♯167
課題曲で風変わりにも思える演奏を聴かせた付属高校の自由曲は、「六声のリチェルカーレ」という耳なれないものだった。
それをホールの客席で聴く未乃梨と千鶴が考えたことは……。
演奏前に楽器にミュートを取り付けている付属高校のトランペットやトロンボーンのパートに、客席から決して小さくないどよめきが上がった。
どうやら、付属高校の小さな編成や、課題曲の「シルフィード・マーチ」で聴かせた吹奏楽のコンクールらしからぬ音量に頼らない繊細な演奏スタイルに意表を突かれたのは、 千鶴や未乃梨だけではなかったようだった。
それでも、付属高校の生徒らしいボタンのない黒い詰襟姿の少年は、全く気負った様子もなく、指揮棒を譜面台に置くと両手を自分の目の前に掲げる。
千鶴は少しばかり奇妙に思いながら、詰襟姿の少年をじっと見つめた。
(あれ? 何にも持たないで指揮をすることって、あるのかな? っていうか、付属高校がやる曲、何か不思議なタイトルだけど……?)
パンフレットには、付属高校の自由曲は「『音楽の捧げもの』から六声のリチェルカーレ」と、とっつきにくそうな曲名が表示されている。ますます奇妙に思う千鶴をよそに、その付属高校の「六声のリチェルカーレ」の演奏が始まった。
「六声のリチェルカーレ」は奇妙な形で始まった。あの、丸いミュートを差し込んだトロンボーンで、びりついた音で何かを考え込むような旋律がソロで吹かれる、かに見えた。
その考え込むような旋律は、片手で数えられるほどの音符をトロンボーンが吹くと、すぐにミュートを付けたトランペットの細く絞られた音に引き継がれてしまう。
「六声のリチェルカーレ」の考え込むような旋律は、フルートやオーボエといった木管楽器にも細切れのような形で引き継がれて、本来なら一つの楽器が演奏してもよさそうなひとまとまりを複数の楽器がつぎはぎを当てた布のようにつなげて演奏してしまう。
その、音符単位で細切れにされて違う楽器同士で繋がれた旋律は、フルートとオーボエ、アルトサックスとクラリネット、ファゴットとユーフォニアムといった似た音域の楽器の組み合わせで細切れにしたフレーズを分け合ってつぎはぎにしては重ねられて、一つの流れを生み出していく。
細切れにされたフレーズに、未乃梨は最初怪訝に思いかけて、聴き進むうちに背筋を正した。
(付属高校の人たち、信じられないぐらい音が綺麗……それに、どのパートもフレーズがぶつ切りでバラバラなのに、どうしてこんなにフレーズが正確に流れるの? テンポだって揺れてるのに)
付属高校の演奏する「六声のリチェルカーレ」は、どのパートも端切れのような旋律の断片を他の高校とは一線を画す美しい音で演奏していた。
時折考え込むような旋律に楔を打ち込む弱音のティンパニや、木管楽器のモティーフの狭間に隠れて入るグロッケンシュピールのような打楽器ですら、まるで熟練したピアニストが弾くコントロールの効いたタッチの打鍵のように、発音の際の衝撃を感じさせない抑制の効いた音で演奏している。
管楽器も打楽器も、付属高校の吹奏楽部は決して高度な技術を求められるようなことはしていなかった。清鹿学園の定規で測ったような音の揃い方も、指の回りを求められるようなフレーズも「六声のリチェルカーレ」には出てこない。
(付属高校の人たち、難しいことは何もしてないけど……私、あんな風に綺麗に演奏できないかも)
端切れの布や糸くずのような旋律の断片が寄せ集められたような「六声のリチェルカーレ」は、いつしか蝶や草花の紋様を刺繍したシルクのスカーフのような、表現に過不足のない纏まった美しさを描きだしていた。
未乃梨は、そっと隣の客席に座る千鶴の様子を伺った。千鶴は、微動だにせずに舞台の上の付属高校の演奏に聴き入っている。
(付属高校には弦バスはいないのに……やっぱり、千鶴もここの演奏が凄いって感じたんだ)
真剣に「六声のリチェルカーレ」に聴き入る千鶴の横顔に、未乃梨の胸の奥がすっと温かなもので満たされていく。
(千鶴、今、私とおんなじことを感じてるの? だとしたら、……嬉しいな)
「六声のリチェルカーレ」は、つぎはぎに思えた旋律の断片が、完全に繋がった形でいくつもの管楽器で幾重にも重ねられて、彩りと深みを増していく。
(もし、千鶴が私と同じように、この演奏が凄いって思ってくれるなら……今年は一緒に出られなかったけど、来年のコンクールは同じステージでいい演奏、できそうだよね)
未乃梨はもう一度、千鶴の横顔を横目で見た。いつになく純粋さを感じるその表情が、未乃梨には愛おしく感じられはじめている。
(……千鶴を吹奏楽部に誘って、よかったな。中学の頃はかっこよくて優しいクラスメイトだったけど、今は一緒に音楽をやってくれる部活の仲間なんだもの)
未乃梨の視線に気付くこともなく、千鶴は「六声のリチェルカーレ」を聴きながら、自分の中の決して多くはない音楽経験を頭の中でかき集めていた。
(この、「六声のリチェルカーレ」って曲も、前に「あさがお園」でやった「主よ、人の望みの喜びよ」とかパッヘルベルの「カノン」とどっかで繋がってるのかな)
千鶴の中で、複数の旋律が同時に動いているように聴こえる「六声のリチェルカーレ」に、既視感と全く知らないものに触れた時の戸惑いが同時に浮かび上がっている。
取り留めのない思索を千鶴はなんとか保留した。こういう考え事を話せそうな相手は、今の千鶴には一人心当たりがあった。
(もしかして、そういうことって凛々子さんなら詳しいのかな)
(続く)




