81 魔王城へようこそ! 30
「う、うむ? それはつまりどういうことなのだ?」
メガネに対価としてSolomonのアップデートを要求されたエリちゃん十四世は、疑問符を浮かべた。
「良く分からないのだが、そのアップデートとやらは、いつも爺たちがやっていることではないのか? たまに、術式の更新だのと言って色々と作業しているぞ」
「それもアップデートではあるんだが、マイナーアップデートだな。俺が言いたいのはメジャーアップデートの方だ」
「???」
メガネの説明に対し、やはりエリちゃんは怪訝な表情を浮かべたまま固まっていた。
メガネはぐりんと顔を動かし、そんな魔王様を見守っている爺達に細い目を向ける。
「おい、どうしてダンジョンのトップに君臨するはずの魔王様がこの認識なんだ?」
いくら魔王が魔王城のアイドル的な存在とはいえ、流石に術式に無知過ぎるのではないか?
そう疑問を込めて尋ねると、爺さん達はのほほんとした表情を浮かべる。
「姫様は皆に愛されて育って来たのじゃぞ」
「煩わしいSolomon関連のあれこれとは無縁なのじゃ」
「この孫馬鹿どもが……」
メガネはため息を吐いてから、エリちゃんになんと説明したものか考える。
この、愛らしくも少し頭の弱そうな子に、なんと言えばいいものか。
「時に魔王様。小学校は卒業してるか?」
「馬鹿にしておるのか?」
「いや。ただの確認だ。他意はない」
他意は無いと言っても、メガネの突然の発言は魔王を子供に見ているようにしか思えず、エリちゃんは少し唇を尖らせた。
メガネは少し言葉を選びつつ、魔王城の現状を簡易的に魔王に伝える。
「Solomonにはメインバージョンとマイナーバージョンという二つのバージョンがある。学校に例えると、メインバージョンっていうのは小学校や中学校といった大きなくくりで、マイナーバージョンというのは小学校の学年のような、学校内でのくくりなんだ。この違いが分かるか?」
「む、少し待ってくれ、理解する」
エリちゃんは言われた例えを飲み込むために、少し頭を整理した。
「なんとなくだが理解した。爺たちがいつも作業しているようなバージョンアップは、学校そのものが変わったり、制服が変わったりするような大きなものではなく、学校の中で教室が変わったり、クラスが変わったりする程度のもの、ということ、なのだな?」
「そういうことだ。そして俺は、この魔王城のメジャーアップデートをして欲しい。魔王城に、小学校を卒業して中学校に入って欲しい」
「それは、なるほど。言いたい事は理解した」
喩えとしてだが、確かにエリちゃんはメガネの要求をなんとなく理解した。
理解したが、同時に疑問も抱いた。
「しかし、その、必要なのであるか? 現在も魔王城は問題無く稼働しておるのに、無理に中学校に入る必要があるのか?」
「…………」
メガネは盛大なため息を吐きたくなるのをぐっと堪えた。
そして、先程までの説明を更に重ねて魔王城の現状を話す。
「実を言えば、中学校に入って欲しいというのは控えめな表現だ」
「控えめ?」
「この魔王城はな、小学校の卒業を渋り続けて、小学27年生くらいになってるんだよ」
「えっ」
その例えが突飛すぎて、エリちゃんは思わず聞き返す。
「小学校は、六年までであろう?」
「その通りだ。現に他のダンジョンはちゃんと小学六年生で卒業して中学校に上がった。たまに中学校に上がりたくないとごねるところもあるが、小学六年生のままでは限界を感じ、渋々みんな卒業していく」
「ではなぜ魔王城は27年生などと突飛なことを言うのだ?」
「それは魔王城だけ、中学校に上がりたくないとごねた上に、中学校の授業を小学校でしろとか更にごねたからだよ。中学校が終わったら高校の授業も小学校でしろと言うし、大学の授業も小学校でしろと言う。このままだと就職しても仕事場は小学校だろうな」
その様を、魔王エリちゃんは想像してみる。
自分の友達が小学校を卒業して行く中、自分だけが小学校に残るのだ。
小学校を卒業したくないから、という理由だけで。
「ダメではないか!」
「ダメなんだよ。でもそれを通して来たのが魔王城だ」
「では勝敗の云々は抜きにして、アップデートするべきではないか!」
現状をなんとなく把握した魔王様は、そんな状況であるならば勝ち負けなど気にせず、さっさと小学校を卒業させなければと思った。
だが、そんな彼女の気持ちを鼻で笑うように、あるいは試すようにメガネは言う。
「…………できるのか?」
「え?」
「仮に、小学27年生がようやく卒業しようと思ったとき、どんな準備が必要になるか分かるか? 周りと全く違う教育を受けたせいで、どんな状況なのかすらも良く分からないんだぞ。何が引き継げて、何を用意しないといけなくて、何を捨てなければいけないのかも分からない。そんなモンスター小学生をスムーズに卒業させることができると思うか?」
ぽかんとするエリちゃんに、メガネは更に邪悪な笑みを浮かべて言った。
「アップデート作業は、何ヶ月かかるだろうな? もちろんその間、魔王城は休業して貰う事になるが」
「そ、それは困るぞ! 魔王城は今まで年中無休を貫いてきたのだ! 余の代でそんなことになってしまっては魔王の名折れだ!」
「ほらこうしてごねるから、来年は小学28年生だな」
「ぬっ!」
そう。
ここに至って、魔王エリちゃんは状況を完全に理解した。
なぜ魔王城がずっとアップデートを拒み続けて来たのか。
それはひとえに、魔王城が魔王城であるため。
魔王城はいついかなるときでも冒険者を待っている──というロールプレイを貫き通して来た結果、もはや引き下がれないところまで来てしまっているのだということ。
ここで、自身の独断でアップデートを敢行することの、影響。
経営に関わらぬ身であれど、どれだけ大きな損害があるのかという、想像。
そして現状維持できているならば良いではないか、と歴代の魔王城関係者も考えて来たであろうこと。
だからこそ、この眼鏡の勇者(予定)が、対価として求めるほどの大事であるのだという、事実。
「つまりこういうことか。魔王と勇者の望みはやはり相容れない、と」
「いや、究極的にはそっちの利になることなんだが、これ」
「ふはは、怖い、怖いぞ。かつて余の敗北にこれほどのプレッシャーがかかることなどなかったぞ」
魔王エリちゃんは、自身の身体が震えていることに気付いた。
武者震いと、想定できない程の損害を被る可能性という現実的な恐怖が、ダブルで己の身を襲っているのだ。
「魔王様! そやつの言うことに耳を貸してはなりませぬ!」
「そうですぞ! いずれ破滅の時が来るとしても、魔王様の代では大丈夫ですぞ! どっかのいけ好かないメガネの甘言に惑わされてはいけませぬ!」
「お前らどっちの所属だ、こら」
そんな孫娘の震える姿を見て、思わず爺さん達は魔王を庇う。
その声を受けて魔王エリちゃんは少しだけ安らいだ表情になる。
しかし、すぐにその表情は困難に立ち向かう者のそれに変わる。
「だが! だが勇者よ! 魔王はこんなことで折れはしない! たとえそなたが何を企もうと、我が力でその野望を打ち砕いてみせる!」
「なんで俺が悪役みたいな展開になんだよ」
メガネはぼそりと不平を漏らしたが、誰もその疑問には答えなかった。
「しかし姫様! そやつに勝つ事は──!」
「みなまで言うな爺よ。確かにこやつは底知れぬ力を秘めていよう。だが、世も魔王だ。全力を尽くしてでも、今の魔王城を守る責務がある」
「ま、まさか魔王レベル100を解禁なさるおつもりか!?」
勝手に爺さんと魔王が盛り上がっている中で、それを反対側でぼーっと眺めていたドラ子がぼそりと言う。
「『魔王なら勇者レベル1に本気は出さない』とか言って無かったっけ」
「ほら、先輩は盗賊レベル33くらいですから」
「むしろ勇者レベル1より弱そうなんですけど」
白騎士のフォローにならないフォローを受けつつ、しかしドラ子もまた少しだけ期待の目を向けていた。
自分が魔王に破れたこと自体はとても腹立たしいが、それはそれとして気になっていたメガネの実力がようやく見れるかもしれない。
現代において戦闘力はほとんど評価されない項目であるが、それでもドラゴンとして生まれた以上、気になるものは気になるのだ。
かくして、何故か流れ的にこの世界の秩序を壊す悪役ムーブをさせられているメガネは、改めて魔王に意志を問う。
「それで、戦うってことで良いのか?」
「ふっ良かろう。余が勝てばそなたは『宿敵』として、この先ずっと魔王城に尽くし続けるのだ。ふふ、働きが良ければゆくゆくは余の側に取り立ててやっても良いぞ?」
「宿敵とはいったい」
聞いていた話と少し違うなぁ、とメガネは思ったがそれ以上のツッコミは入れなかった。
「そしてそなたが勝てば、良いだろう。魔王城のアップデートを行ってやるとも。ふふ、休業することでの損害は計り知れぬが、これも魔王城を守る魔王の務め。必ずや世界を守ってみせる」
「決意は良いけど、口だけじゃなくてちゃんと約束を守れるんだろうな?」
「抜かりは無い。既に経営陣に連絡は入れてある。やつら大慌てでおったわ。ははは」
魔王様の目は笑っていなかった。
勝っても負けても大目玉なのが目に見えるようだった。
「それと勇者よ、ルールを決めよう」
「ルール?」
てっきりドラ子の時と同じように、ルール無用の何でもありになると思っていたところで、唐突に魔王は告げた。
「まず、先程のドラゴン娘のようなジョブ外スキルは禁止だぞ。反則はだめだ。それと余は緊急時のためレベル100で相手をするし、魔王城の権能はなんでも使う。あと配下が乱入してくる場合もあるが許せ。勇者は一人で魔王城に乗り込んで来た設定だから、そこのドラゴン娘とか入ってくるのは禁止だぞ。また装備に関しても余は魔王城の宝物をふんだんに使えるが、そなたは一人で潜入するために着の身着のままになったのだ。仕方あるまいな。ここまでは良いか?」
「必死過ぎるだろ」
「必死にもなるだろう! 余でも分かるぞ! 負けたときの損害額が一桁二桁ではないことくらいな!」
もはや開き直った魔王エリちゃんであった。
相手は盗賊レベル30程度だとしても、先程のドラ子の件もあって絶対に油断はできない。だとすれば、これでもかと自分に有利な条件をかき集めて、欠片一つでも勝利への要素を増やす必要があった。
とはいえ、それを聞いていたメガネは特に焦った所も見せずに言う。
「まぁ、構わない」
「えっ!? 良いのか!?」
「いや、自分で条件付けたんだろ……」
「そ、それはそうだが」
魔王エリちゃんは口籠もる。
確かに自分で付けた条件であるが、それで了承されるとは思っていなかった。
相手から反論があるのは想定済みで、そこから少し緩和しつつ、できればメガネの要求をマイルドにするのが目的であった。
できるかは分からないが、最終的に撤回してくれれば良いとすら思っていた。
だというのに、メガネは条件をあっさり呑む。
まるで、その程度では何一つ、自分の勝ちは揺るがぬとでも言いたげに。
「で、では始めるぞ? そなたは盗賊スキルだけで戦うのだぞ?」
再度の確認を取ったところで、初めてメガネは待ったをかけた。
「その前にジョブチェンジさせてくれ」
「え?」
魔王様は、メガネの要求に戸惑った。
「それは、構わぬが、そなたは今日が初魔王城であろう? 盗賊以外に育っている職業などないのではないか?」
「育ってはいないだろうが、レベル30の盗賊よりは使えるジョブがある」
「う、うむ。まぁ、多少の変更は許容するぞ」
許容する、と言ってから魔王エリちゃんは焦燥に駆られていた。
このタイミングで、ジョブを変えると言うならばそれは絶対に意味があることだ。
だが、この状況で、レベル1のジョブになったところでどんなスキルが使えるというのか。
それこそ、職業固有のスキルが少しあるくらいの筈で、盗賊よりマシであっても大した違いはないだろう。
だというのに、どうしてこうも不安になるのか。
「ま、待てメガネ!」
そんな魔王様の胸中を知ってか知らずか、ダイキリ爺さんが唐突に待ったをかけていた。
「せ、設定ではお主は忍び込んだ筈だから、職業が盗賊でなければおかしいのではないか!」
「いやでも、魔王様から許可貰ったから」
「そ、それは言葉のあやじゃ! 魔王様! 今からでも職業変更禁止を!」
ダイキリ爺さんの必死な顔に、魔王エリちゃんは唇を噛む。
それは、彼女を心配すると同時に、一つの確信を覚えている顔だった。
ここで職業変更を許せば、魔王である自分が負けると。
それは、魔王エリちゃんのプライドを傷付けた。
「魔王に二言はない! 安心せよ爺! 魔王は負けぬ!」
あらゆる虚勢を駆使して、それでもエリちゃんは傲岸不遜に笑ってみせた。
「し、しかし!」
「もうよせいダイキリ。エリちゃんは魔王だ。遅かれ早かれこうなる定めじゃよ」
「どっちの味方じゃギムレット!」
「こっちの台詞じゃい。ワシらに出来る事は魔王様を信じることと──デスマーチを覚悟することだけじゃ」
ギムレット爺さんもまた、エリちゃんが負けると考えているのは分かった。
だからこそ、エリちゃんもまた意地を張った。
絶対に勝って、この二人をぎゃふんと言わせてみせると。
「どうでも良いけど職業変更してきていい?」
孫と祖父の、お互いを思うが故のすれ違いを尻目に、メガネはマイペースに尋ねる。
ここに至って、彼を止める者は誰も居ない。
「うむ、さっさと行くが良い。いや待て、何にするつもりなのだ?」
少しだけマナー違反な気はしたが、魔王エリちゃんは思わず尋ねていた。
少しとはいえレベルの上がった盗賊を捨ててまで、メガネが選びたい職業とはなんなのか。
メガネはその問いに少しの逡巡もなく答えるのだった。
「勇者か鍛冶士に」




