♯157
チューニングルームでどこか燻った思いを部活に向けている蘇我。
そんな彼女に、顧問の子安は意外なことを話して……?
チューニングルームに入ってから、テューバの蘇我は落ち着かなかった。
(清鹿の次がうちだなんて……全く、何でこんな演奏順なのよ)
蘇我も、楽器置き場にいたエンブレムの入った黒い演奏用ジャケットを身に着けている清鹿学園の一団を目撃していた。強豪と名高い私立高校の吹奏楽部で、規律も正しければプライドも高そうなのが、蘇我には途方もなく好ましく思える。
そんな清鹿学園に憧れて受験を希望した蘇我は、両親に「私立の部活は保護者の出費がかさむから」と許可してもらえず、今度は中学時代に好意を寄せていたテューバパートの先輩を追おうと思った。
ところが、その名前も思い出したくない先輩は、入学先の乾台高校でオーケストラ部に鞍替えしたことが発覚した挙げ句、楽器をホルンに転向するわ、弦バスを弾いている上級生の女子と付き合い出すわで蘇我は乾台高校の受験は考えないことにした。
結果、蘇我は自分の学力が届く範囲の公立では一番偏差値の高い紫ヶ丘高校を受験することになったのだった。
(全く、高校生になってからも部活でムカつくことばっかり)
蘇我はチューニングルームの外の楽器置き場にいる、自分より遥かに背の高い女子の後ろ姿を睨みつけるように見た。その、吹奏楽部よりバスケ部かバレー部にでも入れば良さそうな長身の女子が、最近伸びてきた髪をリボンで結っているのが癪に触る。
(江崎千鶴……何よ、あのでかいだけのムカつく女)
千鶴以外にも、蘇我の気に障る存在は何人もいた。
髪にメッシュを入れて耳にピアスを着け、サックスに専念せずにクラリネットを吹いたかと思えば軽音楽部にも顔を出している二年生の高森。
合唱部に頼まれたとかで音楽室でピアノを弾いていることもあるこれまた二年生の植村。
そして、吹奏楽部員でもないのに千鶴の面倒を見に頻繁に顔を出す、仙道凛々子とかいうヴァイオリンをやっている上級生らしい女。
吹奏楽部の活動とはまるで関係のなさそうなことがやけに目や耳にに入ってくる紫ヶ丘高校の吹奏楽部に、蘇我の気持ちはどこか燻っている。そのくすぶりの原因が、一部の部員や部外者を見て見ぬふりをしているとしか思えない、顧問の子安にあるのは火を見るより明らかだ。
蘇我は、チューニングの間、不満を積もらせたまま子安から目を逸らしていた。
チューニングの後で、蘇我はユーフォニアムを抱えている植村に捕まった。
「蘇我、ちょっといい」
「……何ですか」
本番前に呼び止められたのが不服でたまらない蘇我は、隠すこともなく顔をしかめる。
「あたしらにそういう態度を取るのは百歩譲って見逃すけどさ、子安先生の前でなに嫌そうに吹いてるわけ?」
「……そう見えました? 別にそんなつもりはありませんけど」
「あんたねえ――」
「ああ、植村さん。ここにいましたか」
呑気そうな声が植村の背後から投げかけられた。そののんびりとした声の主は、黒いスーツに黒いボウタイを締めた子安だった。
「子安先生?」
「高森さんが探していましたよ。そろそろ舞台袖にみんなを誘導するのを手伝ってあげてください。私もすぐに行きますからね」
あくまで穏やかな子安の目は、植村にこの場を自分に任せるように告げている。
「……分かりました。先生、お願いします」
立ち去る植村を見送りながら、子安は「さて」と蘇我に語りかけた。
「どうやら私は、蘇我さんを随分不安にさせてしまっているようです。まずはそのことを謝らなければいけませんね」
「あの……そういう訳では……」
口ごもる蘇我に、子安は続けた。
「いえ、蘇我さんが私をそう思ってもおかしくはないのです。私だって、部活の指導は毎日が試行錯誤だらけで、勉強が追いついていない言われれば間違いはないのですから」
「そんな……先生、私は別に……」
低姿勢な子安に、蘇我はかえってテューバを手にしたまま立ちすくんだ。
「ですが、これだけは信じてください。私は、部員の皆さんと一緒に勉強をしていく身であって皆さんから遠慮なく意見を言ってもらう立場です。蘇我さんも私に何か思うことがあれば、どうか、いつでも遠慮なく言って下さい」
どこまでも穏やかにそう告げる子安に、蘇我はたじろぐ他に何もできなかった。
「先生、どうしてそこまで……?」
「私は、指揮者や指導者というのは演奏者を従えるのではなく、ステージの上で対等に音楽を作っていく存在でなければいけないと思っているからです。今日のコンクールもそうですよ」
そこまで言うと、子安は蘇我を安心させるように穏やか微笑んだ。
「さあ、行きましょう。今日の演奏、みんなで良いものにしていきましょう」
「……はい」
蘇我は小さく頷いた。頷くことしか、できなかった。
(子安先生、どうして私なんかにそうやって話そうとするの? 顧問がそんなことするなんて……?)
小さな戸惑いを抱えて、蘇我は子安について舞台袖へと足を向けた。
(続く)




