♯175
凛々子の所属するオーケストラで弾いてみたい、と話す千鶴に少なからず衝撃を受ける未乃梨。
紫ヶ丘高校のコンクールの結果を知っても未乃梨の心は晴れ切らず……。
千鶴のためらいながらの言葉に、未乃梨は表情を凍らせた。
(凛々子さんのオーケストラって……!? それって、どういう……!?)
表情が固まる未乃梨の一方で、植村は「なるほどねえ」とさして驚いた様子もない。
「……オーケストラ、か。まあ、仙道さんに教わってたら、興味は持って当然かもねえ」
植村は、何故か更に声をひそめた。
「……正直、江崎さん、紫ヶ丘の吹部に入って良かったと思うよ。子安先生、部活以外で部員が活動するの、応援してくれるし」
「……他の高校だと、違うんですか?」
恐る恐る尋ねる千鶴に、植村は困ったような顔をしてみせた。
「……困ったことにそういう学校もあるねえ。部員にオーケストラどころか、クラシック音楽を聴いちゃいけないって禁止してる吹奏楽部だってある。そういうとこは当然ジャズとかポップスにも理解がないから、玲みたいな部員がいたら居心地は悪いだろうね」
「……部員全員が、テューバの蘇我さんみたいな……?」
苦い顔をする千鶴に、植村は手を小さく振って打ち消す。
「……蘇我さんは純粋に無知と偏屈が過ぎただけだけど、部員をコントロールするためにそういうタブーを作っちゃう吹部もたまにあるのさ。練習中に水分補給を禁止してた大昔の運動部みたいな話だけど」
運動部、という単語に千鶴は清鹿学園や竜崎商業の、ひたすら大きな音をぶつけてくることに終始する演奏を思い浮かべる。
「……私が中学の時に助っ人に行ったバスケ部とかバレー部ですら、休憩と水分補給とストレッチは常識でしたけどね」
「……子安先生も、そういう部活を目指してるんだと思うよ。江崎さんも、そういう外での活動ってどんどん挑戦してけばいいと思う。オーケストラなら、吹奏楽じゃできないこともたくさん勉強できるだろうしね。小阪さんも、そう思わない?」
「え? ……その、私……」
植村に問われて、未乃梨は固まった表情を慌てて取り繕った。コンクールの県大会に出場する高校の発表を前に静まり返っているホールの雰囲気の中で、思わず少し大きな声が出てしまう。
「……私は、千鶴が上手くなってくれるなら、嬉しいけど――」
戸惑う未乃梨の頭上を、ホールのそこかしこから上がる歓声が通り抜けた。審査員長が再び現れて、舞台の上に残った、金賞を受賞した高校の代表者の前で客席に告げる。
「それでは、金賞を受賞された高校のうち、今から代表に選ばれた高校を発表いたします」
歓声が静まり返り、期待と不安の混ざった緊張がホールの客席のそこかしこに染み渡っていく。
「市立桜田高校、清鹿学園高校、県立紫ヶ丘高校、千石大学教育学部付属高校、県立竜崎商業高校。以上、五校が代表として選ばれました」
ホールの中に満ちていた静寂が、興奮を帯びた歓声と拍手に一気に燃やし尽くされていく。千鶴や未乃梨や植村の周りの座席に座っていた生徒たちは、声を上げてはしゃぎ出したり、席を立って抱き合ったり、顔を押さえて涙ぐんだりとそれぞれに喜びや悲しみを浮かべている。
未乃梨は、そんな周囲に吹き荒れる感情の嵐の中で、自分の心がどこまでも凪いでいることに気付いた。
(あれ? 私、どうしちゃったんだろう?)
右隣の席に座っている千鶴が、植村と話しているのが、未乃梨には何故か妙に遠く感じる。
「植村先輩、紫ヶ丘、通ったんですね」
「ま、次の県大会もいつも通りにやるまでさ。江崎さんも来年は頑張んなきゃね」
「あ、私はその前に、九月に未乃梨と発表会があるからそっちも」
未乃梨は、千鶴の「発表会」という言葉に顔を上げた。
(……私、発表会で千鶴の伴奏もあるんだっけ。その発表会、凛々子さんもヴァイオリンで出て、私が県大会の練習をしてる間にまた凛々子さんが千鶴の練習に付き合ったりするの……?)
これからのことを思うと、未乃梨はコンクールに通ったことを素直に喜べる自信すら無くしそうになる。
そんな未乃梨に、千鶴から屈託のない声が掛けられた。
「未乃梨も、コンクール通過おめでとう!」
「あ……うん、ありがと」
「小阪さん、どうしたの? 感激で声も出ないって感じ?」
混ぜ返すように笑う植村に、未乃梨は慌てるように顔を横に振る。
「その、そんなんじゃなくて――」
「こりゃあ、夏休みは忙しくなりそうだね。玲とかと一緒にプールもあるしさ。私、江崎さんと小阪さんの水着、楽しみなんだよねえ」
「ちょ、ちょっと植村先輩!? 千鶴をそんな目で見てたんですか!?」
急に声を荒げる未乃梨を、千鶴がなだめた。
「未乃梨、落ち着いて。あと植村先輩、私の水着姿なんて、大したことないですよ?」
「謙遜しちゃって。江崎さん、身長もあるしスタイル良いのにねえ?」
軽口すら叩いてみせる植村が、千鶴と未乃梨を等分に見た。
「そうそう、毎年コンクールの地区大会の後は休みがあるし、そこでプールに行こうか。県大会の前祝いも兼ねて、さ」
どこまでも気楽そうな植村に、未乃梨は「もう、先輩ったら」と小さくため息をつくのだった。
(続く)




