9話
「よし、完璧……どう?」
「うん、地味モードなのにって言うと言い方が悪いけれど、凄い可愛いよ。ありがとう、千夏」
洗面所でもチェックしていたけれど、玄関先の鏡でも少し手直しをして、千夏が僕に振り向いて尋ねてくるのに、僕はじっと見て、きちんと答える。
照れずに言えるようになったのは、この一週間で鍛えられたおかげかもしれなかった。
「…………何ていうかさ、今更ながらにお母さんからの、高校とか出たらすぐ見つけられて持っていかれるからね、っていう意味をひしひしと感じているうちでした」
「何それ?」
「ううん、なんでもなーい。じゃあ行こっか、初デート」
ふふっと気を取り直したように言って、扉を開けて二人で外に出る。
伊達メガネに髪型を変えて、体型が出ないような服装で後ろ姿からもわからないようにと、ビシッと変装を決めた千夏は、それでもやはり可愛かった。
今日は日曜日、僕らはデートに行く。
行き先は、水族館や映画、と言いたいところだったがもう少し実用的な場所だ。
「久々に行くなー、買えなくてもインテリアを見るのも結構好きだし、ハジメとこうしてデートって感じで出かけるの、嬉しいよね」
駅まで向かう道すがら、千夏が浮かれてくれているのを見て僕も気分が上がるのを感じる。冬の朝の日差しの中を僕らは歩いていた。手を引くわけでも、手を引かれるわけでもなく、お互い手を取り合って同じ歩幅で。僕もまた、そのことがとても嬉しかった。
「あ、せっかくだから通っていかない?」
そう言って千夏が指差した方を見て、僕は頷く。
もう随分と昔のことの様に感じるけれど、この公園で蹲っている千夏を見たのが、全ての始まりだった。
冬になって寒々しい公園には、意外と親子連れの子どもたちが沢山いる。
あの日は、公園には誰も居なくて、ただ、シロを抱えた千夏だけが木の前に座り込んでいた。
「何かさ、凄い昔みたいに感じるけど、まだあれから二ヶ月くらいなんだよね?」
「同じこと、考えてた」
「やっぱり? ふふ、こういうのが、昔を懐かしむ気持ちってやつなのかな?」
「何かちょっと違う気がするけど……でもそうだね、こういう時間を積み重ねて、もっと僕らが大人になった時に、またここに二人で来たら理解るのかもね」
「…………また、すぐにそういう事をさらっと言う」
「え?」
「なんでもなーい。さ、行こ。10時には入って、色々見て回って、お昼は中にあるレストランで食べるんだから!」
別に千夏の言葉が聞こえていなくて聞き返した訳ではなかったのだけど、普通に感じた事を言っただけでそういう事になるのだろうか。ちょっと疑問に思ったが、それを振り払うように千夏の手から感じる力が少し強くなって、歩調が速くなったので、気にしない事にして僕も歩調を速めた。
僕の家のある駅から二駅ほど行くと、北欧風インテリアの大きなお店がある。
引っ越したすぐ後で、家族で行った時は中々楽しめた記憶があるし、父さんや母さんは、レストランもあるし最後にはホットドッグやソフトクリームも売っていて、良いデートコースだねと言っていた。その時、僕は美穂と見て回っただけだったけれど。
今回は、マグカップの他にも折角だからちょっとしたお皿や小物など千夏用の物も置こうかという話になったので、それを思い出した僕が休日の買い物デートに誘ったのだった。
「なんだかさ」
「うん?」
駅を降りて、店に入っていく人の流れに乗りながら、手を繋ぐ、から、腕を絡めるに移行した千夏が呟くのに、僕は視線を向ける。先程より密着度合いが強いのもあって、千夏の匂いも、その柔らかな感触も感じ取れて照れ臭かった。
そんな僕の様子には気づかないようで、こちらを見ないで他の、家族連れやカップルの人達を見渡しながら千夏は言う。
「お母さんに言われた時は、え? ってなったんだけど、一週間同じ家から学校に行って、こうして休日には家具屋さんデートに来てさ」
「うん」
「この何気なさが、凄い幸せ過ぎて、やばいね」
千夏は本当に何気なくそう言ったんだと思うけれど、ハッとした事がある。
「あぁ、本当に、そうだね」
そういえば、家族連れを見ても、輝き始める準備を始めた街並みを見ても、僕は別に何も感じなくなっていた。
あまりに普通過ぎて、気づかなかったけれど。
クリスマスの近づく時期、否応なく一人であることを意識させてこようとする街並みが、去年と違って無意識にも意識的にも目を背ける必要もなく、ありのまま綺麗だと思えるほど、僕は一人じゃないとそう思えている。
それはきっと隣にいてくれる千夏のおかげで、僕はまた一つ、救われた気がしていた。
◇◆
「おー、やば! 見てこのベッドにその前のテーブル、お洒落すぎじゃない?」
「確かに、何かこの一式買ったら、何だか優雅な暮らしになりそう」
勿論、買うわけじゃなくて冷やかしだけど、僕らはインテリアコーナーを見て回る。
寝室だったり、食卓だったり、一室がそのブランドでコーディネートされたインテリアを見るのは楽しかったし、千夏もまた楽しんでくれているようだった。
「このソファがうちを離してくれないよ、ハジメ」
「ほらほら、小さい子供が見てるよ、スカート長いからって寝そべらないの」
多分、僕らははしゃいでいた。
だからだろうか、普段ならばきっとどちらかが気づくそれに、気づかなかった。
「ほら、優子、父さん達行ったよ? 俺らも行こうぜ」
「いいじゃんあっちは大人だけで楽しんでれば、私はもう少しこの座り心地を楽しむんだよ…………いっくんは先行っててもいいけど。無理に私に付き合わなくても、そういう関係じゃないんだし」
「はぁ、そう言う問題じゃないだろ? まぁ待ってるよ」
至近距離で、どこかで聞き覚えのあるような声がした。
いつ、どこで聞いたことがあるんだったか、とそちらに目線を向ける。後から思えば無警戒が過ぎる行動だった。
「ハジメ、どうかした?」
夢中でソファの寝心地を堪能していた千夏が、起き上がって後ろから僕の名前を呼ぶ。
「あれ? なんか千夏ちゃんの声がしたような? って佐藤くん? と、そっちは………………ん?」
「「…………え?」」
目の前で、僕が『二番』となった要因の彼と、千夏のグループにいる、クラスメートの女の子が、ぽかんとした顔でこちらを見ていた。同様に千夏もまた、二人を見てぽかんとしていた。
「………………もしかして、千夏、ちゃん?」
そして彼女、櫻井優子さんの口から、疑問符のついた、でも決定的な名前が呼ばれるのを、僕は黙って見守ることしかできなかったのだった。




