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♯1

 爽やかに晴れた春の日の柔らかな風が、校庭に咲く桜の花を穏やかに揺らしていた。

 その咲き誇る大きな桜の樹の足元を、この春に入学した新入生たちが詰めかけていた。

「県立紫ヶ丘(ゆかりがおか)高等学校」と掲示された校門のすぐ内側に植えられた、大きな桜の樹を通り過ぎてすぐの校舎の昇降口には、新入生のクラス分けが貼り出されていた。

 その前に詰めかける、真新しい紺のブレザーに青いネクタイやリボンタイと、グレーのパンツやスカートの制服を着けた新入生たちは、めいめいに貼り紙に自分の名を探しては同じ中学から入学した者と歓声を上げたり、教室の場所を確認したりと、それぞれに忙しい。

 そんな新入生の人垣の後ろから、一際背の高い少女が背伸びすらせずにクラス分けの掲示を見渡した。

 その、周囲の女子よりは顔ひとつ分ほど、男子と比べても明らかに高く感じるほどのすらりとした長身の学校指定のグレーのスクールバッグを肩に掛けた少女は、ショートボブの髪を翻して、隣に立っている、同じスクールバッグと一緒に薄い緑色の細長いハンドバッグのようなケースを提げた、人並みの背丈の少女に振り向いた。

未乃梨(みのり)、あったよ。同じクラスだね」

 未乃梨と呼ばれた少女は、長身の少女の腕にすがり付いて背伸びをすると、リボンでハーフアップに結ったセミロングの髪を揺らしてはしゃぐような笑顔を向けた。

「ほんとだ! 千鶴(ちづる)、高校でもよろしくね」

 二人の視線の先に、「一年四組」の組分けが貼り出されている。そこには、五十音順で並べられている氏名の中ではかなり前の方に「江崎千鶴(えざきちづる)」と「小阪未乃梨(こさかみのり)」の名前が書き出されていた。

「千鶴、それじゃ行こっか」

「うん」

 未乃梨は明るく笑うと、スクールバッグと細長いケースを担ぎ直して千鶴の手を引いた。千鶴も、短く頷くと未乃梨の手を優しく握り返す。

 ぞろぞろと動き出した新入生の流れの中で、二人は手をつないで四組の教室へと歩みを進めた。


 ひたすら長く感じられる校長の話で占められた講堂での入学式の間も、それよりは幾分か退屈さの度合いが減った教室に戻ってからのホームルームも、千鶴と未乃梨はどこか心の端が舞い上がっているような、理由をつけるまでもない期待で胸がいっぱいだった。それは、周りのクラスメイトも、恐らくは同じだろう。

 ホームルームの自己紹介では、男子に比べても高い千鶴の長身にクラスは少しどよめいたし、未乃梨の明るい表情やよく通るソプラノの声は早くも注目を集めそうだった。

(未乃梨、高校でも人気者になりそうだね)

 とりとめもなくそう思いながら、千鶴は、出席番号順で決められた自分より三つ後ろの席に戻る未乃梨の横顔を見た。未乃梨も、千鶴の視線に気付いて片目をつむる。その表情は、先月まで千鶴と同じ中学校に通っていた頃から変わらないどころか、高校に上がってから幾分か可愛らしさを増しているように、千鶴には思えた。


 ホームルームが終わると、未乃梨が千鶴の席にやってきた。

「ねえ千鶴、この後の部活見学、どこか行きたいところ、ある?」

「どうしようかなぁ。高校でも中学のときみたいに忙しくなるの、嫌だしなあ」

「中学じゃ、色んな部活の助っ人に引っ張りだこだったもんね。……じゃあさ」

 未乃梨は、椅子に座ったままの千鶴の顔をのぞき込んだ。

「私、寄りたい部があるの。付き合ってくれない?」

 千鶴も、未乃梨がスクールバッグと一緒に肩に提げている細長いケースに目をやると、「いいよ」と微笑んだ。

「未乃梨、高校でも吹奏楽やりたいって言ってたもんね」

「うん。また、夏のコンクール、出たいんだもん」

 まっすぐに笑うと、未乃梨は席を立った千鶴の手を引いた。

「じゃ、音楽室に一緒に来てくれる?」

「もちろん。未乃梨のフルート、そういえば最近聴いてなかったね」

「今日いっぱい吹いてあげる。行きましょ」

 未乃梨の笑顔に誘われて、千鶴は一年四組の教室を出た。


 音楽室に行く途中、千鶴はたくさんの上級生から声を掛けられていた。

「そこの君、バスケとか興味ない?」

「中学でちょっとやってたけど……あんまり運動とか得意じゃなくて」

「ねえねえ、君、中学でバレーの試合でサーブ決めてたでしょ?」

「部員じゃなくて助っ人でした。その試合、負けちゃいました」

「君、足速そうだね。陸上部に来ない?」

「……五十メートル走のタイム、大したことないんで」

 次々に勧誘をしてくる運動部の上級生に困惑しながら、千鶴は頭を掻いた。「来たれ演劇部! 君みたいな男役を探してたんだよ!」と荒く鼻息をつきながら千鶴に迫る女子の上級生に至っては、未乃梨が「この子、そういうの間に合ってますから!」と割って入って追い払っていた。

 ふう、と未乃梨はため息をついた。

「千鶴、さっそく先輩たちから大人気ね」

「まさか。私、未乃梨みたいに可愛くないよ?」

「……そういう、鼻に掛けないところがいいんだけど」

「え? 何?」

「何でもない。ほら、音楽室に急ぐわよ」

 未乃梨はやや強引に千鶴の腕を取ると、自分の腕を絡めて引っ張った。


 音楽室では、吹奏楽部員の上級生が楽器を用意して新入生に演奏を体験させたり、自分で演奏の手本を見せたりしていた。

 机の上に並ぶ木管楽器や床に伏せられたテューバの前で、管楽器を吹いている何人かの生徒に気後れしつつ、千鶴は「すみません、入部希望なんですけど」と元気に音楽室に入っていく未乃梨の後に着いていった。

 未乃梨はフルートを持っている緑のリボンタイの上級生と何やら話しながら早速薄緑色のケースを開けていた。そのままフルートを組み立てると、未乃梨は音階をいくつか吹いて音出しをしてから、聴いたこともない何かの曲を吹いている。

 千鶴は所在無げに音楽室を見回した。上級生も含めて、自分より背の低い女子の生徒がほとんどの音楽室は少しばかり場違いなように千鶴には思えた。自分が付き添った未乃梨はフルートを持った女子の上級生と話し込んでいる。

 未乃梨と話していたフルートの上級生が、ふと千鶴に目をやった。

「小阪さん、一緒に来てる背の高い子も入部希望?」

「その子は付き添いで来てもらっただけで……あ、そうだ」

 未乃梨は何かを思いついたように音楽室の壁際に目をやった。床に伏せられたテューバの向こうに、ヴァイオリンを何倍にも大きくしたような弦楽器が横倒しに置かれている。

「紫ヶ丘って弦バスがあるんだ? あれって誰か弾いてるんですか?」

「ああ、あれって二年前に弦バスの先輩が卒業しちゃってから弾く部員がいないんだよね。そっちの背の高い子、良かったら触ってみる?」

「え!?」

 困惑する千鶴をよそに、未乃梨は目を輝かせた。

「いいじゃん! 千鶴、やってみようよ!」

 未乃梨は自分のフルートを机に置くと、壁際に横倒しに置かれた「弦バス」の前に千鶴を引っ張っていった。

「ほら、千鶴、構えてみて」

 未乃梨に促されて、千鶴は「弦バス」と呼ばれた楽器を起こした。男子より背の高い自分より更に大きいその弦楽器は、想像していたより軽くて手を話すとあっさり倒してしまいそうだった。

 その、「弦バス」の自分の手首より太そうなネックや、川に浮かべたらちょっとしたボート代わりになりそうな腰骨に寄りかかってくる巨大な胴体に千鶴は面食らっていた。楽器のてっぺんから足元まで走っている四本の金属でできた弦に至っては、千鶴の体重ぐらいなら簡単に吊り下げられそうなほど太くて頑丈そうだ。

 千鶴は、「弦バス」と呼ばれた楽器の弦を恐る恐るはじいてみた。中学校の音楽室にあったガットギターなどとは桁違いに強い反発が千鶴の右手の指全体を襲って、想像していたより遥かに低い、杭を打つような重い音が鳴った。

(うわ……何これ!?)

 戸惑いながら巨大な弦楽器を支えている千鶴をよそに、未乃梨ははしゃいだように声を上げた。

「千鶴、弦バス似合うね!」

「え? そうかな……」

「ねえ、こうなったら一緒に吹奏楽部に入ろうよ。私と一緒ならいいでしょ?」

「未乃梨がそう言うなら……」

「決まりね! クラスも部活も一緒だね。あ、そうだ、せっかくだし撮らない?」

「え? ちょっと、未乃梨?」

 未乃梨はスマホを取り出すと、楽器を支えたまま困惑する千鶴に近寄って自撮りをし始めた。未乃梨は背伸びして空いた手を千鶴の肩に置いたり、千鶴にくっついて腰に回したりと色んなポーズで画像を何枚も撮っていた。

「初心者かあ。ま、あの身長なら弦バスはいけるでしょ」と頷く上級生たちや、「……あの二人、仲良いんだね」と呆れる新入生たちに囲まれて、千鶴は自分の身長より大きな弦楽器を抱えたまま立ち尽くした。



 賑やかな声や管楽器の音が漏れ聞こえてくる音楽室の前を、赤いリボンタイの女子生徒が通りかかった。肩にはスクールバッグと、ワインレッドの彼女の上半身ぐらいの長さがありそうな長方形のケースを提げている。

「今日は吹奏楽部が使ってるから、音楽室で練習は無理かな」

 その女子生徒は緩くウェーブの掛かった艷やかな長い黒髪を掻き上げると、大人びた顔立ちにため息を浮かべてその場を離れようとした。その時、彼女の耳に重くて低い何かの弦をはじく音が飛び込んできた。

「今のピッツィカート、何……? コントラバスってうちの高校の吹奏楽部にあったの?」

 ワインレッドのケースを担いだ長い黒髪の少女は、音楽室の中を入口からそっとのぞき込んだ。

 音楽室の中では、自分より少なくとも顔ひとつ分は背の高い青いリボンタイの女子が、大きな弦楽器を抱えたまま部員らしき何人かの生徒に囲まれて困惑したように笑顔を作って、スマホで画像を撮られている。

 その長身の女子には、明らかに初めて触ったと思われるその大きなコントラバスが妙に様になっているように、長い黒髪の少女には思われた。

(青いリボンタイってことは新入生……一個下の学年なのね)

 長い黒髪の少女は、音楽室の戸口から離れると別の練習場所を探して足を進めた。

(あんな背の高い子がコントラバス……ちょっとだけ、気になるわね)


(続く)


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― 新着の感想 ―
[良い点] お久しぶりです。読ませていただきました。 実にいい感じの導入部ですね。友人に少々強引に 入部させられた吹奏楽部におけるコントラバスとの 出会いがどんな物語に誘ってくれるか、これからが 楽し…
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