と演奏会は、父さん来れないんだっけ。……紹介したい友達がいるんだけど」
凛々子の母が、「まあ」と顔をほころばせる。
「お友達って、男の子かしら?」
「違うわよ。最近、私が学校で教えてる吹奏楽部の女の子。コントラバスを弾いてるの」
「なあんだ。あなた、浮いた話はひとつもないのねえ」
残念そうな母親に、凛々子は緩くウェーブの掛かった長い黒髪を軽く掻き上げる。
「そうでもないわよ? 告白されたことなら、中学から何回かあるわ。全部断っちゃったけど。あ、父さんには内緒ね」
「もう。生意気になってきたわね」
母親にくすくすと笑われながら、凛々子は終業式の翌日のことを早くも思い描いていた。
(千鶴さんと二人で出かけるの、初めてなのよね。未乃梨さんに知られたら、嫉妬されちゃうかしら)
凛々子は、夏休み最初の予定を思い浮かべて、早くも愉快な気持ちになっていた。
終業式の翌日、千鶴は正午の三十分ほど前から落ち着かない気持ちで紫ヶ丘高校の最寄り駅で待っていた。
(……今日の私、変じゃないかなあ)
千鶴は改札の内側にある、駅のトイレの鏡に映した自分の姿を見ながら、少しばかり不安になっていた。
このところ、千鶴は母親から服装については、発表会用のスカートを買って以来「そろそろ女の子らしい服にも慣れたら」と勧めてくることが多い。それでも、未乃梨のいない凛々子と二人きりの外出でスカートを穿いてくるのは何故かはばかられた。
いよいよ伸びてきた千鶴の髪は高めの位置で結ってもテールの形が決まるようになってきていた。一方で、今日の千鶴の服装は中学時代から着回しているタンクトップと半袖のメンズのアウターにデニムのパンツと、特に後ろ姿は遠目には男の子に見えなくもない。
(結局、メンズ寄りコーデで来ちゃったけど……水着を買いにお店に入った時に浮かないかなあ)
そう考えあぐねてトイレから出てきた千鶴を、よく知っているアルトの声が呼び止めた。
「千鶴さん、ずいぶん早かったのね」
改札を通ってきた凛々子が、千鶴に近寄ってきた。
薄手で紺色のオフショルダーのワンピースの肩口には黒いストラップが片方に二本ずつ見えていて、軽い生地を二枚重ねのレイヤードにしたスカート部分や足元のストラップサンダルと合わせてずいぶんと大人びて見える。緩くウェーブの掛かった長い髪も、今日はバレッタで結い上げてうなじがあらわになっているのが、千鶴には少しばかり眩しい。
「あ、凛々子さん。どうも」
「今日はパンツルックなのね。あなた、可愛いスカート持ってなかった?」
「その……、今日はパンツの気分だったんで」
「メンズコーデの千鶴さんも可愛いけどね。それじゃ、行きましょう」
凛々子はまるで当たり前のように、並の男の子より大きな千鶴の手を取った。
学校の最寄り駅を三つ過ぎた街中に近い駅で、千鶴は自分より顔ひとつは背が低い凛々子に手を引かれて降りた。凛々子が所属する、星の宮ユースオーケストラの演奏会を聴きに行ったディアナホールからも近い。
千鶴は、少しばかり落ち着かない様子で街を見回した。
(この辺って、確か高校に入ってすぐに未乃梨と一緒にスカートを買いに来た辺りじゃなかったっけ)
見覚えのある街中で、凛々子に手を引かれる千鶴はやはり目を引いた。千鶴がメンズ寄りのコーデで凛々子が大人びた夏物のワンピースでは、遠目に見れば身長差のある男女のカップルのように見えなくもない。
「千鶴さん、この辺りで服とかを買えるお店ってご存知かしら? 私、オーケストラの練習でここは結構通るのだけれど、流石にショップとかは詳しくなくて」
自分を見上げて尋ねる凛々子に未乃梨が重なって、千鶴は内心でどきりと身がすくむように感じる。
「この辺りだと……やっぱり、あそこかなあ」
街中のあちこちを見回して、千鶴は見覚えのあるショップに凛々子を案内した。
(ここ、未乃梨とスカートを買いに来たお店なんだよなあ……他にお店とか知らないし、もうここでいいや)
内心で尻込みをしそうになる千鶴を気にも留めず、凛々子は「あら、良さそうね」と明るい声で千鶴を見上げる。
「じゃ、ここで探しましょうか。千鶴さん、どうしたの?」
「……いえ、何でもないです」
前回と違って店内に水着コーナーが特設されているショップの店内に、千鶴は及び腰になりつつ凛々子に手を引かれて入っていった。
(続く)




