♯164
昼休憩の後で未乃梨に付属高校の演奏を聴きに行かないかと勧められる千鶴。
連合演奏会でも千鶴の印象に強く残ったその付属高校は、随分と他の高校とはかけ離れた演奏をしそうで……?
パンフレットに書かれた付属高校の校名を見て、千鶴は連合演奏会のことを思い出した。
(県内の国立の大学の付属高校……正式名称が千石大学教育学部付属高校、っていうんだ)
やっとのことで昼に買った惣菜パンをひとつ呑み込んだ千鶴に、未乃梨も顔を寄せてパンフレットをのぞき込む。
「連合演奏会で清鹿の次に演奏したところだよね? 確かうちより人数が少なくて、清鹿の演奏が終わってから、客席がガラガラになっちゃってたけど」
「……でも、付属高校の演奏、上手く言えないけど、何か良かったよね」
「千鶴も、やっぱりそう思う?」
未乃梨は千鶴の袖を引っ張った。
「私、ちょっと気になる事があって、付属の演奏、千鶴と聴きに行きたいんだ」
「何でまた? 私で分かることとか、あるかなあ」
リボンで結った伸びかけのショートテイルの髪の根元を搔く千鶴から、未乃梨はバスの中へと視線を移した。中にいる部員は、コンクールで演奏しなかった千鶴のような初心者の一年生を含めても、全部で四十と何人かといったところだろう。
「紫ヶ丘ってさ、吹奏楽部としては人数少ない方なんだよね。清鹿みたいな強豪に比べたら六割ぐらいだし。でも、少ない人数ですごくいい演奏ってできたらいいと思わない?」
「確かに。……付属の演奏、そうだったよね」
千鶴は少しだけ言い淀んだ。少人数での演奏、ということで、千鶴の頭の片隅を一瞬だけ別のことが通り過ぎていく。
(少人数での演奏って、「あさがお園」でやったみたいな五人ぐらいでお互いのことをずっと見あったり聴きあったりしながら進めるっていうのも入るのかな)
そこまで考えて、千鶴は未乃梨が自分を見ていない隙に顔を振ってその考えを頭から追い出した。
何故か、今日の千鶴は紫ヶ丘高校のコンクールの出番が終わってから、凛々子につながることをあまりに簡単に思い出してしまっていて、それがすぐ横のバスの座席に座っている未乃梨に対して後ろめたい気持ちが千鶴の身体の奥でざわついてしまう。
未乃梨は千鶴のおかしな様子に気付くこともなく、もう一度千鶴の顔をじっと見つめてくる。
「来年は千鶴もコンクールメンバーなんだし、勉強にもなると思うから、この後の付属の演奏、一緒に聴きに行こうよ?」
「……うん、そうだね」
内心で未乃梨が自分の様子を気にかけていなさそうなことに安堵しつつ、千鶴は冷たい汗をかいた。
(さっきは演奏中の未乃梨を見てたら凛々子さんを思い出しちゃうし、今度は凛々子さんと一緒だった「あさがお園」の本番のことを思い出しちゃうし……私、何考えてるんだよ)
千鶴の顔が微かに熱を帯び始めていた。
学校での個人練習のあとでヴァイオリンケースを肩から提げている凛々子の手を預かって階段を下りたり、下校時に三人の中で最も背の低い未乃梨を千鶴と凛々子で挟んで親子連れのような絵面で歩いたり、つい先日に至っては音楽室から聴こえる合奏練習に合わせて、凛々子と手を取り合ってワルツのステップを踏んでみたりと、千鶴には未乃梨の知らない凛々子とのことが増えてきている。
(私、未乃梨に「カノジョになりたい」なんてことまで言われたりしてるのに……)
整理の付かない、未乃梨には話しにくいことをいくつも思い出してしまった千鶴を、その未乃梨が明るい声で促す。
「そろそろ行こっか? もういい時間だし」
未乃梨に袖を引かれて、千鶴はセシリアホールの中へと入った。付属高校の前の出番のどこかの高校が舞台から丁度はけ始めたところだったらしく、千鶴は未乃梨に制服のブラウスの半袖を引っ張られながらホールの客席についた。
舞台の上に入ってきた付属高校の吹奏楽部は、連合演奏会時より更に人数が少なくなっているように思われた。
木管楽器はフルートとオーボエとファゴットが一人ずつにクラリネットが五人ほどとサックスが三人、金管楽器は一人ずつしかいないユーフォニアムとテューバを除けばあとはトランペットとホルンとトロンボーンが二人ずつで、打楽器もティンパニと小物を兼任する一人と小太鼓やシンバルなどを担当する移動の多そうな二人という、他の出場校より明らかに少ない人数が舞台の上で配置についている。
「嘘でしょ……? あんな少人数で?」
千鶴の隣で、未乃梨は絶句しかけていた。
「課題曲、ちゃんと演奏できるのかしら?」
「どうなんだろうね。……でも付属の人たち、何か自信たっぷりっていうか」
千鶴には、付属高校の吹奏楽部員が、コンクールの舞台の上でも堂々と振る舞っているように思えたのが気になった。
堂々と振る舞っているのは、付属高校の指揮者も一緒だった。どうやらコンクールで指揮台に立つのは顧問ではなくて部員らしく、制服らしいボタンのない黒の詰襟を着た男子生徒が、まるで物怖じもせずに指揮台に上がっていく。その様子に、ホールの客席のそこかしこがどよめき出した。
千鶴も、思わず未乃梨と顔を見合わせた。生徒を指揮者に据えたあまりに少人数の付属高校の演奏が、始まろうとしていた。
(続く)




