♯159
コンクールの清鹿学園の演奏について、思うところができてしまう未乃梨。
そして紫ヶ丘高校の出番で、未乃梨の思いはしっかりと固まって。
清鹿学園が演奏している「吹奏楽のための交響的素描」に、セシリアホールの舞台袖でフルートを手にして待機している未乃梨はのめりこめずにいた。
(どうしてだろう。中学の時に同じ部活だった子が何人か今ステージで吹いているはずなのに)
清鹿学園の吹奏楽部が強豪と呼ばれていることを未乃梨は中学生の頃から少なからず知っていたはずだった。
(清鹿の演奏は凄いってあの頃は思ったし、今聴いている演奏だって私たちがどんなに頑張っても届かないレベルなのに……どうして?)
今自由曲を演奏している、エンブレムが胸ポケットに入った黒いジャケットの清鹿学園の規律正しい豪快な演奏に、中学生の頃の未乃梨も何度か憧れていた。それが今、未乃梨の中でうっすらと疑問符を付けられつつある。その理由は、演奏を聴き進めるうちに未乃梨をとある思考に導いた。
(清鹿のフォルテは凄いけど……どっちかって言ったら乱暴な強さなんだ。フォルテとかフォルティシモって、石を投げるみたいな音ばっかりじゃないはずなのに……あっ)
未乃梨の頭の中に、千鶴と聴きに行った星の宮ユースオーケストラの演奏会が閃いて消える。そのプログラムの後半で演奏された、シューベルトの交響曲「グレート」を、未乃梨は思い返した。
(星の宮ユースオーケストラのフォルテは、清鹿みたいに石とかコンクリートをぶつけられるような音じゃなかった。もっと優しかったり、温かかったり、頼もしかったり、表情も色々で――)
吹奏楽とオーケストラでは編成も曲の演奏のしかたも何かしら違う約束がありそうなことは、未乃梨も薄々は勘付いていた。それでも、未乃梨には今自分たちの前に演奏している清鹿学園の音に、何らかの違和感というか疑いに似た何かを覚えずにはいられない。
(余計なことを思うのはやめよう。もうすぐ、私たちの出番なんだから)
清鹿学園の「吹奏楽のための交響的素描」は、最後の打ち上げ花火のようなきらびやかな和音を誇示するように幕を閉じた。その曲の終わり方と、客席からの大きな拍手に度肝を抜かれたような他の部員に、ユーフォニアムを抱えた植村が声を掛けて回る。
「ほら、転換急いで。清鹿が出たらメンバー外の一年生は打楽器を配置してね」
紫ヶ丘高校が現在いるのとは反対の、上手の舞台袖へと整然とはけていく清鹿学園の吹奏楽部を見ながら、アルトサックスを抱えた高森も一年生の部員に小声で指示を出していく。
「さ、行くよ。私らはいつも通りにしてりゃいい」
その言葉に、ティンパニを搬入を手伝う千鶴も、舞台上手の端に座るテューバの蘇我も顔を上げた。舞台からはけていく清鹿の黒いジャケットに、普段から着ている紫ヶ丘の夏の制服が見劣りしているように思えていた蘇我は背筋をしゃんと伸ばした。
(行くか。今の私は紫ヶ丘の吹奏楽部なんだ)
意を決して上級生の新木の後に蘇我は続いた。その後にユーフォニアムやトロンボーンといった金管楽器の、続いてサックスやクラリネットやフルートといった木管楽器のパート員が舞台上に進み出ていく。
未乃梨はこれから自分たちが演奏する課題曲と自由曲のことを思い描いて、ゆっくりと息を吸い込む。
(高森先輩の言う通りだ。私たちは、いつも通り、私たちらしく演奏すればいい。前に演奏していたのが強豪の清鹿だったからって、怖がらなくたっていい)
ティンパニの配置が済んで舞台袖に引っ込んでいる千鶴に見送られながら、未乃梨は舞台に踏み出した。着慣れた半袖のブラウスとスカートの制服は、今の未乃梨にはいっそ誇らしくすらある。
顧問の子安が最後に舞台に現れて指揮台に立って、紫ヶ丘高校の吹奏楽部の演奏が始まった。
課題曲の「スプリング・グリーン・マーチ」の前奏でトランペットとホルンが勢いよくファンファーレで飛び出て行くのを、ユーフォニアムとテューバが支えていく。その低音に、千鶴のコントラバスの目立たないながら舞台の隅々まで届く穏やか音が混ざっていないのが、未乃梨にはやはり残念ではあった。
(仕方ないよね。でも、今年は今年)
マーチの主部に入ってクラリネットからフルートに受け渡された主旋律を、未乃梨はしっかりと引き継いだ。
一番フルートを吹く未乃梨の上体がフレーズの区切りでやや大きく揺らいで、主旋律をサックスに引き継がせた。いつかの合奏での各パートでのテンポ間の狂いが、今日は楽器の音色の違いによる美しい揺らぎに変わって、マーチの流れを導いていく。
紫ヶ丘高校の演奏するマーチは、野の草花をまとめて作った即席のブーケのようにまとまっていった。それは、未乃梨が中学の頃に想像していた吹奏楽の響きとは少なからず違っている。
(でも、これが今の私たちと子安先生で仕上げた音。これが、私たちにしかできない演奏なんだ)
トランペットホルンやトロンボーンといった金管楽器群が賑やかにマーチの主部を締めくくる頃には、未乃梨はたったひとつのことを除いて演奏に集中しきっていた。
(……これで、千鶴の弦バスがいてくれたら百二十点の演奏になるのに、ね)
(続く)




