08 プレ新人歓迎会2
「…………」
「…………」
泣きそうな暗い目をした少女と、死にそうな暗い目をした青年が二人、各々のデバイスに向き合っていた。
外はどっぷりと暗くなっていて、部屋に残っている人間も疎ら。
そんな静かな部屋に、かたかたとキーボードを打つ音だけが響いている。
つまり二人はお問い合わせへの対応中ということだ。
お問い合わせは、その発生の仕方から大きく二種類に分けられる。
一つは、新しい問題が発生した際に新規チケットが作られ、その問題に対する回答を作成する『新規問い合わせ』
そしてもう一つは、問い合わせに対する回答を行った上で、その回答を踏まえた上で更に同一チケット内で問い合わせが続く『継続問い合わせ』
基本的にSolomonの保守サポートは有料だ。
術式自体が無料であり、そのサポートでお金を貰うシステムとなっているためであるが、そうなると『問い合わせ一回』にお金がかかるシステムということである。
問い合わせの回数が無限になるプランで契約しているなら問題はないが、有限の契約の場合はどこまでを『問い合わせ一回』とするのかという問題がある。
基本的に、Solomonの保守サポートは『最初の問い合わせ時点の問題が解決』するまでを『問い合わせ一回』としている。
顧客側からしてみれば、回答によって問題が解決していないのに、どんどんと有限のインシデント数を消費されてはたまらない。
保守側からしてみれば、最初の問い合わせでの問題が解決しているのに、全く違う問題を延々と継続問い合わせとして送られてきては困る、という話である。
ここで一つ例をあげると、顧客から『落とし穴のトラップが発動しない』というお問い合わせがあったとする。
このお問い合わせに対し、保守側は一度、落とし穴の情報が欲しいから送ってくれという回答を行う。こういう回答は情報依頼と呼ばれる。
その回答を踏まえて、顧客側は落とし穴の情報を含むトラップ機能の情報を『お問い合わせ』として保守に渡す。
この時点で顧客側の『お問い合わせ』の回数は二回になるわけだが、消費するインシデント数は1のままだ。
顧客に貰った情報を確認し、問題点を指摘する回答を保守側が作成する。その指摘により問題が解決すればこのお問い合わせは『終了』する。解決しなければ『継続』する。
ここで、当初の落とし穴の問題が解決したとしよう。それから顧客が新たに『ダメージ床のトラップも発動しない』とお問い合わせを投げてくる。
ここで『落とし穴の問題』と『ダメージ床の問題』は異なる問題となるので、ダメージ床の方は新しいお問い合わせとして処理され、顧客側の消費するインシデント数は2となるわけだ。
……まぁ、Solomonの場合、落とし穴の問題とダメージ床の問題が、根本的に同じ原因で発生している可能性もあるのだが、それは置いておこう。
というわけで、顧客の問題が解決しない限り、この『継続問い合わせ』はガンガン飛んでくる。
新規問い合わせの場合であれば、回答者はその都度選ばれる。
回答者ごとに抱えているチケットの数を見て、所持チケット数が少ない者へ機械的に割り当てられるわけだ。
一方、継続問い合わせの場合は、以前の回答を作成したものが、そのまま回答者となる。
前回の回答を踏まえての問い合わせであるのだから、問い合わせ内容を把握しているものが、回答を作成するのもある意味当たり前のことであろう。
だが、ここに問題があるとすれば────
「先輩。この会社って定時いつでしたっけ」
「設定では十八時ってことになっているな」
「私達の現在地は?」
「保守サポート部のオフィスだな」
まるで魂が抜けたかのような気のない声を出す後輩に、淡々と返す眼鏡の先輩。
ちなみに、この眼鏡の青年は普段は『帰る時間が定時』という意味の分からない妄言をよく吐いている。
後輩は、先輩の常識を司る頭の機能が破壊されていることを確信しているが、指摘はしていない。
「今、何時ですか?」
「丁度二十時を回るところだな」
定時が十八時であり、現在時刻が二十時ということは、絶賛残業中ということである。
それから、更に澱んだ目を曇らせながら、後輩が尋ねた。
「飲み会は、何時からでしたっけ?」
「十九時からの予定だ」
「なんでですかぁ!?」
ようやく心のこもった声が響くが、それはどうあがいても泣き言の類であった。
今日は、先日メッセージソフトにて話し合われた突発的新人歓迎飲みの日である。
それに参加するため、ドラ子は今日、やや浮かれ調子で仕事をしていた。予定では、何の憂いもなく飲み会に参加できるはずだった。
だがしかし、そんなドラ子の現状を、眼鏡の先輩が淡々とデバイスに向かってキーボードを叩きながら答える。
「お前の所持チケット数が、いきなり六件とかになるから残業してるわけだな」
「おかしいでしょ! 何ですか六件って!? 私夕方まで所持チケット数ゼロだったんですよ!?」
浮かれていたから、というわけではないだろうが、今日のドラ子は調子が良かった。
前日までに割り当てられていた簡易なチケットをレビューまで順調にこなし、朝方には二件あった手持ちが、お昼過ぎにはゼロになっていたのだ。
だが、それは十五時を過ぎたころにやってきた。
まず、新規のチケットだ。基本的に新規のチケットは、所持チケットの少なさと難易度を見て回答者を決める。
が、よほど難しいチケットでなければ、普通に担当数が少ない者へ割り当てられる。
というわけで、立て続けに二件、ドラ子が担当者として割り当てられた。
この段階ではドラ子も、せっかく手持ちがゼロになったのに残念だ。くらいにしか考えていなかった。
だが、始まりはこれからであった。
そう、継続問い合わせである。
継続問い合わせは、基本的に前回の回答を作った人間に割り当てられる。
この割当ては、所持チケット数とは無関係だ。
そして、もの凄く運が悪ければ、ドラ子のようにいきなり四件の継続が来ることだってあるのだ。
「なんでですか!? 週末で、これから華やかに飲んで楽しむぞってときに! なんで問い合わせ送ってくるんですか!?」
「相手も週末に飲んで楽しみたいから、目先の面倒事をなんとか今日中に終わらせたんだろ」
「自分の楽しみのために、相手に面倒事を押し付けるとか、哀しみの連鎖ですよ!」
「その哀しみを最初に生み出したのはSolomonなんだよなぁ」
「哀しみを生む負のシステム……」
「やはり破壊すべきか……」
なお、この場で真剣に悲しんでいるのはドラ子だけなので、別に連鎖はしていない。
「そしてこの新人が大変なときに……レビュアーの蝙蝠さんもう飲み行ってるし!!」
ドラ子の地味な憤慨ポイントはここであった。
確かに主催者である蝙蝠が遅れるというのは問題である。
であるが、そもそも主賓が困っているのに颯爽と定時に上がって、飲みに行ったレビュアー(相談役)には、やや思う所があった。
「あの人、飲みのときは絶対残業しないからな。手持ちの仕事は完璧に終わらせてるし」
「私のレビュー終わってないんですけど……」
「そりゃまだレビュー依頼出してないしな」
継続問い合わせではレビュアーもまた、前回回答時のレビュアーが選ばれる。そして今回は継続のうち三件がハイパーイケメン蝙蝠レビュアーのチケットである。
しかもうち一件は、レビュアーが回答を代筆したものである。回答者本人が回答を微妙に理解しきれていないため、ドラ子は更に涙目なのであった。
ぶつぶつと不満を口にし手が止まっている後輩に、眼鏡の青年はため息混じりで言う。
「だから、その蝙蝠回答の一件と、新規二件は手を付けなくて良いって言ってるだろ。とりあえず残り三件のうち、さっき言った一件を、方針だけで良いから作ったら終わり。もう終わるだろ?」
「そりゃ一件くらいは終わりますけど! あと五件はどうするんですか!? 〆切間に合いませんよ!?」
手持ちのチケットが多いと何が困るのかと言えば、〆切に間に合わない可能性があるのが困るのだ。
通常Solomonの保守サポートでは、お問い合わせを受理した翌日から三営業日以内に回答を返す決まりとなっている。
ドラ子は現在、とてつもなく順調に行けば一日二件の簡易なチケットを終わらせることができる。
つまり、六件を三営業日──三日で終わらせるのはまず無理だった。
泣き言を言いながら、そしてふと、ドラ子は気になった。
「というか、なんで先輩も残ってるんですか? 手持ちそんなに危なくないですよね?」
「……お前、Slashのやり取り見てないのか?」
「ん?」
眼鏡先輩の呆れ声に、ドラ子は慌ててメッセージソフトを確認する。
すると回答者割当てチャンネルに、数件の未読が残っていた。
──────
メガネ:先程ドラ子に割り当てられた新規二件、彼女には対応が難しい状況です。
メガネ:お手数ですが、自分への再アサインをお願いします。
オペ子:承知しました。メガネさんにリアサインします。
──────
「先輩……!」
「うるせえ、こっちみんな。黙って仕事しろ」
ぶっきらぼうに返した眼鏡の青年だが、彼の後輩思いの一面を知り、ほっと胸がポカポカしたドラ子であった。
つまり、先輩はドラ子に割り当てられたチケット二件を引き受け、その対応をするためにここに残っているということだった。
間もなく、ドラ子はキーボードを叩き終える。出来上がった方針を、社内の保守サポート部共有データベースにアップする。
「方針できました」
「こっちも終わりだ、よっと」
ドラ子の隣で同じようにキーボードを叩いていた眼鏡の青年もまた、息を吐いた。
いつもは余裕そうに仕事をこなしている眼鏡の先輩だが、今はやや疲れた目をしている。
「とりあえず、上がっている方針こっちでざっと確認するから、お前は出る支度しとけ」
先輩に促されるまま、ひとまず作業を終えて本日の日報作成にはいるドラ子。
本日の作業にかかった工数を計算しつつ、飲み会前にやや憂鬱な気分になる。
一件の回答方針を作成し、二件の新規チケットがなくなっても、まだ手つかずのチケットが三件ある。
「休日明けに、残り三件の回答方針かぁ……」
「方針なら全部作っといたぞ」
「え!?」
言われて、ドラ子は慌てて共有データベースにアクセスする。
チケットの情報を確認すると、ドラ子が対応していた一件以外の継続三件の回答方針が、眼鏡の先輩名義で完成していた。
「先輩……今まで心の中で鬼畜眼鏡先輩って呼んでてすみません。これからは優しみ眼鏡先輩って呼びますね」
「変な呼び方すんな」
真剣に嫌そうな顔で拒否したあと、眼鏡の青年はさらっと答える。
「今日は歓迎飲みだから特別だぞ。しっかり貸しにしとくからな」
「またまたー、素直じゃないんですから鬼畜眼鏡先輩は」
「鬼畜に戻ってるじゃねえか。十秒も保たねえのかよ」
それから、やや言いたい事がありそうな顔をしつつ、まぁ良いやと言ってドラ子の回答方針を確認した眼鏡の青年も、オフィスを出る支度を開始する。
時計を確認すると二十時十五分といったところであった。
「よし、ドラ子行くか」
「うす! 了解っす!」
忘れ物がないかをしっかり確認したあと、二人はいそいそと保守サポート部のオフィスを歩く。
そして、まだ残っている数名を見渡したあと、とある一人に、頭を下げた。
「ではゴーレム部長、すみませんが後はよろしくお願いします。新規二件の回答案アップしてあるので」
先輩の声に倣うように、後輩もまた頭を下げる。
「すみません部長……私の方針も、確認お願いします」
「はい。どうぞ行ってきてください」
眼鏡の先輩と、ドラ子が揃って頭を下げると、ゴーレム部長は相変わらずの仏頂面で頷いた。
とりあえず了承を貰ったとして、眼鏡の先輩とドラ子はそそくさとオフィスを背にする。
しかし、新人のドラ子は、そんな状況にやや居心地が悪そうであった。
レビュアーであるハイパーイケメン蝙蝠が、自分の手持ちが終わったら颯爽と飲みに出掛けるタイプだとすれば。
同じレビュアーであるゴーレム部長は、部下のピンチの時は、その場に残って見守っているタイプであった。
だがしかし、そのゴーレム部長の岩のように固い表情は、概ねこんな感想を持たれる。
「ゴーレム部長、さっきからずっと、めっちゃ睨んできてますよね……レビューもいっつも超辛口ですし、私嫌われてるんでしょうか?」
「……まぁ、あの人はいつもあんな感じだから」
ドラ子の真っ直ぐな感想に、ゴーレム部長の理解がそれなりにある眼鏡の青年も、やや言葉を詰まらせた。
ゴーレム部長はただ、仕事に真面目で責任感が強く、部下の失敗を自分のことのように受け止めるが故に、ついつい口調が固くなってしまうのだ。岩のように。
そして部下をあまり残業させたくないため、辛めの口調と態度でさっさと帰宅するように促すのだが、その言葉が硬度高めなので、更に誤解を生むのである。岩のように。
ゴーレム部長は確かに固くて難しい人ではあるが、決して悪い人ではないのだ。そしてその事実を知っている人は知っている。地質学者のように。
頑張れゴーレム部長! 部長の残業はこれからだ(回答の確認的な意味で)!




