♯152
顧問の子安の問いかけに、「キティ・ワルツ」をどう演奏すべきかアイデアを得る未乃梨。
その「キティ・ワルツ」の合奏が聴こえてくる中で、千鶴は凛々子にワルツを踊ってみることを提案されて……。
(小さな子が大人ぶる曲だとしたら……?)
子安からの問いかけに、未乃梨は考えを巡らせた。
(私が小さい頃だったら……お母さんが出かける前にお化粧してるのをじーっと見てたり、親戚のお姉さんみたいにおしゃれしてみたくて、早く大人になりたいって思ったり……もしかして)
そこまで考えて、未乃梨は恐る恐る挙手をした。子安が「おや、小阪さん、何か考えつきましたか」と未乃梨が座るフルートパートの方へと身体を向ける。
「もしかしたら、なんですけど」と前置きしてから、未乃梨は指揮台に座る子安に答えた。
「小さな子に喜んでもらうなら、この曲を大人と一緒に踊ってもらう、とかでしょうか? 『キティ・ワルツ』って、一応ダンスの曲だと思うし」
子安の問いかけにざわついてい音楽室が、少しずつ静まっていく。子安は、興味深そうに未乃梨に更に問いかけた。
「大人と踊ってもらう、なるほど。具体的にはどんな風に、ですか?」
「ええっと……女の子だったら、ちょっと背伸びして、ドレスに着替えてメイクとかアクセも選んでもらってとか?」
未乃梨の答えに、音楽室の中の空気は再びどよめいた。
サックスの高森やユーフォニアムの植村は、関心のありそうな様子で未乃梨の方を見ている。一方で、テューバの蘇我は未乃梨の発言を怪訝そうな顔で聞いていたが、隣に座る同じテューバの新木に睨まれてうつむいてしまっていた。
子安は合奏全体を見回してから、未乃梨に答えた。
「では、おめかしした小さい子が慣れていないドレスに着替えて踊っても、転ばないように演奏してあげなければいけませんね? そこで提案なのですが」
今度は、子安は木管パートの中ほどに陣取る、クラリネットパートの方を向いた。
「では、ドレスの裾を踏んでしまわないように、フレーズごとにまとめながら、もう一度やってみましょうか」
子安は、指揮棒をゆっくり掲げると、音楽室にいる部員全員をもう一度見回した。
千鶴は、凛々子に手を引かれて腰掛けていた空き教室の机から降りた。その千鶴に凛々子は正面から近寄ると、改めて千鶴の顔を見上げる。
「ちょうど今、吹奏楽部が音楽室でワルツの曲を練習しているわよね。私たち二人で、ここで踊ってみない?」
「踊るって、……どうやって、ですか?」
凛々子に手を取られたまま戸惑う千鶴の懐に、凛々子は半歩ほど踏み込んで近寄る。
「そう難しいものでもないわ。あなたが私を支えて、一小節ずつゆっくり回ればいいの」
凛々子は間近で向かい合った、自分よりずっと背の高い千鶴の右手を自分の背中に回させてから、左手を千鶴の右肩に置いて身体を寄せた。空いている自分の右手を千鶴の左手に預けてほんの数拍経った辺りで、音楽室の方から吹奏楽部が練習している「キティ・ワルツ」が流れてきた。
「さあ、始めましょう。一、二、三」
凛々子の囁くようなカウントの後で、千鶴はぎこちなく足を進めた。
千鶴は一小節ごとにステップを進めながら、気恥ずかしさで凛々子の顔から目を背けそうになりつつも、凛々子の足を踏まないか心配で正面を何とか向こうとする。
三拍ごとに回るたびに、預けられた凛々子の右手の細さや、自分が支えている凛々子の身体の重みに感じる千鶴の気まずさは、遠くから聴こえてくる音楽室の「キティ・ワルツ」の旋律がフルートに受け渡されて更に高まった。
(今、吹いてるのって……未乃梨だったらどうしよう)
その千鶴の顔を間近で見上げてくる凛々子の顔も、ゆっくり揺れる凛々子の緩くウェーブの掛かった長い黒髪から微かに漂う甘い香りも、その気まずさを煽り立てる。千鶴の頬がじんわりと熱を帯びて、胸の鼓動が強まっていく。
「キティ・ワルツ」の旋律が一段落した辺りで、凛々子は千鶴の動きをゆっくりと止めさせた。そのまま空き教室の机に千鶴の手を引いて、凛々子は千鶴を座らせた。
千鶴は凛々子の身体の感触とは別に残っている、三拍ごとに浮かんで流れるような感覚に戸惑っていた。
「あれ、……何かふわふわする」
「そのふわふわした感じ、こんなリズムで感じなかったかしら?」
凛々子は音楽室の外から聴こえてくる「キティ・ワルツ」に合わせて、右手で指揮棒を振るように、空中に円を描いた。
「あ、そういえば……!」
千鶴は身体に残る浮遊感が、凛々子が示している「キティ・ワルツ」のテンポに合わせて動いていることに気付いて、合奏の音が聴こえてくる音楽室の方を向いた。
「これが、ワルツよ。発表会でやるチャイコフスキーのとは少し違うけれど、何となくつかめたんじゃないかしら?」
凛々子は、千鶴の隣に腰掛けた。そのまま身を寄せる凛々子に、千鶴は顔を更に赤らめる。
「あの、凛々子さん、あの」
「さっき踊ってみて、私も少し疲れてしまったわ。いけないかしら?」
いたずらっぽく笑ってみせる凛々子を、何故か千鶴は拒めないでいた。
(続く)




