♯156
他の高校に全く気圧された様子のない高森や植村といった上級生たちと、どこか緊張した未乃梨。本番前を過ごす三人を、千鶴は見守って……。
黒いジャケットの清鹿学園を奇妙に思う千鶴に、高森が自分のサックスのケースを手にしながら近寄った。
「楽器の見張り番、ご苦労さん」
「あ、どうも。……清鹿って学校、雰囲気が何だか凄いですね」
「まあ、強豪って呼ばれてる学校だからね」
高森は全く動じた様子もなかった。コンクールに出る紫ヶ丘の一年生が、どこか清鹿や他の制服ではないステージ衣装を身に着けている高校に何処かしら怯んでいるというか、浮足立っているのを見て、高森は「やれやれ」と苦笑してみせた。
「玲、やっぱり一年生の子たち、ビビってるね?」
ユーフォニアムのケースを提げている植村が、高森に耳打ちする。
「まあ仕方ないだろうけどね。ここで清鹿に飲まれてない一年生はいないよ」
高森は少し笑いながら、千鶴の肩に手を置いた。流石にコンクールでは高森のボブの髪に入ったメッシュは消えていた。両耳のピアスはいつも通りだが、どちらもサイドの髪で隠れている。
「高森先輩、髪とピアス、いつも通りじゃないんですね?」
「そうでもないよ? 髪の流れを変えて隠してるだけ。審査員はともかく他所の高校がたまに噛みついてくるからね」
高森は普段より四本ほど増えている細いヘアピンのうち、左のサイドの髪に入れている一本を指差した。よく見ると、黒い髪に隠れて黄色く脱色した髪が一筋隠されている。
「学校じゃ隠す必要もないしコンクールでも隠さなくていいんだけど、去年髪とピアスでよその生徒に絡まれてさ」
「……うわ。それ、大丈夫だったんですか?」
「聞こえないふりをして逃げたよ。お陰で――」
「良いウォーミングアップになったって言ってたよねえ、玲?」
植村が吹き出しそうになりながら高森を肘で小突いた。
「ま、去年は県大会には行けなかったけど、金賞は取れたし結果オーライさ。追っかけてきた連中は銅賞だったしね」
高森はどこまでも呑気そうに語る。その隣の植村も、気を抜いた様子こそないものの、他の高校に気圧された様子はなかった。
千鶴は、思わず二人に尋ねた。
「高森先輩も、植村先輩も他の学校とか気にならないんですか?」
「ま、気にしてもしょうがないよね」
植村が事もなげに言うと、高森がメッシュを隠した髪を掻き上げようとして手を引っ込める。
「清鹿も他の学校も凄いけどさ。でも例えばだよ?」
高森は清鹿学園とは別の方向に集まっている、二十人ほどの白い制服のシャツとありふれた黒いズボンや濃紺のプリーツスカートの一団を見た。
「あそこにいる付属高校、連合演奏会でもいたけど、あの少人数でしっかり聞かせる演奏って県内じゃあそこぐらいしかいない訳でさ」
うんうん、と植村も頷く。
「それに、今日は来てないっていうか来るはずもないけど、ジャズとかポップスやらせたら桃花高校に勝てる学校なんか多分ないよね?」
「そういえば……」
千鶴は連合演奏会で見かけた他の高校を思い出した。考えてみれば、付属高校や桃花高校のような個性的な演奏をする吹奏楽部もあるのだった。
「そういう訳で、江崎さんはとっとと小阪さんを励まして来るように」
高森に背中を押されて、千鶴は未乃梨を探しにいった。その後ろ姿を見送りながら、植村はくすくすと作り笑いをする。
「玲ったら、良いアシストするね?」
「ま、小阪さんは大丈夫だと思うけど、一応ね」
「……ところで玲、江崎さんって、小阪さんと教えに来てる仙道さん、どっちとくっつくと思う?」
急に声を潜める植村に、高森は眉を形だけしかめそうになった。
「……有希、今このタイミングでそれ言っちゃう?」
「……面白そうじゃん? 中学からの付き合いのフルートの美少女と、いっこ上のヴァイオリンのちょっと不思議な黒髪美人の両方とつるんでるんだしさ」
高森は更に声を潜めた。
「……順当に行くなら、小阪さんじゃないの? 学校の行き帰りは一緒らしいしさ」
「……じゃ、あたしは大穴いっとこうかな。個人練習にずっと付き合って教えてる仙道さんで」
「……私、駅前のカフェのカプチーノのホイップ増しを賭けようかな」
「……良いねえ。じゃ、あたしは学校の近くのバス停んとこのお好み焼き屋さんのデラックス焼きで」
「……好きな具を四つまで選べるやつじゃん。大きく出たね?」
「……ま、桃花の瑠衣と夏休みにプール行くじゃん? その時にどうなるか、よね。さて」
植村はすっと顔を引き締めた。そろそろチューニング室に向かう時間だった。
「金管の一年生は私が喝入れとくから、玲は木管の子たちをお願いね」
「了解。小阪さん以外は任しといて」
高森と植村は、それぞれの楽器ケースを手に分かれていった。
フルートケースを手にした未乃梨に、千鶴は声を掛けた。
「調子、どうかな。コンクールに出ない私が言うのも変だけど」
「そりゃあ、緊張するわよ。……でも、ありがと、千鶴」
「よかった……って、未乃梨?」
不意に、未乃梨が千鶴の手を引いた。
未乃梨は、他の部員から少し離れた場所まで千鶴を引っ張ると、並の男子より背の高い千鶴の陰に隠れるように千鶴に一瞬だけ抱きついて、すぐに離れた。
「千鶴、今日は私、頑張るから」
「……もう」
会場に入ってから初めて見る未乃梨の笑顔に、千鶴ははにかんだ。
(続く)




