23 ふれあい研修! Solomonモンスター牧場! 1
新入社員の入社から数ヶ月が経ち、新入社員も仕事に慣れて来る時期になっていた。
それは保守サポート部だけではなく、Solomonを開発している大元であるこの『会社』全体にも言える話だ。
仕事だけではない。入社から数ヶ月が経ち、仲の良い同僚や苦手な人、頼れる先輩や近づいてはいけない上司など、人間関係もそれなりに構築されてきたことであろう。
保守サポート部に限って言えば、他部署との付き合いは相変わらずほとんど無いのであるが。
とかく、少しだけ入社の緊張が弛緩した雰囲気が、会社全体を包み出した今日この頃。
部を跨いだ会社全体の掲示として、全ての社員を対象にしたお誘いが各部の掲示板に掲載されていた。
『
牧場研修のお知らせ
今年も牧場研修の時期がやってまいりました。
全社員を対象に牧場研修の参加希望者を募集します。
研修内容は主に以下の通りです
・Solomonのモンスター召喚機能の講習
・実際に召喚されるモンスターとのふれあい
・班ごとに分かれてそれぞれの担当になるモンスターのお世話
仕事で日々すり減らした心を、可愛いモンスター達とのふれあいで癒しませんか?
研修日時は以下の通りです。
2002X/07/24〜2002X/07/31
どうぞ奮ってご参加ください!
』
普段はあまり注目されない掲示板のど真ん中に、デカデカと現れたその掲示は、まさしく日々の仕事で心をすり減らしている赤髪の少女の目にも留まった。
「牧場研修……」
普段は、昼時であればご飯のこと以外何も気にしない後輩がぼそりと呟いたので、連れ立って歩いていた眼鏡の先輩も、呟きを拾った。
「なんだ興味あるのか?」
「あー、ちょっと」
さもありなん、と青年は心の中で思った。
他の部署についてそれほど詳しく知っているわけではないが、それでも保守サポート部の心労はなかなかのものだ。
心ないお問い合わせはそう多くないが、差し引いてもとにかくチケットの量が多い。
日常的に仕事量が多ければ当然ストレスが溜まり、心は次第にすり減って行く。
新人ゆえに比較的簡単なチケットが回されることが多いと言っても、都合が付かなければ難しいチケットも回ってくる時期だ。
お問い合わせを読んだだけでは原因の想像も付かないような事象を、〆切の決められた状態で回答しないといけないというのは、想像以上に辛いものだ。
そんな状態にさらされ始めた彼女が、動ぶ──モンスターとのふれあいに癒しを求めてもおかしくはない。
「でも、流石にウチじゃ無理ですよね。人手不足だし」
と、青年の思考を知ってか知らずか、ドラ子は少し冷めた目で言った。
発言としては現実が見えていると評価したいところだが、入社数ヶ月でこうまで目が死んでくる会社というのも、やはり問題だ。
だから、青年は彼女の言葉を否定する。
「いや、興味があるならゴーレム部長に相談してみろ。どうにかしてくれるから」
「え、ゴーレム部長が、ですか?」
「お前の中でどんなイメージなのかは知らんが、あの人は他人のメンタルケアには人一倍気をつけているんだぞ」
「……(あれで?)」
ドラ子は思っても口には出さない社交性を身につけていた。
「でもドラ子、耐性大丈夫か? 牧場研修いくなら重要になってくるけど」
「耐性? ああ、モンスターの世話をするんですもんね」
ドラ子は一瞬なんの話をされているのか分からなかったが、すぐに思い至った。
Solomonが扱っている召喚モンスターは本当に多岐に渡る。その中には当然、一般人からすれば触るな危険のモンスターだって数多く含まれている。
牧場がどのように運営されているのかは知らないが、迂闊に触れない危険なモンスターのお世話には、ある程度の耐性も確かに必要だろう。
とはいえ、それは一般人だったらという話だ。
ドラ子はむんと胸を張りながら、自身を誇るように言う。
「こう見えても私ドラゴンですからね。各種属性耐性に加えて毒や病気、麻痺、混乱、睡眠、窒息、即死、老化、ミニマム化、酸やアルカリ耐性も完璧ですよ。私が相手できないモンスターは存在しません」
そんな後輩を見つつ、ぼそりとメガネは言う。
「でもお前、洗脳耐性なさそうだし……」
「なんで牧場研修に洗脳耐性が……?」
「まあ、最悪頭ぶっ叩けば目を覚ましそうだし大丈夫か……」
「あの、だからなんで洗脳耐性が……?」
後輩の質問に特に答えることもなく、メガネは明るく言った。
「よし、良い機会だから心をリフレッシュしてこい」
「心リフレッシュの意味が変わりそうで不安なんですけど?!」
洗脳……洗脳……と頭の中で何回も繰り返しつつも、日頃の激務から逃れる良い機会ということもあって結局ドラ子は研修への参加を決めたのだった。
それから、あっさり研修参加にはOKが出た。
不穏な雰囲気を感じつつも、気分的には遠足の延長のようなもの。
やや気分を持ち直したドラ子は、その日から研修までの期間をウキウキ気分で仕事していた。
研修は一週間で、その間は牧場に泊まり込みとなるらしい。
作業服や食事等の衣食住に関するものは用意されるので、下着とおやつと多少の娯楽用品だけ持ち込めばそれで問題ない。
保守サポート部からの参加はドラ子とレッサーゴブリン君だけなので、知り合いはほとんど居ないが、元々ドラ子は人見知りする性格ではない。
友達が居ないのは、それ以外の部分が原因である。
そして研修当日。その日は午前6時に本社前に集合し、バスに乗って少し遠くにある牧場へと向かうこととなっていた。
「ていうかなんでゴブリン先輩も居るんですか?」
普段の出社よりも随分早い時間であるため、集っている人々もみな一様に眠そうな顔をしている早朝。
時間よりも早めに着いていたドラ子は、同じく早めのレッサーゴブリンへと尋ねる。
「え、なんでって参加したかったから?」
「……ああ、確かにストレス溜めてそうですもんね」
「待って今どこ見ながら言った?」
ドラ子の視線は、ゴブリン君の目よりも少し上を見ていた。
ただし、今そこには、少し古びた帽子が被さっていて良くは見えなかった。
「まぁ、今回の保守仲間は俺達だけだから、適度に仲良くやろうね」
「うっす。先輩の帽子は私が守ります」
「いやその気遣いの時点で何か間違ってる」
そのまま、会話はゴブリン君秘伝の『回答本文をレビュアーに書いてもらう秘技』の話へと移って行き、先輩に対するドラ子の尊敬が爆速で下がっていった。
そうこうしているうちにバスの時間が迫る。
参加者は総勢で20は行かないくらいかな、とドラ子が考え始めたところで、一人だけ、保守サポート部ではないが見知った顔が近づいてくることに気付いた。
「カワセミ先輩! おはようございます!」
ドラ子がそう声をかけると、ふわりと落ち着いた印象を持った綺麗な女性が突然の挨拶に目をぱちくりさせた。
「あ、え? あ、えっとドラ子ちゃん、だっけ?」
「はい! 保守サポート部のドラ子です!」
「それに、ゴブリン君も。おはよう」
「おはようございます!」
カワセミと呼ばれた女性は、ドラ子とゴブリンの双方に挨拶しつつペコリと頭を下げた。
彼女は以前、突発的に開催されたプレ新人歓迎会で少しだけ挨拶をした攻略サポート部の女性であった。
攻略サポート部の内情は知らないドラ子だが、先日の話の感じからして、朝早くに出社してバリバリ働くような殊勝な部署とは思えなかった。
だから、当然の帰結として、こう尋ねる。
「カワセミ先輩も研修ですか?」
「ええ。ちょっと、癒しを求めて……」
その表情で、ドラ子はなんとなく察してしまった。
この女性は、攻略サポート部にあまり馴染めていないようだ、と。
そもそも、彼女が保守サポートから攻略サポートに移った経緯を知らないのでなんとも言えないが、望んだ人事というわけではないのだろう。
とはいえ、ドラ子にできることもないので、彼女は努めて明るく言った。
「それじゃ一緒に癒されましょう! ゴブリン先輩の髪の毛は無理でも、私達の心のケアは出来る筈です!」
「ちょっと待って。俺の髪の毛は無理じゃないよ。というかそもそもハゲてないからね」
ドラ子の発言と、ゴブリン君の超速反応のコンボが面白かったのか、カワセミは疲れた顔ながら少しだけ微笑みを浮かべた。
ふむ、やっぱりこの先輩とは仲良くできそうだ。
そうドラ子が思っていたところで、もう一つ、若い男の声が聞こえてきた。
「カワセミ先輩。ダメですよ保守サポート部の連中なんかと話してたら。陰キャが移りますよ」
明らかに保守サポート部を小馬鹿にしたような発言だった。
ドラ子は即座に声のした方を睨む。
そこには気障ったらしい表情の、髪型をキメキメに整えた若い男がいた。
ドラ子は瞬時に敵認定を行い、声をあげる。
「なんだぁてめぇ?」
「ひえっ」
目元だけ人化を解いて、爬虫類のような眼孔を剥き出しにしながらドラ子はキレた。
周囲にはチカチカと火花が散り、抑え切れぬ殺気がバチバチと燃え盛っている。
「い、陰キャな上に野蛮だなんて」
「じゃあてめえは陽キャな上にビビリですかこの鳥の巣頭野郎さんが、ああ?」
「と、鳥の巣!?」
若い男は自身の髪の毛をそっと撫で付けながらショックを受けていた。
ちなみに、どちらかというと、これがドラ子の素の性格であった。
普段は後輩らしく先輩を立てている(あれでも)のだが、基本的に彼女はドラゴンらしく傲慢で喧嘩っ早いのである。それでもギリギリ敬語を使おうとしているのが、これまでの眼鏡の教育の成果だろう。
そんなんだからなおさら友達ができない。舎弟はできる。
そして、実はすぐに問題を起こしそうなドラ子を諌めるために付けられた筈のゴブリン君も、一緒にひえっていたので、もはやこの場には誰も止める者が居なかった。
かと思われたが、
「ドラ子ちゃん、止まって止まって」
「はいっすカワセミ先輩」
怒れるドラゴンを、会って二回目のカワセミが宥めていた。
目上の人間には逆らわないのも、悲しいことにドラ子の習性であった。ドラゴンの習性というよりも、母親からの躾けであるが。
彼女が母親に本気で逆らったのは飯抜きにされた時くらいであろう。
カワセミはドラ子が落ち着いたのを見て取ると、今度は最初につっかかった若い男の方を諌める。
「スト君も、いきなり他部署の人に喧嘩を売ってはだめですよ」
「ですが先輩」
「ですがではありません。社会人として当然のマナーです」
めっ、と窘められてスト君と呼ばれた男も、不承不承ながらドラ子に頭を下げる。
「ふん、済まなかったな、ちっ、なぜ僕がこんな女に」
「あ? 転がされたいんですか?」
「ひっ」
そして再び仲違いを始めようとした二人に、カワセミはどこぞの眼鏡のように深いため息を吐いたのだった。
なお、最初は白騎士(仮)がつけられる予定だったが、保守サポート部の戦力的にゴブリン君が選ばれた模様。
次の更新はできれば火曜日までに、遅くとも水曜日の予定です。




