♯124
凛々子と鉢合わせて気持ちが沈んでしまう未乃梨。千鶴と一緒のランチタイムも、未乃梨には楽しくなくて……?
自販機に並ぶ列の中で、純粋に驚いて目を丸くする千鶴と、眉をしかめそうになる未乃梨の二人の表情をさして気にもせず、凛々子はにこやかに声を掛けてきた。
「お二人とも、こんにちは」
「あ、凛々子さん。お疲れ様です」
千鶴に続いて仕方なく、といった様子で、未乃梨は取り付いていた千鶴の左腕を放した。
「……お疲れ様です」
「練習の方はいかが? 今朝も『ドリー組曲』の『ミ・ア・ウ』が聴こえていたけれど、素敵だったわよ」
不機嫌になりかけた未乃梨が、凛々子の言葉で毒気を抜かれた。
「あ、あれ、どうしても高音が尖っちゃって……」
「まあ。フルートには大変だけれど、あなたならもっと可愛らしく仕上がるわ」
「そう、ですか? ……ちょっと、まだ自信ないです」
何故か気圧されたようにたじろぐ未乃梨と、裏があるようでもなく微笑む凛々子を取りなすように、千鶴は口を開いた。
「未乃梨、自販機の順番来たよ。凛々子さんも、ほら」
「分かってるわよ。……あ」
未乃梨は自販機のボタンを押してから気の抜けた声を上げた。
「……お茶にするつもりだったのに」
千鶴と凛々子は未乃梨の手の中の缶を見て、気の毒そうに顔を見合わせた。そこには、未乃梨が普段飲んでいるのを見たことがない、炭酸飲料があった。
教室に帰ってから、しばらく未乃梨は沈んだ顔で過ごした。弁当を千鶴や結城志之と食べている時も、妙に顔に生気がない。
「おーい、みのりん? あたし、今日の弁当豚の生姜焼きなんだけど、食う?」
「ちょうだい。……はあ」
未乃梨は弁当から玉子焼きをひと切れ差し出すと、志之の弁当箱から生姜焼きをつまんだ。
「千鶴っち、なんかあった?」
「購買の自販機に飲み物を買いに行ったら未乃梨がお茶と間違えて炭酸買っちゃってさ。まあその、それで凹んでて」
千鶴は困ったように笑ってから、志之の弁当からもやし炒めをひとつまみ取ってから自分の青菜炒めを差し出すと、未乃梨にはウインナーを差し出してプチトマトを取った。
「励ましてあげたら? みのりん、千鶴っちのカノジョでしょ」
「いや、そういうわけでは――」
「志之、ちょっと静かにしてて。……はああああああぁ」
未乃梨は受け取ったウインナーを箸でつまみ上げると、長い溜め息をついてから口に運ぶ。「……あ、おいひい」と弱々しい声で言っている辺り、食欲だけはあるらしい。
あまりな未乃梨の様子に、志之は千鶴に耳打ちをした。
「千鶴っち、カノジョなんとかしてよ」
「なんとかって……そっとしてあげた方が良いんじゃ?」
「どっか遊びにでも誘ったら? 部活帰りにでもさ」
「こんな状態で? 無理だよ」
眼の前で眉をひそめる志之と困り顔の千鶴がしているひそひそ話に、未乃梨はぴくりと伏しがちだった顔を上げて弁当の残りを食べ終えてからペットボトルの無糖の炭酸水をひと口飲んだ。
「千鶴。五限目のあと、ちょっと付き合って」
千鶴と志之は、困惑を深めて顔を見合わせた。
二年一組の教室で、凛々子は早々に昼食のサンドイッチを食べ終えると、ボトル缶のコーヒーを片手にスマホにイヤホンを繋いで動画サイトを見ていた。その彼女に、声を掛ける者があった。
「お嬢様。何観てるの?」
ピアスを着けた耳をサイドの髪からのぞかせた、アシンメトリーボブの型の少女が腰をかがめて凛々子の顔を見ている。凛々子はそれに気付いて、動画を止めるとイヤホンを耳から抜いた。
「あら、高森さん。ちょっと気になる曲を、ね」
凛々子が高森に見せたスマホの画面には、どこかのコンサートホールが映っている。ステージ上に並ぶ黒髪だけではないオーケストラの演奏者の演奏者に高森は「凄いの聴いてるね」と漏らした。
「これ、海外の演奏会でしょ? なになに……リチャード、じゃなかった、リヒャルト・ワーグナー?」
作曲者の名前を何とか読めた高森に、凛々子は満足そうに頷く。
「そう。ワーグナーの楽劇から抜粋した演奏会よ。こういう音楽、時々やりたくなるわ」
「学校の外でオーケストラに入ってるじゃん? そっちに提案はしないの?」
「とっくにしたわよ。ついでに、この曲を味わってほしい子がいるのよね」
高森は肩をすくめた。
「そっから先は子安先生と相談だな。ま、うちの学校に来る前と違って、そういうのはどんどん聴きに行けって言うだろうけど」
凛々子はスマホを下ろすと、高森の顔を見据えた。
「あら。子安先生、温厚そうな方に思えたけど、紫ヶ丘に来る前はそうじゃなかったの?」
「私も詳しいことは良く知らないけどね。ただ、確かなのは、昔の子安先生だったら、私はこんなことは大っぴらにやってないよ」
高森は自分のスマホに入っている画像を見せた。どこかのスタジオらしき場所で練習中の休憩にでも撮ったらしく、アルトサックスを持った高森と、セーラージャケットの制服を着てギターを持ったワンレングスボブの少女が背中合わせでおどけて写っている。
「まあ。でも、高森さんなら駄目と言われてもやりたいのではなくて?」
「かもね。ま、後輩たちにも、部活外でどんどん活動してほしい、かな」
「良い先輩ね。高森さん、うちのオケでサックスがいる時、吹きに来てみない?」
「メタルのマッピで吹いていいなら、いつでも受けるよ」
高森はくすりと微笑んでから、自分の席に戻っていった。そろそろ、昼休みの終わりを告げるチャイムがなる頃だった。
(続く)




