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♯115

ある意味、散々だった朝の練習で肩を落とす千鶴。

昼休みに「オンブラ・マイ・フ」の手本になりそうな録音を探していた千鶴は、とある演奏が気になるようで……?

「はぁ。……ピアノ伴奏で歌うのって、こんなに難しいんだね」

「ま、最初はこんなもんでしょ。それに、音程だけは合ってたって、植村(うえむら)先輩も言ってたんだし、そうしょげないの」

 早朝の練習で突破的に「オンブラ・マイ・フ」を植村のピアノ伴奏で歌った千鶴(ちづる)は、隣を歩く未乃梨(みのり)と顔の高さが並びそうなほど、がっくりと長身を屈めて歩いていた。

「ほら、しゃんとしてよ。……コンクールで私はしばらく練習を見てあげられないけど、発表会までまだ時間があるんだし」

「そうだね。放課後、また頑張るか」

 やっと背筋を伸ばしていつもの高い位置に戻った千鶴の顔を見上げながら、未乃梨は「そう、その調子」と微笑む。その微笑みは、長続きしなかった。

 一限目の授業が始まる前の教室に戻ってから、未乃梨は席につくと今度は自分が先程の千鶴のように、屈み込むように肩を落とした。その理由は、明白だった。

(千鶴、放課後はまた凛々子(りりこ)さんと一緒に練習なんだろうな。……私はコンクールの練習で側にいてあげられないし、仕方がないって言っちゃえばそれまでだけど)

 未乃梨は前の方の席に座る千鶴の後ろ姿に目をやった。千鶴は今日も伸びてきた髪を最近バリエーションが増えたリボンで結んでいて、今日は深めの赤いリボンで襟元を風が通るようにやや高い位置で髪を結んでいる。リボンの赤系統の色が、凛々子が担いでいるヴァイオリンケースのワインレッド色を思い起こさせて、未乃梨は机に頬杖をついたまま目を伏せた。

(千鶴と一緒にいたくて吹奏楽部に誘ったのに、なかなか一緒にいられないなんて……しかも、部活だと凛々子さんがほとんど付きっきりだし)

 一限目の世界史の教師が教室に入ってきて、日直の生徒が起立の号令を掛けた。

(そういえば、千鶴って中間テストは世界史良かったんだっけ。……私も、授業ぐらい頑張んなきゃ、ね)

 未乃梨は、少し淀んだ気持ちのまま、教師の板書を目で追った。



 一限目の後の休み時間に、未乃梨のスマホにメッセージが入った。差出人はフルートパートの上級生の仲谷(なかたに)からだった。


 ――小阪(こさか)さん、お昼休みにコンクールのパート練やるんだけど来れる? 夏休み前に地区大会だから詰めておきたくて


 未乃梨は少し思いあぐねた。

(……そうだよね。期末テストが終わったら、もう地区大会なんだもん。……千鶴と一緒にお昼食べたかったけど、行くしかないか)


 ――大丈夫です。場所はどこにします?

 ――ドリー組曲やりたいから音楽室。ピアノ弾いてくれると助かるかな

 ――わかりました。それじゃ、お昼に音楽室で

 ――ありがとう。急でごめんね


 仲谷からの返信を見ると、未乃梨は顔を上げた。二限目の生物は自習らしく、その旨を日直の生徒が黒板に書いている。未乃梨は少し溜息をつくと、机の上に「ドリー組曲」のピアノの楽譜を広げた。



 昼休みに、千鶴は一人で購買に飲み物を買いに出かけた。未乃梨は「ごめん。今日は音楽室で昼練があるから」と言い残して、昼休みに入ってすぐに教室を出ていった。

 教室に戻ってからも、千鶴は一人だった。たまにお昼を一緒にとることがある結城志之(ゆうきしの)も、用事があるのか教室の中に姿はない。千鶴は自分の席に戻ると、スマホにイヤホンをつないだ。

 弁当を食べながら、千鶴は動画サイトで「オンブラ・マイ・フ」の演奏をいくつか探した。

(色んな人が歌ってるんだな……あれ、なんだろう、これ)

 千鶴が「オンブラ・マイ・フ」を検索して上がった候補の中に、少し気になるものがあった。

 その動画では、千鶴の母親より年長と思われる海外の女性の声楽家が、弦楽器の合奏をバックに「オンブラ・マイ・フ」を歌っている。バックにいる弦楽器には、ギターのネックをチェロの全長より長く伸ばして沢山の弦を張ったような、見慣れない楽器も混ざっている。

(この人、オペラか何かの歌手さんなのかな。随分慣れた感じだけど)

 その女性の声楽家は、黒いジャケットにパンツという男性のような衣装で「オンブラ・マイ・フ」を歌っている。朝に千鶴が歌ったような覚束ない歌い方とは真逆の、どんなに小さな声になってもふらつくことのない歌唱は、クラシック音楽にあまり詳しいとはいえない千鶴でも見事なものに思えた。

(ちょっと待って。この人、最初の長い音符で、何で平気で歌えてるの……?)

 千鶴は弁当の残りをかき込むと、その動画を最初から再生し直した。イヤホン越しに、その千鶴の三倍以上は生きていそうな女性の声楽家の声が、千鶴の耳に伝わってくる。

 完全にコントロールされて、というよりか余りに自然で旋律を濁さず彩りを添える程度に掛けられた、控えめなヴィブラートを伴ったその声楽家の声は、歌うというよりは話すように千鶴の耳に入ってきた。決して張り上げる事のない声も、千鶴には何らかのヒントになりそうだった。

(こんな風に、無理しないで歌えば、私でも……?)


(続く)

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