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♯18

登校して朝の練習に向かう千鶴と未乃梨。音楽室には先客が。

その先客、クラリネットの高森が知る、普段の凛々子のこと。

 翌朝、千鶴(ちづる)は昨日のように早めの時間に未乃梨(みのり)と駅で待ち合わせて、同じように学校に向かった。

 ひとつだけ、様子の違ったことがあった。

 未乃梨は、昨日までは千鶴と歩く時は遠慮することもなく無邪気に千鶴の手を握ったり、腕を組んだりしてきたのだった。それが今日は、千鶴に「おはよう」と屈託なく挨拶をするところは変わらなくても、その次が違った。

 駅のホームで電車を待っているとき、未乃梨は少し背伸びをして千鶴の耳に顔を近づけると、「ねえ、いい?」と小声で尋ねてきた。

「いい、って何が?」

「手をつないでも、いい? ……昨日、あんなことしちゃったし、その」

 未乃梨は少しばかり思い詰めた表情で、千鶴の耳元で囁いた。千鶴は、未乃梨を落ち着かせるように微笑んだ。

「いつもしてるじゃない。今更ダメって言わないよ」

「……ありがと」

 ためらいがちに未乃梨の手が千鶴の手に触れて、そっと握ってきた。自分より一回りは小さいその手を、千鶴はそっと握り返す。未乃梨の表情から、張り詰めた緊張の色が消えた。その後に、それでも今までと違う別の表情の色が残っていた。

「未乃梨、何か嬉しそうだね」

「……だって、千鶴だもん」

 未乃梨は、少しはにかんで笑って見せた。


 朝の音楽室には、先客がいた。メッシュの入ったアシンメトリーのボブに、千鶴と未乃梨は見覚えがあった。

 高森(たかもり)が黒っぽくて四角いケースからクラリネットを出して、恐らく吹奏楽部とは関係のなさそうな曲を吹いていた。ヴィブラートをサックスを吹くように掛けたり、かと思えば音程をおどけたようにずり上げてフレーズをつないだりと楽しげなメロディラインを吹いている。

 ひとしきりクラリネットを吹き切ると、高森は音楽室の後ろの方コントラバスを準備し始めた千鶴と、その近くで自分のフルートケースを開けた未乃梨に「お、朝から早いね。おはよう」と声を掛けた。

「ちょうど良いや、金曜日に前に配ったマーチを木管だけで合わせるから、そのつもりでね」

「木管だけ……分奏ってことですか?」

 未乃梨が首を傾げて、その隣で千鶴が頭の上に疑問符を浮かべた。

「未乃梨、ぶんそう、って何?」

「同じ種類の楽器だけで合わせる練習だよ。木管だけなら、フルートにクラリネットとサックスと――」

「ああ、今度の木管分奏はベースの江崎(えざき)さんも参加してね。木管だけじゃ低音が足んないから」

「え?」

 千鶴は未乃梨と顔を見合わせた。二人に構わず、高森は続けた。

「他の初心者の子にも合奏に早く慣れて欲しいし、何よりリズム打ちは金管と打楽器がいないと江崎さんのベースだけしかほとんどいないようなもんだから。宜しくね」

 高森はそこまで伝えると、自分の練習に戻ってしまった。再び吹き始めたクラリネットから、千鶴ですらどこかで聴いたことがある旋律が流れてくる。

「これ、『A列車で行こう』だ。高森先輩、ジャズもやるんだっけ」

 未乃梨は組み立てたフルートを構えると、コントラバスと弓の用意を済ませた千鶴を見た。

「じゃ、始めましょうか」

「うん」

 短く息を吸い込んだ未乃梨の動作に続いて、千鶴の弓が動いた。


「スプリング・グリーン・マーチ」の合わせは、思いがけない形で進んだ。千鶴のコントラバスに乗って軽快に進む未乃梨のフルートの旋律に、透明でやや低い音が付き従った。

 その音は千鶴のコントラバスと未乃梨のフルートの間を滑るように流れて、盛り上がる時は未乃梨のメロディに重なり、静かな部分では千鶴が弦をはじくピッツィカートの合間に音を小さく入れて二人の合わせをまとめていく。

 いつの間にか、千鶴と未乃梨の合わせに高森がクラリネットで入ってきていた。先ほどまで吹いていたジャズのともすれば奇をてらうような吹き方ではなく、二人の邪魔をしないような真っ直ぐな吹き方で合わせにこっそりと混ざっていた。

 高森は「スプリング・グリーン・マーチ」が最後まで通ると、千鶴と未乃梨に親指を立ててみせた。

「二人とも、息ぴったりだねえ。江崎さんも、初心者なのにもうここまで仕上げてきたんだね。すごいや」

「いやあ、それほどでも」

「謙遜はいいよ。私も江崎さんのこと、子安(こやす)先生から任されてたのに、練習見て上げられてないからさ」

 何故か自慢げな様子で、未乃梨が高森に胸を張った。

「千鶴、すっごく頑張ってるんですよ。二年生の仙道(せんどう)っていうヴァイオリンが弾ける先輩に教わってるし」

「へえ、仙道さんと知り合いなんだ? あの美人と?」

「え?」

 未乃梨が、呆気に取られて気の抜けた顔をした。

「彼女、私と同じクラスだよ。ヴァイオリンをやってるのは知ってたけど、まさか江崎さんを教えてたとはね」

「あの美人、って、仙道先輩、有名なんですか?」

 未乃梨に代わって、千鶴が高森に尋ねた。高森はさして特別でもないように答えた。

「有名っていうか、男子連中からは妙に人気があるかな。誰にも優しくて親切だから一年生の頃から勘違いした奴から何人かに告白されては断ってて、難攻不落って言われてるけど」

「仙道先輩、意外ですね……」

 未乃梨は目を丸くした。その未乃梨より顔ひとつ以上は背の高い千鶴を見上げながら、高森は「ふむ」と嘆息してみせた。

「その仙道さんに放課後に楽器を教わってるイケメンがいるってうちの男子が知ったら、みんな驚くだろうなあ? しかもその子が並の男子より背の高い女の子、だなんてねえ」

「ちょっと高森先輩! 千鶴は誰にもあげませんからね!?」

 真っ赤になって慌てる未乃梨に高森は「おやおや」と苦笑し、千鶴は「未乃梨、落ち着いて? ね?」と冷や汗をかいた。


(続く)

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