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♯114

朝の音楽室で、植村のピアノ伴奏で「オンブラ・マイ・フ」を歌ってみることになった千鶴。

楽器なしで歌うのは、いつもと全く勝手が違って……?

「んじゃ、歌ってみようか。楽譜出して」

「あ、はい」

 千鶴(ちづる)植村(うえむら)に促されて、凛々子(りりこ)からスマホにファイルを受け取ってプリントアウトしてきた「オンブラ・マイ・フ」の楽譜をピアノの譜面台に出した。

 植村は千鶴が出した楽譜のソロパートに振られた、明らかに英語ではない見慣れないアルファベットを指差しながら、説明を始めた。

「まず、この曲の歌詞なんだけど。オペラの主役のクセルクセスって王様が木の陰で涼みながら、『かつて、これほどまでに愛しく、優しく、心地の良い木々の陰はなかった』って歌ってるのね」

「はい。凛々子さんにもそう教わりました。何の心配もない、のんびりした気持ちの歌だって」

「そこまでわかってるなら大丈夫だね。てことは、この曲は演奏するときは慌てちゃいけないって、何となく分かるよね?」

「堂々と、王様らしく……って、ことですよね?」

 千鶴の返事に、植村は「よし」と頷いた。

「じゃ、私と一緒に歌ってみようか。テンポは四分音符がいち、に、さん、と、このくらいで。歌詞はほとんどローマ字読みでいいから、一緒に歌ってついてきて」

 植村は指揮棒を振るように右手の人差し指で遅めに大きく三角形を振ってから、「オンブラ・マイ・フ」の前奏をピアノでゆっくりと弾き始めた。



 千鶴は、恐る恐るピアノを弾きながら歌う植村に合わせて歌い始めた。

Ombra(オンブラ) mai(マイ) fu()di(ディ) vagetabile(ヴェジェタービレ)……」

 最初の小節線を二本またぐ長い音に、千鶴は面食らった。

(これ、最初から息が持たない?)

 三分余りの短い曲を、千鶴はふらつくように歌った。ピアノを弾きながら危なげなく歌う植村に何とかついて行って形にはしたものの、一人で歌っていたらとても他人に聴かせられないほどに覚束ない。横で聴いている未乃梨(みのり)の微妙な表情からして、今千鶴が植村と一緒に歌った「オンブラ・マイ・フ」の出来が良くないことは明白だった。

(……上手く、いかないなあ。にしても、植村先輩、何で歌えって言ったんだろ? 本番はコントラバスで弾くのに)

 植村は後奏の最後の和音を弾き終わると、千鶴に向き直った。

「ま、音程はダメじゃないしこんなもんでしょ。とりあえず、この曲がどんなメロディかはわかったよね」

「はい。……でも、本番は歌うわけじゃないのに何でまた?」

「いい質問だね。実は、今歌ってみて上手くいかなかったところ、楽器で弾いても上手くいかないところなんだよ」

 植村にそう返されて、千鶴は改めて「オンブラ・マイ・フ」の楽譜を見た。

 最初の長い一音からして、息を吸うのが不十分で声が保たなかった場所は、コントラバスで弾いた時に弓が足りなくなって音が止まりそうな箇所でもあった。他にも、ゆっくりとしたテンポで弓をおろそかに扱って、フレーズが繋がらなかったりする場所はいくつかありそうで、この曲が楽譜の上で予想外に厄介に思えてくる。

 植村は続けた。

「これは管楽器でもそうなんだけど、特にこういう遅いテンポの曲を練習するときは、楽器で演奏する前に曲を最初から最後まで歌えるようにしとくと、楽器で演奏した時に問題が見つかりやすいんだよ」

「……あ、そういえば、長い音符の弓とか」

「そう。弦バスで弾く前から問題がありそうなとこが見つかった訳だよね。他にも、この曲が一人で歌えるようになったら、できることがあるよね」

「……何でしょうか?」

「一人で歌えるようになったら、できることって?」

 千鶴と未乃梨は揃って頭の上に疑問符を浮かべた。

「先に答えを言っちゃうと、楽器がなくても練習ができるってことさ。持ち運びが簡単な小阪(こさか)さんのフルートとか仙道(せんどう)さんのヴァイオリンはともかく、江崎(えざき)さんは家に弦バスを持って帰って練習するのは無理だよね?」

「その代わりに、家で歌って練習、ってことですか?」

「合唱部の子たちはそうやって練習してるよ。学校の行き帰りに歩きながらハミングとか小声で歌ったりとかね。他にも、歌えるようになると色々できるようになることがある」

「……何でしょうか?」

 訝しげな顔の千鶴に、植村はにやりと笑ってみせてから未乃梨に視線を向ける。

「それはやってみてのお楽しみ。小阪さんも、『ドリー組曲』でソロがあるよね? 例えば最初の『子守唄』、歌詞があるわけじゃないけど、歌ってみたらイメージ湧きそうじゃない?」

「……言われてみれば、そう、かも」

「私も、合唱部にピアノ伴奏の手伝いに行ってそれに気付かされたよ。ユーフォの譜面も、一度歌えるようになってしまえば、簡単に吹けるようになるってね」

 どこかしら得意気に未乃梨に片目をつむってみせる植村の言葉に、千鶴は思案を巡らせた。

(今日の放課後の練習中、「オンブラ・マイ・フ」を歌って凛々子さんに聴いてもらった方がいいのかなあ……?)


(続く)

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