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♯101

オーケストラの練習を見入っていく千鶴と、そんな千鶴に一人の演奏者として興味を持つ本条。

初めて見学したオーケストラに、千鶴は……?

 星の宮ユースオーケストラの練習は、つつがなく進んだ。

 指揮者は、特に変わったことを言うでもなく、ひたすら穏やかに指示を出した。

「グレート」の第三楽章でトロンボーン奏者の誰かが音を外して金管セクションの和音が乱れたときも、その指揮者は冷静だった。

「そこはあまり力み過ぎないように。音のイメージは合ってますから、今のように力強く入ってきて下さい。では、もう一度」

 指揮者の穏やかな言葉遣いや表情に、千鶴(ちづる)は部活の顧問の子安(こやす)を思い起こさせた。

(子安先生はもっとおどけてるけど……指揮者って、みんなこんな感じなのかな)

 その指揮者のすぐ近く、第一ヴァイオリンの後ろの壁際に座っている千鶴から見て指揮者の手前に座っている凛々子(りりこ)も、千鶴からは後ろ姿しか見えないにも関わらず、明らかに学校や「あさがお園」での本番で見せた姿とは大きく違った。

(オーケストラの先頭で弾いてる凛々子さん、あんなに格好いいんだ……!)

 凛々子はフォルテの箇所では、普段より大胆に動いた。弓幅を多めに使って、他のヴァイオリン奏者への合図になっていそうなやや目立つ動作が随所に見られた。

 ヴィオラパートの中に座っている瑞香や、チェロパートの先頭に座る智花や、コントラバスの先頭のあの名前も知らない女性奏者も、恐らく凛々子の方を時々見ていた。コントラバスの女性の奏者は、時折管楽器やティンパニの方も少し顔を動かして視界に入れていた。

(あの人、凛々子さんだけじゃなくて色んな人を見てる? 子安先生が「よそ見はコントラバス奏者の特権」って言ってたの、本当だったの!?)

 千鶴はその女性奏者の視線を追った。その視線は、コントラバスと連動しているチェロや管楽器の低音だったり、旋律を担当している木管楽器だったり、はたまた指揮者だったりと多岐に渡っていた。

 千鶴は、いつの間にか自分もオーケストラの中でコントラバスを弾いているような錯覚に陥っていた。



「グレート」の三楽章の、木管楽器の掛け合いに指揮者が細かい指示を出している時に、本条は第一ヴァイオリンの後ろの壁際に座る、長身の少女の姿が目に入った。その少女は、三拍子のビートの力点で長いレイヤードスカートの裾に隠れたスニーカーの踵が微かに浮いたり、大きなフレーズの区切りごとに身体が少し揺れたりしていた。

 その少女は、よく見ると「グレート」の三楽章が持つ速い三拍子の頭の拍ごとに身体が微かに動いていた。

(ふむ。お行儀が良いとは言えないが、分かってるじゃないか)

 本条は少女の身体の動きに、好感を持ちつつあった。音楽に合わせて身体が動いてしまっているとはいえ、遠目に見る分には決して目立って大きく動いているわけでもなく、迷惑な音を立ててしまっていることもない辺り、演奏している周囲を妨げないよう気を使っているのは容易に見て取れた。

 それでも身体が動いたり、オーケストラの様々なパートに見入ったりしているのは、恐らくはオーケストラを間近で見た経験のないその少女が、この場に来て出来る限りの何かを持ち帰ろうと、無意識のうちに考えているのはありそうなことだった。

(好奇心たっぷり、といったところかな。そういう聴き方は、演奏者冥利に尽きるってもんだ)

 本条は演奏しながら愉快な気持ちになっていた。他に並んでいるコントラバスのパート員の音も心なしか反応がいい。その中に、向こうの壁際でパイプ椅子に座って聴いている長身の少女が加わるかもしれないと思うと、本条は尚更愉快になっていた。

江崎(えざき)千鶴さん、っていったっけ。君の名前は覚えておくよ)

「グレート」の第三楽章は、繰り返しを終えて爽快に終止するオーケストラの全合奏の和音で締めくくられた。そのまま、オーケストラの練習は「グレート」の最後の楽章に入っていった。



 星の宮ユースオーケストラのその日の練習が終わって、千鶴は椅子に座ったまま伸びをしそうになって、思い留まった。

(いっけない、流石にだらしがないかも。……でも、部活の合奏練習に参加してるみたいだったなあ)

 結局、千鶴はその日はずっとオーケストラを見回してばかりのような気がした。そんな千鶴を、ヴァイオリンをケースに仕舞った凛々子が呼びに来た。

「千鶴さん、ちょっとこっちに来てちょうだい」

「あ、はい」

 千鶴は、楽器を片付けているチェロパートに連れてこられた。そこには、チェロを仕舞い終えた智花と、白髪交じりの長い髪を引っつめてまとめた、千鶴の母親よりは間違いなく年上の、上品そうな女性がいた。

 凛々子と智花が女性に千鶴を紹介した。

吉浦(よしうら)先生、今度の発表会のヴィヴァルディでコントラバスを弾いてもらうことになった江崎千鶴さんです」

「まだコンバスを始めたばっかりだそうですが、同じ低弦として伸びしろは一緒に本番をやった私が保証しますよ」

「よ、宜しくお願いします」

 慌ててお辞儀をする千鶴に、吉浦は「まあ、そうかしこまらずに」と制した。

仙道(せんどう)さんからお話は伺っていますよ。あなた、ヴィヴァルディはもう楽譜を貰ってるかしら?」

「はい。凛々子さんから受け取っています」

「吹奏楽部っていうことは、こういう曲を弾くのは初めてよね。練習の日までしっかりさらってらっしゃい」

 吉浦はあくまでにこやかに千鶴に告げた。吉浦は、並の男性よりも高い千鶴の身長を珍しがる素振りもなければ、千鶴を威圧するような気配もなかった。厳格ではあっても、どこか安心できそうな不思議な信頼を、千鶴は感じていた。


(続く)

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