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♯171

コンクールの結果発表が近づく頃、千鶴と未乃梨を見つけて話しかけてきた植村。

ユーフォニアム以外にもピアノなどの経験も豊富な植村の四方山話に聞き入る千鶴に、未乃梨はとあることに気付いて……。

 コンクールの最後の演奏順の高校がステージをはける頃になって、やっと未乃梨(みのり)の震えは治まってくれた。

(……そうよ、千鶴(ちづる)は吹奏楽部員なんだもの。部活の外で凛々子さんと演奏することなんて、そうそうあるわけがないじゃない)

 ホールの客席には、他校の吹奏楽部員が続々と入ってきている。そろそろ、結果発表の時間だった。

「おー、二人ともここにいたんだ?」

「あ、植村(うえむら)先輩……」

 未乃梨が顔を上げると、ユーフォニアムの植村が未乃梨と千鶴の顔を等分に見ながら、にっこりと口角を上げた。

「今年は色々と面白かったねえ。付属のやった曲も面白かったしね。あ、江崎(えざき)さん、隣いい?」

「どうぞ。多分空いてますんで」

 植村は「んじゃ、失礼」と片手拝みをしながら、未乃梨と反対側の千鶴の右隣に座った。

 未乃梨は「そういえば」、と植村に尋ねる。

「付属高校がやった『六声のリチェルカーレ』っていう曲、何だか凄かったですね」

「そりゃあ、あのバッハが王様に無茶振りされて作ったみたいな曲だからねえ」

「無茶振り? それってどういう?」

 未乃梨が首を傾げて千鶴越しに植村を見た。千鶴も、未乃梨の視界を遮らないように顔だけを植村に向ける。

「その王様、変なことしたんですね?」

「まあ、そういうことを思いつくぐらい出し、その王様も音楽家としてはそこそこだったみたいね。もしかしたら、小阪(こさか)さんなら、知ってるかな」

 植村に振られて、未乃梨はきょとんと目を丸くした。

「誰だろう……? バッハに無茶振りって」

「バッハって、日本でいったら江戸時代の真ん中ぐらいの時代の人でしたっけ?」

 少し考え込む千鶴に、植村は「大体正解かな」と頷いた。

「多分世界史で習うと思うけど、その頃のプロイセンっていう国の王様がその無茶振りの張本人だったみたいだね。フルートの名人でもあった、フリードリヒ二世だよ」

「あ、聞いたことあるかも。確か、マリー・アントワネットのお母さんと領地争いしてた人だったような」

 未乃梨は、今度は千鶴の口から出てきたことに目を見開いた。

「千鶴、そういう歴史とかって詳しい方だっけ?」

「中学の時、歴史の先生が雑談好きだったじゃない? フランス革命のところでそういうのをちょいちょい授業で話してたよ」

「……あー、私全然覚えてないや」

 肩を落とす未乃梨に、「まあまあ、高校で取り返しゃいいよ」と植村は笑う。

「そのフリードリヒ二世がバッハに、今から作るテーマで曲をアドリブで作ってみろ、っていう無茶振りみたいな注文で出来たのがその『六声のリチェルカーレ』だよ。私の習ってるピアノの先生が、昔勉強したことがあるって言ってたね」

「あれ? 『六声のリチェルカーレ』、本当はピアノの曲なんですか?」

「半分当たりで、半分はずれ。鍵盤楽器で一人で弾けるけど、まずバッハの時代にピアノは生まれてないし、バッハの楽譜には何の楽器で弾くか指定がないんだ。だから、吹奏楽でやるのもある意味で正解、ってわけ」

「てことは……オーケストラとかでも?」

「確かあったはずだね。もしかしたら江崎さん、卒業してからも弦バスを続けてたら、どこかで弾くかもね。そうそう、――」

 植村の話す「六声のリチェルカーレ」の解説を、千鶴は頷きながら聞いていた。聞き上手で飲み込みも早そうなその姿は、どこか未乃梨のよく知る千鶴の姿とは違う面が見えているような気がする。

 再び、先程の肩の震えが起こりそうな気がして、未乃梨は再び自分の腕を抱くように押さえた。それは、どちらかといえばいらない心配ではあった。

(あれ? 私、千鶴が植村先輩と話していても、そんなに嫌じゃない……? でも)

 先程から、千鶴は未乃梨をそっちのけで植村の四方山話に近いバッハと「六声のリチェルカーレ」にまつわる話を聞いている。未乃梨は、千鶴が話している相手が植村だというだけで、安心してしまえていた。

(植村先輩の楽器は管楽器のユーフォニアムで、普段は合唱部にピアノを弾きに行ったりしてるから、千鶴に近づいたりしないもんね……でも、千鶴ってそんなに弦バスと関係なさそうなことまで、興味があったの?)

 その疑問は、再び未乃梨に影を落とした。

(……私、もしかして千鶴のことで知らないこと、結構あったりするの!? 中学の頃に知り合って、高校に入ってからも教室でほとんど一緒なのに!?)

 そのわずかな動揺で、未乃梨はすぐ近くに座っていながら植村が話している内容が全く頭に入ってこなかった。

「――という訳でまあ、バッハって乱暴に説明しちゃうとバンドリーダーみたいな感じだったんだね。……お、そろそろ結果発表かな」

 植村が舞台に現れたコンクール実行委員に顔を向けた。ホールの客席に漂うざわめきは、窓を開けた部屋から線香の煙が流れていくように急速に静まり返っていく。

 緊張が高まる空気の中で、未乃梨は別のことを考えていた。

(コンクール、地区大会を通っても通らなくても、私、どんな顔をしていいか分からないかも……まさか、千鶴のことでこんなに悩むなんて……!)


(続く)

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