87 魔王城へようこそ! 35
キリがいいところがなくていつもの二倍くらいの文量になってしまいました。
「負けたのだあああああああああああああ!」
そして勝負はメガネの勝ちに──いや、圧勝で終わった。
ボロボロの状態から生き返ってリスポーンしたおかげで魔王様は綺麗な状態になったが、相対していた筈のメガネはそもそも少しも汚れていなかった。
不具合で弱体化されたとはいえ、本来パーティを組んで戦う設定の魔王を相手にしたにも関わらず、犬の散歩をして帰って来たくらいの表情をしていた。
そんなメガネが、平坦な声で戻って来た魔王エリちゃん十四世に言う。
「ナイスファイト」
「めちゃくちゃ上からなのだ! というか攻撃貰ったら死ぬって言ったのに! 一発も当たらなかったのだ!」
「当たらなければどうということはない」
ぐぬぬ、と泣き出す一歩手前の表情で、それでもエリちゃんは堪える。
魔王としての矜持と、不具合で弱体化されたからという言い訳が彼女を支えていた。
「不具合さえ! 不具合さえ無ければ!」
「じゃあアップデートすれば良いよね?」
「うううう」
容赦のないメガネの言葉に魔王様は返す言葉がなかった。
不具合のせいで負けたといっても、その不具合が発生する土壌を作っていたのも自分達なのだから。
何より、不具合があったとしても、やはり自分が圧倒的に有利な状況で負けたのが悔しい。
途中で乱入させた配下のモンスターも、魔王城に備わっている普段はほとんど使わないギミックも、魔王城に奉納されているアイテムの類も惜しむ事なく使ったのに、結局メガネには傷一つ付けることができなかったのだから。
まるで最初からギミックの全てが分かっているかのような立ち回りは異常だったし、端から見ていたドラ子たちやカクテル爺さんたちをして『こいつ何かやってんじゃね?』と疑惑を抱いてしまうほどである。
言うなれば、魔王様が攻撃しようと思った時には、すでにその攻撃を避け終わって反撃に移っているかのような、異様な立ち回りであった。
未来視の達人であっても、あそこまで上手に戦えはしないのではと思えるほどに。
だが、そんな尋常じゃない動きをしていたメガネは、一人涼しい顔をしたままだ。
「おかしい! 勇者レベル1の立ち回りじゃなかったのだ! ドラゴン娘みたいなズルをしたに違いないのだ!」
「言いがかりは止してくれ。ちゃんと『勇者レベル1』程度の動きしかしなかったのに。」
それはまるで、動きそれ自体も手加減していたと言うような言い草だった。
メガネは言いながら、戦闘中雑にぽいぽい投げたりしていた聖剣達を拾い集める。
まるでボールか何かのように雑に剣を扱っていたメガネを見ながら、ドラ子はあえてカワセミに尋ねた。
「カワセミ先輩。メガネ先輩があんなこと言ってますけど、どう見ても勇者レベル1の動きを逸脱してましたよね」
「いいえ、ドラ子ちゃん。先輩はちゃんと手加減してましたよ?」
「うぇ?」
どこが? という答えは、カワセミの笑顔と共に放たれた。
「だって『どう見ても』って言えるってことは、先輩の動きが『見えていた』ってことじゃないですか。本気を出した先輩の動きは『見えません』よ」
「……まさかぁ」
半笑いになるドラ子だったが、真顔のカワセミの言葉には有無を言わせぬ説得力があったのだった。
「まぁ、不満があろうが無かろうが、俺は武器商人レベル1と勇者レベル1の技能の範疇で戦い、勝ったというのは間違いないよな? 約束、守ってもらうぞ」
聖剣クラスオブジェクトを拾い終わったメガネが、鋭い眼付きでエリちゃんに迫った。
凄まれたエリちゃんは、ぐっと喉を詰まらせ、ぐぬぬと拳を握りしめ、耐えがたい重圧に耐えるようにしながら、しかしはっきりと言った。
「魔王に、二言は、ないっ! やろうではないか! アップデートを!」
「良く言えました」
「こ、子供扱いするでない!」
そのまま『えらいえらい』と撫でてきそうなメガネに、魔王エリちゃんはぷいっと顔を逸らした。
その顔が、ほんの少し赤いのは、怒りのせいか羞恥のせいか自分でも分かっていないだろう。
だが、そんな二人のやり取りを見ていたカワセミの目が一瞬、獲物を狙うときのように鋭く尖った。
もちろん自分が狙われたことにも気付かず、エリちゃんは言う。
「爺たち。話は聞いたであろう。余の、権限のもと、すぐにそのメジャーアップデートとやらを──」
そのまま、勢いでアップデート宣言をかまそうとしたタイミングであった。
「その話まったあああああああああああああ!」
魔王城、謁見の間にスーツルックの女性が怒鳴り込んで来たのは。
──────
「わたくし、魔王城管理運営チームの『レディバグ』と申します。
「Solomonの申し子みたいな名前ですね」
「???」
メガネから思わず漏れた感想に、妙齢の女性はきょとんとした。
とりあえず、チームSolomonの面々が自己紹介を終えたところで、早速とレディバグは話を切り出す。
「それで、不躾とは存じますが、魔王様の口約束をなかったことにして頂きたいのです」
「それはどういう了見で?」
「はっきり言いまして、このレベルの話をいきなり口頭でやり取りされても困るというのが本音です」
それはさもありなん、と思わなくもない面々の中で、魔王様だけは抗議の声を上げた。
「それはいかんぞマネージャー。口約束であろうと魔王の決めたことだ。反故にすることは許さん」
「エリちゃん。あなた、ことの重大さを分かっている? あと私はマネージャーじゃありません」
「わ、分かっているのだ! それでも余は必要なことだと思ったのだ!」
「…………はぁああ」
レディバグは、大きなため息をついたあと、部屋の隅のほうにエリちゃんを引きずって行く。
そして何事かをゴソゴソとエリちゃんにつぶやくと、エリちゃんは顔を青くした。
内容は細かく聞こえなかったが、金額の話をしているのはなんとなく分かった。
そしておずおずと戻って来たところで、あらためてレディバグが言う。
「と、魔王様はことの重大さをいまいち理解されていなかったのです。それなので大変申し訳ありませんが、この話はなかったことに──」
「──それは通らない」
「はい?」
話をうやむやにしようとした女性に、はっきりと否定を返したのはメガネだった。
珍しく、真剣に苛立った顔をしているメガネが、強い口調で言う。
「話が分かっていなかったとしても、魔王城で魔王が約束したことだ。約束は守ってもらう。経営陣は魔王の補佐であって魔王の飼い主じゃない。魔王が言った事をどうにか実現するのがお前達の仕事だ。違うのか?」
「っ」
レディバグは唇を噛んだ。
この場で、メガネが言ったことの意味を理解しているのは彼女と、カクテル爺さんたちだけだ。
それは、初代魔王の意志のようなものである。
初代魔王は顔だけで後継者を選んだが、後継者候補が顔だけだったわけではない。
二代目以降の魔王は、魔王城で強権は振るわずとも、その方針を決定するだけの権限はある。
魔王がやれ、と言ったらそれをどうにか実現しようとするのが、経営陣の仕事なのだ。
それを反故にしようというのは、初代魔王から続く魔王城の理念そのものの否定である。
「魔王様はまだ子供です。そんな彼女に大きな決断など」
「関係ない。魔王を継ぐということは、そういうことだ。魔王の決断を支えるのがお前達だろう。だいいち、現在の術式ではところどころ限界が来ていることくらい、経営陣だって分かっているだろう?」
「ぐっ」
痛い所を突かれた。
レディバグの表情はそう語っていた。
現在の魔王城運営は、その大半が経営陣の主導で動いている。魔王には方針を決定する権利があるが、その方針とて、大抵は経営陣が提示したものをなぞっているに過ぎない。
だが、本来は逆であったのだ。
魔王が方針を提示し、それを経営陣がなぞるという流れが、基本だった。
それでも、ここまで魔王城が大きくなれば、挑戦的なことをしたがる魔王は少なくなる。
魔王になるために魔王を目指したのではなく、経営陣にスカウトされたから魔王になるという、タレントとしての側面が大きくなっていた。
だから、現魔王が口約束とはいえ『アップデート』の方針を決めたことは、経営陣には寝耳に水だった。
しかし、まだ、訂正は効く筈だった。
口約束ならば、撤回の余地は十分ある。
魔王様には悪いが、上手く言いくるめれば無かった事にできる。
術式のところどころにガタが来ていると報告されているとはいえ、今日明日で崩壊するようなことはない。
魔王城の経営計画は何年も先まで決まっているのだ。今更、ポッと出の思いつきで魔王城のアップデートに時間を取り、多額のやり取りをなかったことになどできない。
「分かりました。いくら欲しいんです?」
「は?」
「ですから、いくら包めば約束を無かった事にして頂けるんですか?」
にこり、とレディバグは柔和な笑みを浮かべた。
結局、目の前の青年が求めていることはそういうことだと思った。
この個人がいくらがめつい要求をしてきたとしても、魔王城で動いている巨額からすれば砂の一粒程度の影響でしかない。
そのくらいで、何年もの予定に穴を開けなくて済むのなら安いものだ。
結局、人間は金で動くものなのだから。
そう思い込んでしまったが故に、レディバグはメガネの額に青筋が走ったのを見逃した。
「そもそも俺は、術式がもう限界だという話をしていた筈だが?」
「ええ。ですが、まだ崩壊はしません。あなたとの約束だって、いずれちゃんと果たしますよ。それが十年先か、百年先かは分かりませんが」
「俺は、今すぐにでもアップデートするべきだと思うが?」
「こちらとしても今すぐというわけにはいかないのです。魔王城にも予定というものがございますので」
メガネはちらりと、魔王エリちゃんの顔を見る。
彼女は、あわあわと困惑の表情を浮かべつつ、大人達の会話の流れを窺うようにしていた。
先程まで楽しそうに戦っていた少女とは、えらく違って見えた。
初代魔王が自分の望みのために作った魔王城なのに、今の魔王は口に出した約束ですら経営陣に握りつぶされようとしている。
それが、たまらなくメガネの神経を逆なでする。
「……不具合はどうするつもりだ? こればかりは、どうにもできないぞ」
「不具合?」
それから、メガネはかいつまんで現状の魔王城が抱えている致命的な問題を説明した。
聖剣クラスのオブジェクトが七つそろえば、魔王の強化は打ち消されるということ。
一人で攻略するような無茶はともかく、パーティで全員がサブクラスに勇者でも付ければ、あと少しの積み上げで簡単に発動してしまう『問題』であると。
「…………なるほど」
レディバグは、それを聞いて、今度こそ嬉しそうに笑みを零した。
「つまり口約束は無効ですね」
「は?」
何を言っていると聞く前に、レディバグは矢継ぎ早に話す。
「不具合の意図的な利用など、明らかに魔王城の正常な遊び方を逸脱しています。これは重大な規約違反です。そのような方法を用いられた戦いの結果など、無効に決まっています」
「魔王様自身が認めた結果だが?」
「魔王様はまだ若く、規約や規則について疎い所があったのでしょう。この認識をお持ちであれば、お認めになどなりません。そうですよね魔王様?」
レディバグが同意を求めるように言うが、当の魔王エリちゃんは、言いにくそうに口籠もる。
「し、しかし余は、自分が有利になるようにルールを決めたのだ。自分ばかりが有利なルールだから、勇者はそれに対抗しようと、して、だから」
「魔王様!」
これ以上、魔王様に喋らせてはいけない、そう思ったレディバグが咄嗟に言葉を遮る。
それを見て、メガネは額の青筋を増やしたが、ふーっと大きく息を吐いて、最後に尋ねた。
「現状、この不具合に対処する方法はアップデートしかない。ユーザーが意図せずに不具合を利用してしまう場合はある。魔王城の魔王が魔王であり続けるためには、タイミングは今しかないんだ。今、アップデートするべきなんだ」
レディバグは、メガネの言葉に少し思案顔になる。
が、ポンと手を叩いて、名案を思い付いたと言わんばかりに答える。
「では、魔王戦においては、聖剣の召喚を禁じてしまえば良いじゃないですか」
「は?」
メガネだけでなく、聞いている全員がポカンとした。
だが、レディバグは自身の案を名案だと言うようにうんうんと頷く。
「全てはあれですが、二本以上は禁止すれば良いんですよ。そうすれば問題はまず起きません」
「聖剣だけじゃない。聖剣クラスのオブジェクトや、テイマーの扱うモンスターにだって競合の問題は出る」
「でしたらそれらも禁止しましょう。噂に聞く運用対処というやつです」
「今まで、そういったパーティを組んで来たユーザーの遊び方を、魔王城側が、己の都合のためだけに禁じる、そう言っているのか?」
もはや額の青筋を隠しもしないメガネに対し、レディバグは仕方ないとでも言いたげに、告げる。
「もちろん心苦しいですが──たかがユーザーの一部のために、魔王城の利益を損なうことはできませんから」
ぶち、っと音がした。
それまで『端から聞いていて不快だなぁ』と思っていたドラ子は、一瞬己の耳を疑った。
もちろんそれはただの幻聴だろうが、確かに聞こえた気がした。
と同時に、自分の背筋に尋常じゃない悪寒が走る。
本能が、この場所から逃げたがっているのだと瞬時に理解した。
「あの、先輩?」
「なんだドラ子」
「もしかしてなんですけど、今、ブチ切れました?」
「…………」
メガネは言葉の代わりにニコリと笑った。
今までドラ子の見た事のない笑顔だった。
ドラ子はそそくさとメガネから距離を取る。同時に、白騎士やカワセミといった面々を問答無用で引きずり、メガネから引き離した。
その場に留まるのはあまりにも危険だと思った。
鳥の巣頭くんは無視した。
流石に、目の前の眼鏡の男の雰囲気が変わったことはレディバグも察する。
その圧力に冷や汗をかきながらも、彼女はあえて微笑んだ。
「暴力に訴える気ですか? 生憎ですが、そのような野蛮な手法に屈する魔王城ではございません」
「暴力? 違うな、これは正当な権利というやつだ」
「はい?」
レディバグの疑問に答えることなく、メガネは虚空に手を伸ばす。
「魔王剣召喚」
ぼそり、とメガネは唱える。
直後、この場にはそれまでの聖剣クラスオブジェクト召喚とは桁の違う、威圧感と圧迫感が満ちる。
圧倒的な何かが、今まさにこの場に現れようとしている。
その現象に驚愕の表情を浮かべたのはエリちゃん十四世だった。
「馬鹿な!? 魔王剣だと!? どうして!?」
エリちゃんの驚愕は、もっともだ。
何故なら魔王剣というのは、この魔王城で特別なもの。
それはユーザーには解禁されていない、魔王城にただ一振りだけある『本物』の魔剣。
初代魔王のみがそれを扱うことができたと言われる、魔王城の絶対的『権利』の象徴。
歴代魔王の誰もが手を伸ばし、ついぞ触れることができなかった幻の一振りだった。
「は、はったりかしら」
「違う」
レディバグは、自分が選択を誤ったというどうしようもない感覚から目を逸らすように呟くが、エリちゃんが即座に否定を返した。
はったりなどである筈がない。
何度も手を伸ばし、そして何度もその手を弾かれて来た現魔王には分かってしまう。
今現れようとしている魔王の象徴が、どうしようもない『本物』であると。
やがて、強烈な存在感を纏った一振りの剣がメガネの手に現れた。
全てを吸い込むかのような、艶の無い真っ黒な刀身。
機能美を極限まで追及したかのような、引き込まれる直刀。
歴代の魔王の憧憬の的が、確かにその場に降り立った。
「真名解放──覚醒ろ『エゼルヴァルド』」
それまでの雑な名付けではなかった。
はっきりと名前を呼ばれた『魔王剣』が、メガネの呼びかけに応える。
《────マスターや。飯は、まだかのう》
魔王剣は、ボケていた。
レディバグさん、ただちょっとズレてるタイプの人です。
お部屋の掃除を頼んだときに、家具から何からまとめて綺麗に粗大ゴミに出すような。
 




