♯144
合奏で、改めて千鶴を見ながらフルートを吹いていたことに気付かされる未乃梨。一方で、千鶴は凛々子に発表会で弾く『オンブラ・マイ・フ』を見て貰っていて……?
一通り「スプリング・グリーン・マーチ」が通ると、合奏練習は休憩に入った。
未乃梨は「ふうっ」とひと息つくと、一番フルートの席に座ったまま音楽室を見回す。
(未経験で入った一年生がいない分、やっぱり連合演奏会のときより合奏が寂しいかな)
一番多いクラリネットですらバスクラリネットを含めても七人で、他はどのパートもせいぜい三人か四人、低音のユーフォニアムやテューバに至っては二人ずつと、全体の人数を思えばこれでも恵まれた方の人数ではあった。
(……これで千鶴が弦バスを弾いてくれたら、もっと吹きやすかったのかな……)
思えば、未乃梨の中学時代の吹奏楽部にはコントラバスは編成に入っていなかった。そして、五月の「あさがお園」での本番は自分以外の共演者が千鶴や凛々子も含めて弦楽器奏者ばかりで、アンサンブルを合わせるのに誰かの弓を見ることが少なからずあるというという、未乃梨が経験した本番としてはイレギュラーな部類だった。
(指揮者以外の誰かの動きを見て演奏を合わせるのって、今までしたことなかったかも。……今は、千鶴のことばっかり考えちゃいけないよね)
そう自分に言い聞かせると、未乃梨は気持ちを切り替えて、休憩後に練習する「ドリー組曲」の楽譜を開いた。
千鶴が「オンブラ・マイ・フ」を歌ったあとで改めてコントラバスで弾いてみると、不思議に右手の弓の動作が上手くいった。
ゆっくりとしたテンポでも、右手や弓がふらつかずに安定して弦を振動させられることに千鶴は驚いていた。
「あれ? 上手くいってる?」
「千鶴さん、どうしてだと思う?」
凛々子に問いかけられて、千鶴は「うーん」と考え込む。
「歌う時に息が足りなくならないようにするのと同じで、楽器で弾く時も弓を使う幅がなくならないようにするから、とかですか……?」
「だいたい正解よ。ゆっくりした曲だと、息の長さと弓を使う長さのイメージが同じだと上手くいくことが多いの。あと」
凛々子は「オンブラ・マイ・フ」の譜面を千鶴と一緒に見ながら、歌い出しの小節を指差した。
「この曲は四分の三拍子で、一小節は四分音符三つよね。一小節全部を伸ばす音で弾く時に弓を全部使うなら、四分音符で使う弓の長さはどれだけかしら?」
「三分の一、ですか?」
「そう。強弱やフレーズの組み立ての問題で必ずしもそこまで単純になるとは限らないけれど、一拍あたりで使う弓の長さがだいたい同じなら、音符の長さに関係なく安定した音になるわ。こういうところって、弦楽器の弓は歌や管楽器の息の配分と似てる、って思っておいてね」
「と、いうことは……弓を返すタイミングって、歌った時の息継ぎと同じだったりするんですか?」
凛々子は「そうね」と頷く。
「それもだいたいは正解、ってところね。細かい音符が多かったり、オーケストラで同じ弦楽器でずっと長い音を維持して伸ばしたりするときはその限りではないけれど、息継ぎの場所が弓を返す場所と一致する、ってことはあり得ることよ」
千鶴は凛々子の説明を聞きながら、コントラバスの弓を動かしてみてふと思い付いたことがあった。
「じゃあ、この前の『グレート』なんかもそうやって弾いてたんですか?」
「そうよ。第一楽章の最後、弦楽器が全員一緒のフレーズを弾く場所がそうやって弾けるわね。何なら、ちょっとやってみましょうか」
凛々子はヴァイオリンケースに入っていた五線紙に即席で音符を書き付けると、千鶴に見せた。
「これは全音符を弓全部で、二分音符を半分の弓で弾くフレーズなんだけど、ブレスは三小節目頭のAの前に入れる感じね。一緒に弾いてみましょう」
凛々子はヴァイオリンと弓を構えると、先日のオーケストラの本番のように上体を振って千鶴に合図をした。
「C……、D、E、A……、H、C、――」
楽譜のドイツ音名を読みながらヴァイオリンを弾く凛々子に合わせて、千鶴もその二オクターブ下に重なる音をコントラバスで弾いて後に続いた。「グレート」の第一楽章最後のフレーズの堂々とした響きが、空き教室の中で響き渡っていく。
三小節目のAの音に入る前のブレスも、千鶴は凛々子に完璧に合わせられた。単純な譜面とはいえ、凛々子のブレスと弓の挙動を見ながらだとやすやすとユニゾンが合わせられてしまうことに、千鶴は内心驚いた。
(私でも気持ちいいぐらいにフレーズが決まる……!? )
「グレート」のフレーズを弾き終わると、凛々子はヴァイオリンを顎に挟んだまま改めて千鶴の方を向いた。
「こういうことは発表会でやるヴィヴァルディの『調和の霊感』の合わせでもまた教えるから、個人で練習する時も気にしておいて欲しいし、吹奏楽部で弾くときは周りが管楽器ばっかりで息継ぎの問題は避けて通れないと思うから、部活でも意識してみてね」
凛々子の説明に頷きながら、千鶴は思考を巡らせた。
(発表会まで、色んなことを勉強しなきゃいけないけど、何だか面白くなってきた、かも……?)
(続く)




