207 昼休憩『本と本棚の製作者』について5
キリのいいところまでと思ってたら少し長くなりました。寝るまでは月曜日……明日がやばい……
「つまり、そのような事実はないと言いたい訳で?」
少しのいざこざの後、渦中の二人の証言をまとめたトゲちゃんはそう尋ねた。
「そうなるな」
「その通りです」
メガネは相変わらず涼しい顔をしたまま、ドラ子はヒートアップした結果、額にほんのりと青筋を浮かべてそう答える。
対照的な様子の二人であったが、出した言葉は息のあったものであり、トゲちゃんは訝しむような目を向ける。
「ええー? ほんとにござるかぁ?」
ほぼ煽りであった。
軽い口調とは裏腹に、つまらなそうに表情を歪めるトゲちゃんを見たメガネは、無言のままそっと卓上の割り箸に手を伸ばす。
「…………」
「……!」
それを見たドラ子は、なるほどと納得した顔で一味唐辛子の蓋を開けた。
メガネが割り箸を割って、取り皿の上に乗せる。
ドラ子は割り箸に丁寧に一味唐辛子を振りかけはじめる。
先端が真っ赤な棒が二つ出来上がった。
「で、殿中にござる! 殿中にござる!」
無言で意思疎通を図り始めた二人に『やっぱり仲良いんじゃないの?』と問いかけたい気持ちになったトゲちゃんであるが、それ以上に出来上がった凶器が物騒過ぎたので命乞いをした。
そのトゲちゃんの言葉に、メガネはにこりと笑みを浮かべた。
「殿中なわけねえだろ。仮に殿中だとしても安心しろ、どうしてもって言うなら好きな所に転移で送ってやる」
「そんなどこまでも私的な理由での転移は法律で禁止されている筈では!?」
「お前が法律を語るのか、面白い冗談だな」
「…………ハイ、スミマセン」
トゲちゃんは青い顔で視線を逸らした。
法律の遵守については、負い目があることを否定できないらしい。
このトゲちゃんが何をやらかしたのかについては、ドラ子も多少記憶に残っていた。
確か、彼女が開発した本棚管理用のAIがやや行き過ぎた知識欲に目覚めてしまった結果、この世界の機密情報にアクセスしてしまったのだとか。
実際のところ、ドラ子はこの世界の管理者サイドに関する情報など何一つ知らない。世界の上のほうで偉い人がなんらかの対策を行っているおかげで、今日も世界は円満に回っているらしいというのを知っているだけだ。
世界の管理者など、本当に居るのか、居るとして何人居るのか、どういったことを行っているのか、などなど具体的なことが何も分からない、世界レベルの都市伝説みたいなものなのである。
つまり、そんな所にまで届いてしまうAIというのは、下手をすれば世界の根幹を揺らがしかねないレベルの危険物であり、そんなものを『理想の本棚を作る』という趣味のためだけに作り上げてしまった彼女も、はっきり言えば世界の敵に成りうるレベルの存在であるということだ。
もっとも、間近で見る彼女がそんな大それた願いなど、何一つ持っていないことは疑いようがない。
そもそも、別に彼女は世界を敵に回すためにAIを作ったわけでもないし、AIにそんな機密情報を探って来いと命じたわけでもない。
ただ、己の趣味のための妥協を一切しなかっただけなのである。
その本体は、小柄で内向的なただの一会社員なのである。
故に、メガネに何か言われる度に縮こまる彼女の様子は、ドラ子が先程まで抱いていた苛立ちを沈め、むしろ同情すら覚えてしまう弱々しさである。
その姿が可哀想に思えてしまい、ドラ子は手の中で遊ばせていた唐辛子属性の割り箸をそっと置いて、メガネを窘めた。
「まぁまぁ先輩、犯罪うんぬんはもう過ぎたことなんですから良いじゃないですか」
確か、どういう取引条件があったのかは知らないが、その機密情報に関する一件は一先ずの落着をえた筈である。
であるならば、直接の被害者でもない人間がとやかく言うことでもあるまい。
そう思った故の発言であったのだが、言われたメガネは、ドラ子を生暖かい目で見つめ返す。
「……え、なんですかその顔、ちょっと怖いんですけど」
メガネの先輩が表情に込めた感情が全く読み取れず、ドラ子は少し身構える。
そうやって心の構えを取ったドラ子を確認してから、メガネは静かに言った。
「ドラ子、お前は例の一件でトゲちゃんが犯罪から足を洗ったと思っているんだな」
「…………うーん」
口振りが怖かった。
というか、その問いかけにも似た一言はもはや反語に等しかった。
メガネの言葉は、必然的にその真逆の意味を持っている。
すなわち、ドラ子の『思い込み』が間違っていると伝える言葉。
「一つ良い事を教えてやろう。この腹ぺこトゲムシは、上層部からの危険度判定でA+を貰っている。これはお前が大好きな骨無しペンギンさんと同じランクだ」
「いや大好きではないです」
お約束のように返してから、ドラ子はたった今名前の出たペンギン氏を思い浮かべる。
出会いの段階からぶっ飛んでいたのは置いておいて、ナチュラルに会社に対してクーデターを企て、ゴーレムで品質問題を引き起こし、資金の私的な横領の疑いも持っていて、それなのにSolomonの根幹に関わるらしき術式の何かを握っているが故に、解雇もできないという、厄介を煮詰めたような人物である。
そんなペンギン氏と、一見すると人畜無害そうなトゲちゃんが、どうして同じ危険度判定となるのだろう。
「一体何をやらかしたら、ペンギンさんと同じくらい対策されることになるんですか」
「簡潔に言うと、現在進行形でやらかしまくっておきながら証拠を一切残さない完全犯罪みたいなことするとそうなる」
「ええ……」
えへへ、と何故か照れたような顔をしているトゲちゃんを横目に、ドラ子は先輩に対して説明を求めた。
──────
会社の情報屋こと、トゲちゃんの情報収集のやり方は大きく分けて二つあった。
一つは、実際に生身の人間から情報を仕入れる方法。
これはつまり、トゲちゃんが自らあっちへフラフラこっちへフラフラしながら聞き取りをしたり、タレコミを待ってみたり、はたまた何らかの情報を求める人から、情報の対価として違う情報を貰ったりする方法だ。
まぁ、こっちに関しては犯罪性もほぼ無いと言って差し支えないだろう。情報を聞いただけで犯罪になることはほとんどない。
だが、トゲちゃんの情報収集のメインはそちらではない。
そもそも、前述したようにトゲちゃん自身は内向的な方であり、自分から情報を求めて歩き回るタイプではない。
実際にそれを試みたとしても、今回のように空回りすることも多々ある。
トゲちゃんが持っている情報のうち、一つ目の方法で集められた情報など微々たるものであろう。
では本命であるもう一つの方法はどういうものかというと、簡単だ。
「より高度に進化したAI──通称アイちゃんが合法非合法を問わず色んな所に潜り込んで片っ端から情報を集めまくっているんだ」
それこそが、ある意味トゲちゃんが求めた『本棚』の最終系でもあった。
トゲちゃんにとっての究極の本棚の一つは、黙っていても勝手に自分好みの本が無限に集ってくる本棚なのだ。(もっともそれはあくまで『収集』という側面の話であって、自慢の本棚を作る『管理』という話になるとまた別の話なのだが、今回は置いておく)
トゲちゃんが作成し、自己進化を遂げまくったアイちゃんは、既にその段階に──自動でトゲちゃん好みの本を集めてくる段階に到達している。
トゲちゃんが自ら情報を探し回らなくても、勝手にどこからか知りたい情報が勝手に集ってくる環境が完成しているのだ。
つまり、原価ゼロで好きに情報を売り買いできる情報屋とかいう、全世界の情報屋にあるまじき恵まれた環境にいるのがトゲちゃんなのだ。
──────
「先程のドラ子の初恋の情報だって、例えば共通の知人に成り済ましてドラ子の知人から直接聞いていたり、ドラ子の個人端末にそっとお邪魔して情報を収集していたり、そういった方法でアイちゃんが勝手に集めたものと推測されるな」
「それ、もしかしなくても犯罪なのでは?」
「そうだな。見つかれば犯罪だろうな」
先程言ったように、このアイちゃんの活動は、合法非合法を問わない。
アイちゃん本人(?)は可能な方法で情報を集めているだけで、そこに善悪の基準はないし、出来てしまうものはどうしようもない。
それでいて、彼女はちゃんと学習している。
情報収集の手段が合法だろうと非合法だろうと、何一つ証拠を残さないようにすれば問題無いのだと。
「証拠さえ存在するならば、アイちゃんとついでにアイちゃんが集めた情報で悦に入っているトゲちゃんをまとめてブタ箱にぶち込むことは可能だろう。だが、この世界のほとんどの人間よりも進化してしまったアイちゃんは、人間如きが発見できるような証拠はまず残さない。故にアイちゃんを訴えることが誰もできない。イカサマは証拠を出さないと糾弾できないのと同じようにな」
「いやでも、ほら。状況証拠というか、そういうのあるでしょう」
「仮にそんなもので追いつめようとするならば、逆にアイちゃんに自分の弱味を叩き付けられて追いつめられるだろうな。どっかの正義溢れる人物がアイちゃんの犯罪行為を明るみにしようと頑張った結果、かつての自身の浮気の証拠を丁寧にまとめたものを奥さんに送付されたという悲しい事件もあった」
「うーん」
改めて考えなくても、アイちゃんやばくない?
先のチケットの時も思ったけど、本気になったアイちゃん、全く制御できないじゃん。
「ただ、アイちゃん本人(?)は、前述したように本棚管理AIだからな。基本は情報収集にしか興味がないので、迂闊に手を出さない限りは反撃されるようなこともないし、情報収集以外の行動も自発的には行わない。ただし、アイちゃんが集めた情報に自由にアクセスできる権利を持っているトゲちゃんが、どう動くかまでは分からないわけだ」
アイちゃんも、トゲちゃんも、それ単体では特に危険ではない。
二人の関係はあくまで、本棚の管理者と読者であって、その関係を壊そうとしない限りは、反撃を受けることはない。
だが、その本棚が厄ネタの宝庫であり、その読者はその厄ネタを面白半分で売り買いしているとなれば、超怖い。でも迂闊に手出しできない。故にマジで怖い。
「これは納得の危険度判定A+ですわ」
「まぁ、トゲちゃんも基本は小心者だから、大それたことをしないのが救いだろうな」
メガネがそう締めくくり、二人の視線はトゲちゃんへと戻った。
さっきまで散々自分の脅威を説明されていた筈のトゲちゃんであるが、本人は恐縮そうにしているだけで、特段先程の態度と変わった様子がないのが、今のドラ子には少し怖かった。
まるで自分の危険度を理解していないような顔だった。
「本当、大袈裟ですよね。私みたいな凡人と、あの変た──天才のペンギンさんを同列扱いだなんて」
「いやいやいや、アイちゃん作っておいてなぜその認識なんですかね?」
「だって私は雛形を作っただけで、勝手に進化していったのはアイちゃんですから。すごいのはアイちゃんで、私じゃありません」
そう言ったトゲちゃんは、言葉とは裏腹にどこか自慢するような顔をしていた。
なんだかんだ、自分が生んだわが子のようなアイちゃんが、曲がりなりにも褒められるのは気分が良いのだろう。
ドラ子はそこでようやく、トゲちゃんの人物像がしっかり掴めた気がした。
いや、なんとなく分かっていたのが、実感を伴ったと言うべきか。
多少ぶっ飛んだところはあっても、根はオタク気質で小心者な普通の女性なのだなと。
「それじゃあ、満足とは言いませんが知りたいことも知れたので、私はこれで」
話は終わったと思ったのだろう。そう言ってトゲちゃんはぺこりと頭を下げ、自身がもともといたテーブルへと戻ろうとする。
そんなトゲちゃんを、メガネが呼び止めた。
「待ったトゲちゃん」
「はい?」
呼び止められた理由が分からず、きょとんとする彼女。
そんな彼女に、メガネは少し説教するように、こう言った。
「トゲちゃんに伝えておくぞ。たまにはちゃんと『自分で会社に来い』」
それを聞いたドラ子は、頭に疑問符が浮かぶのを止められなかった。
先輩が何を言っているのか分からなかった。
いや、トゲちゃん、目の前にいるが? 会社に来ているが? どういうこと? と。
だが、言われたトゲちゃんは、一瞬だけ驚いたような顔をして。
それから、
「分かりました。ちゃんと伝えておきますね。う〜ん。アイちゃんこれでも演技には自信があるんですけどねぇ。やっぱり──バレちゃいますね」
先程までとは打って変わった、作り物めいた綺麗な笑顔でそう言った。
自分が二人いたら片方は仕事に行って片方は遊び尽くす。
そういうこと考えますよね。




