18話
僕は、ボールからも感じる、体育館の木の匂いに懐かしさを覚えていた。
体育館のコートでボールを触るのは久しぶりだ。
3本勝負、得点が多い方が勝ちのルール。当初の取り決め通り。それをせっかくだからと観客になってくれた生徒たちにも言って、僕と佐藤くんは向かい合った。
ジャンケンで先攻後攻を決める。佐藤くんが先攻となった。
正直、体格差はかなりあるし、不利なのは間違いなかった。僕が勝つと思っている人はいないだろうと思う。
何で勝負って話になったんだっけかと思いながら、でもただで負ける気はない、そんな風に感じられるようになった自分に少し微笑む。
遠くで、千夏が祈っているのが見えた。この場で数少ない僕が勝つと思ってくれているだろう、そして、その人だけがそう思ってくれていればそれでいいと思える大事な人。
集中、集中。
深く潜っていく感覚。
不思議と目の前のボールの音と、観客席のそれぞれの声や気配まで感じ取れる気がした。
1本目。佐藤くんは真っ向からドリブルに来た、身体が勝手に反応する。佐藤くんが驚いた顔をするが、奪えるほどでは無い、リーチが長い。バスケ向きの身体で羨ましい事だった。ゴール下まで体格差で押し込まれて撃たれる。
バス!!!
プレッシャーはかけるも、普通に決められた。
ただ、初手で抜ききれなかったのが意外だったのか、周りからの声に、僕の動きに対する驚きの声が混じり始める。
さて、こちらからの1本目。
ダム!!!
一気にドライブで仕掛けた。
僕は決して足は速い方ではないが、出足の早さだけはぴか一だと昔から褒められる。このダックインからの一瞬の速度だけは、誰が相手でも負けない自信があった。
佐藤くんも初見、というか体育の僕しか見たことはないはず。そのままの速度で抜き去ってレイアップで決める。
ザシュ!!!
佐藤くんの目の色が変わった。
流石に、ちょっとくらい櫻井さんから聞いていたとしても、実際に相対すると違う筈で、ここで止められていたら正直勝ち目はなかった。
2本目、1本目より粘るも同様にゴール下で決められた。
実際、PFとPG、本来ならマッチアップしないもの同士だ。身長差も15cm以上ある。
(体格差に加えて、純粋に強いな。反応がめちゃくちゃ良い。でも手元の上手さは思ったより無いけど、いつから始めたんだろ)
そう思いつつ、僕は淡々とボールを貰って、開始地点でセットする。
2本目。
「次は止めてみせる」
佐藤くんがそう言って、先程よりも腰を落とすようにして、ドリブルに備える。
確かにパスを出す相手がいない1on1では、僕のようなタイプは抜ききれなかった場合には、身長差に阻まれる。
「そう? でも二本目も貰うよ」
「……へぇ? そういう強気なことも言うんだ」
「ここではね、チビは気持ちで負けたら終わるんだよ」
そう言って切れ込む、今日はボールの吸い着きが良かった。確かに先ほどより相手が本気なのがわかる、僕の速度に付いてくる、抜ききれない。
佐藤くんの顔に、止めた、という笑みが浮かんで、そしてそのまま驚愕の表情になる。
ここからの技は、初見なら負ける事はほぼない。
更に深く沈んで、切り込むと見せかけてからのストップ&フェイダウェイ。
真司には、何でそれで入るのか意味がわからん、と言われるけど、中学で思うように身長が伸びないなりに、馬鹿みたいに練習したのだ。それに、この技があるかないかで、パスを回すだけになるか、自分で決められるかの選択肢が増える。
バス!!!
バンクシュートが綺麗に決まり、周りの声の中に、特にバスケ部や運動部の連中から驚きの声が上がった。
3本目、佐藤くんの攻撃。
ここは、体格差に押し込まれないように、ドリブルをカットに行くもかわされミドルを撃たれる。
ザシュ!!!
あっさり決められてしまった。
「ふう……中々しんどいね」
僕はそう呟く。
「延長も有りだからね、勝負が付くまでやろう」
きっとこれで負けは無くなった。と思われている。
確かに、佐藤くんを止められないでいる僕のディフェンスに、何とか決めているオフェンス。
手札が無くなれば負けるのは明らかだ。
◇◆
目の前で3本目を佐藤くんが決める。
ぎゅっと握りしめた手が白くなっている。少し、早紀や優子に玲奈が心配そうな顔をしてくれているのがわかるけど、目が離せなかった。
思ったよりすごかったけど、止められない以上、小さい方の佐藤くんの負けだろうな、と言う声が上がるのが聞こえる。
始まったときよりよほど好意的な言葉がとても多いけれど、それでも佐藤くんの勝ちを皆疑っていない。
「一応言っておくが、心配しないでも大丈夫だと思うぜ」
唐突に、後ろから声が聞こえた。相澤だった。
「うん、信じてる」
それだけ言って、千夏はハジメを見ていた。
誰よりも、千夏が欲しい言葉をくれる大事な人が、大丈夫だよ、と言って向かったのだ。
言われるまでもなく、千夏がハジメを一番信じている。
だって、千夏が一番かっこいいと思うハジメが、こういう勝負の時に負けるところなんて、不思議と想像出来ないのだから。
今、目が離せないのはただ単に、ハジメの一挙手一投足を見逃したくないだけ。
◇◆
3本目。
僕のこれまでで、佐藤くんがドリブルの速さを警戒してくれているのがわかった。
相手にとって、延長があってもなくても、負けが無いと思っている現状と、それでもバスケ部として三度も抜かれたくない意地だろう。
ここまでが、想定通りだった。だから、佐藤くんに向けて言葉を投げる。ここから先は、確率は7割程度。
「………恨まないでね、ちょっと裏技だからさ」
「何を……? っ!?」
佐藤くんが、僕の言葉に疑問の声をあげると同時に、僕はドリブルでゴールとは逆方向にバックステップをする。
元々抜かれまいと、速度に合わせようと後ろに体重をかけていた佐藤くんはついて来れない。
試合であればマークはスイッチする。
1on1であれば普通は初手はゴールに向かう。
そんな、意識の少しだけ外にズレを作って。
僕は、バスケの中で、得点が増えるラインにつま先をかける。
初めてボールを触ってから、数なんて数えきれないほど練習した。
この角度からの3Pシュート。
僕の持つ、出足の速さと視野の広さ、それに飛び道具。それで僕は中学の時も2年からレギュラーを張っていられていた。まぁ、それがかつて、変な恨みを買った一因でもあったのだろうけど。今それは、ただ僕の武器としてここにある。
佐藤くんの手が伸びるよりも早く、僕の指先からその放物線は描かれた。撃った瞬間わかる。
ザシュッ!!!
その音は、妙に静かになった体育館の中で、とても美しい音を立てた。
色んな苦い思い出があった中学のバスケの記憶があっても、続けようと思った理由の一つ。
ただボールがネットを通り抜けるだけの音なのに、何故かこんなにも綺麗で、僕はこの音が好きだった。
「これで7対6。3回勝負で得点の高いほうが勝ちの約束だ。だからこの勝負は、僕の勝ちだね」
そう言って、右手を上げた瞬間、体育館が歓声に包まれる。
主に、最前列にいたバスケ部の人達からの歓声だった。まさか佐藤が負けるとは、凄いぞ、バスケ部にぜひ入れ、と聞こえる。いや、勝ったから入りませんよ?
そして、天井を見上げるようにして、負けたー、と呟いている佐藤くんを見て、その後に千夏の姿を探す。
だが、見つける前に衝撃が僕の身体に走った。
柔らかい感触に包まれる。咄嗟に僕は抱き止めて。
「千夏はいつも、飛びついて来てくれるね」
そう言った。
歓声に、女の子の声が増えて、そして、男の歓声は少し怨嗟の声が混じる。
「ハジメ! ハジメー! やっぱりめっちゃカッコよかった!」
千夏は輝くような笑みを浮かべていた。
最初から、絶対に僕が勝つと信じてくれた千夏は、誰よりも先に祝福しに来てくれて、僕のことを思いっきり抱きしめてくれる。
「おい、一本は一本だろ、こんなの無効だ、延長だろ!」
野次のような声もまた、遠くで聞こえる。
でも、ほとんどは僕に、いや、僕らに称賛と祝福の声を上げてくれていた。きちんと聞こえる。声の大きな野次だけじゃなくて、大事な人の温もりも、たくさんの人が認めてくれている声も。
僕は千夏を抱きしめ返しながら、本当に悔しそうにしている佐藤くんを見た。佐藤くんが、ふっと笑いをこぼして、僕に告げる。
「俺の負けだ。いやー、鈍ってないね、流石、一昨年の中学バスケ都大会準優勝校の4番」
「え? 知ってたの?」
それは、僕の中学の時の最後の――――。
「実は知ってたんだよね。俺、当時彼女がいたんだけど、彼女がバスケ漫画にはまっててさ。確か、中学二年の時の、都大会のベスト4の試合だったかな? 見に行って、佐藤を見たことあるんだよね。あん時はびっくりしたよ、自分と同じ名前の選手が試合で凄い活躍して、二年生なのに優秀選手に選ばれててさ、めっちゃ格好よかった――――知ってる? 俺実はあん時のキミに憧れてバスケ始めたんだよね、中二の冬からとか、珍しいって言われたけど、そこからバスケのおかげなのか成長期なのかでこうしてどんどんデカくなってさ」
「…………え?」
「だからさ、同じ高校ってわかったときもびっくりしたけど嬉しかったし、なのにバスケ部に入らないのも気になってたし、そっちが二番って言われてるのもずっと気になってた。ただ、前言ったみたいに、俺が近づくと余計に話が面倒になりそうだったからさ。この話、石澤がしたとき苛ついてたのもあったけどちょっと嬉しかったんだよね、あの時の4番と1on1できるのかよってさ。でも負けるつもりはなかったんだけどな…………やっぱり、佐藤は二番なんかじゃ絶対ないって」
「はは、なんだよそれ。……あぁもう、言葉も出てこないや。でもまぁ、順番を決めるんだったらさ、僕が二番で良いよ。正直次やったら負ける、ってか3Pありきで得点計算なんて、邪道もいいとこだからね。…………それに、本当に一番に思って欲しい人は、絶対に僕を二番とは呼ばないから」
しがみつく千夏に目を向けて、そう呟く。
何だか、物凄くスッキリした気分だった。
放課後に、高校でバスケの一度だけの勝負に勝ったという、ただそれだけのことだった。
何かを得たわけでもないし、大会で優勝したわけでもない。
でも、もう満足だった。何もかもを僕は手に入れた気がしていた。
去年の秋には、こんなことになるなんて、思いもよらなかったのに。
人は集まると、比べてしまう生き物だ。
でも、きっと誰でも、誰かの一番にはなれる。
そう思わせてくれた、大事な彼女と、そして、それに気づかせてくれる友人を手に入れて。
孤独だったはずの僕の世界はいつの間にか変化していて、少しのきっかけで世界はこんなにも美しく色づくのだということを、僕は知ったのだった。
4章 僕と彼女と変わる世界 完




