206 昼休憩『本と本棚の製作者』について4
仕事のクソ忙しさと意味のわからない地球くんの寒暖差のコンボで凄まじい熱を出してぶっ倒れてました。
引き始めはなんとかなると思ってたんですけどどんどん悪化してどうにもならず更新遅れてすみませんでした!
トゲちゃんの仕事は、開発チームにて家具に関連する術式を開発することだ。
だが、実際のところ別にトゲちゃんは家具が好きというわけではない。
彼女はやれと言われたことをやるだけで、それほど仕事に熱心ではなかった。
本棚と本だけが彼女にとっての例外であり、例外であったからこそ、彼女の趣味はどこまでも突き抜けることになった。
彼女は読書する本の種類について選り好みはしなかったが、それでも好きなジャンルは存在した。
彼女が好んで読んだのは、恋愛小説であった。
特に人間関係の描写が細かくされているものを好み、ライトで健全な恋愛であろうと、昼メロチックにドロドロした恋愛であろうと、おかまい無しに楽しんだ。
彼女はどちらかと言えば自分の世界に閉じこもりがちの人間である。
読書が好きだったのも、元はと言えばそれが他人と関わらないでも完結する趣味であったからが大きい。
そんな彼女であるが、別にこの会社が嫌いだったということはない。
むしろ彼女は、この会社が好きだった。
何故なら、この会社には部署の違いによるギスギスした空気と、どこか粘度の高い感情と、一筋縄ではいかない人間関係が渦巻いていたから。
それは、読書から得た養分とはまた違う、どこか生々しくも温度のある剥き出しの感情が篭っていた。
それは彼女にとっては、自身が好む詳細で複雑な心理描写と似通って思えた。
つまるところ、彼女の趣味は人間観察だ。
だが、前述したように彼女は内向的な方だったので、自分から人と関わって、積極的に情報を集めることはしていなかった。
アンテナを出来るだけ高くして、そこに引っかかった情報を餌に妄想をこねくり回すのが精々であった。
そんな彼女が弾けたのは、趣味で作っていた本棚用のAIがとあるラインを踏み越えたときであった。
──────
「つまりトゲちゃんの本業は、この会社の情報屋だ」
「本業て」
本業はあくまでも、うちの会社の開発チームの一員なのではないか、とドラ子は思った。
だが、言われたトゲちゃんはまんざらでも無さそうだった。
「いやぁ、それほどでもないですよ〜。情報屋なんて言っても、社員ほぼ全員の個人情報をそこそこ把握している程度ですし〜」
嬉しそうに声を弾ませるトゲちゃんに、ドラ子は思わず背筋を伸ばした。
別にトゲちゃんを信じた訳では無いが、トゲちゃんの言葉には、言外にドラ子を警戒させるだけの『謎の自信』があった。
だから、別に信じたわけではないが、ちょっとだけ確認してみたくなった。
「えっとちなみに、その情報ってどれくらいのことを知ってるんですか?」
「どれくらいのことと言いますと?」
「例えば、お試しで教えてくれる程度の情報だとどんな感じとか」
好奇心なのか、あるいは別の何かなのか。
ドラ子はうっかりとそんなことを尋ねていた。
そんな後輩のうっかりに対し、メガネの先輩は売られていく豚を見るような目をしているものの、止めるようなことはしなかった。していなかった。
「そうですねぇ」
ドラ子の口から迸った気安い質問に、トゲちゃんは少し目を瞑る。
そして、記憶の本棚から一冊の本を抜き出したように、静かに情報を語り出した。
「では、誰の迷惑にもならないドラ子さんの個人情報を一つ」
「ん?」
「ドラ子さんの初恋は5歳の時で、お相手は幼稚園の先生ですね」
「……は?」
突然もたらされた情報に、ドラ子はフリーズした。
何故、という疑問が瞬時に脳内を満たし、それ以外の行動を取らせてくれなかった。
だが、そんなドラ子の反応を見たトゲちゃんは、まだ足りないのかな? と判断して更に情報を積もらせていく。
「親戚以外で初めて出会った大人の男性に憧れたのが理由のようですが、恋が冷めたのは割とすぐ。ドラゴン式おままごとで先生をあっさりとぶちのめしてしまったのが原因とか」
「ちょ、まっ」
「その後は、親戚以外で自分より強そうな男性に惹かれる傾向があったようですが、そのせいで同年代ではなく年上の男性に憧れることが多かったと。ふむ、それでいて、結局憧れた相手を全て打倒してきたので、この歳まで特定の男性と恋仲になった経験はナシと」
「一旦落ち着きましょうか!?」
少しだけ顔面レッドドラゴンになったドラ子が、力づくでトゲちゃんの口を押さえた。
唐突に、幼い頃の敏感で繊細な乙女心がいきなり掘り出されたような、どうしようもない羞恥心がドラ子を襲っていた。
だから、これ以上心臓をいやな感じで跳ねさせないために、ドラ子限定の呪言を吐き続けるトゲちゃんの口を完全に塞ぐ必要があった。
「ふもっ! ふもっ!」
「え、なんですか?」
「ふほほふ、はひはっへひた」
その段階で、滔々と語っていたトゲちゃんが、先程のトランス状態から抜け出したようにハッとした表情になる。
トゲちゃんから弁明するような雰囲気を感じて、ドラ子はそっと拘束を緩めてみた。
トゲちゃんは満面の笑顔でフォローするように言う。
「男性に告白されたことはないですが、代わりに女子に告白されたことがたくさんあったため、もしかして同性の方とは恋仲に成った可能性が!」
「OK。私に喧嘩を売っていると認識してよろしいですね?」
「NO! NO!」
ドラ子から、一般人に向けていい範疇を越えた圧が漏れ出したので、トゲちゃんは必死に首をブンブンと振って抵抗していた。
一連のやり取りの、なんと不毛なことであろうか。
その様子を見るに見かねたように、メガネが口を出す。
「そのへんにしておけドラ子。トゲちゃんにお試しで情報を寄越せなんて言ったら、自分の恥ずかしい過去の一つや二つ暴露されて当然だ」
トゲちゃんを庇いつつ、ドラ子を宥めるような絶妙な物言いであった。
だが、顔面レッドドラゴンと化していたドラ子は、その言葉の薄っぺらさを敏感に感じ取っていた。
「……その情報を私に伝えるのが遅過ぎませんかね先輩」
「俺が止める間もなかったんだ、許せ」
嘘吐けてめえ眼鏡コラ止める気あったら絶対間に合ってんだろコラ、とドラ子は思ったが口にするのはやめておいた。
言っても多分勝てないし、言ったところで過去が変わるわけではない。
とりあえず下手人をどうにかする方が優先度は高い。
「トゲちゃん先輩? いったいどこからそんな与太話を?」
「与太話? いえいえ、きちんと色んな場所から情報を収集して精査した結果の、それなりに確度の高い話でして」
「どこからそんなデタラメな話を聞いたのかと聞いているんですよぉ!?」
ドラ子は、これ以上トゲちゃんから何かが漏れる前に、ドラゴンらしい圧をかけて情報を封鎖することを選んだ。
重力が真横に向かっているんじゃないかと錯覚するほどの圧に、トゲちゃんは口の端から泡をぶくぶくさせつつ質問には気丈に答える。
「ひぇ……ええと、その、ドラ子さんの昔のお知り合いだとか、ドラ子さん本人のお話だとかが主ですけれど」
「…………ほ?」
いったい、何を言っているんだ。
「ええと、ちょっと待って下さい。トゲちゃん先輩って、そもそも私と今日初対面ですよね?」
「はい。その筈ですよ」
「というか、私の名前も知らなかった筈ですよね? それで情報が集っているっておかしくないですか?」
「え?」
ドラ子は、最初の出会いを思い出して言った。
彼女は最初、メガネ先輩のことは名前で呼んでいたが、自分のことはそうではなかった筈だ。
つまり彼女の中のドラ子の認識はその程度、だった筈だ。
だというのに、どうして本名を知るよりもよっぽど難しい、際どい情報を事前に知っているのか。
ドラ子から湧いて出た疑問に答えるトゲちゃんの言葉は簡潔だった。
「いえ、自己紹介もしていないのに、お名前でお呼びするのもどうかと思いまして。遠慮しただけですけど」
「ええ……気を使うところそこですか?」
まぁ、確かに、全く知らない人から急に名前を呼ばれたら『なんだこいつ?』ってなるような気はしないでもない。
だが、それはそれとして、初手であんな爆弾をぶち込んでおいて、そこは気にするのかよという複雑な気持ちになるのは止められなかった。
「と、そうですよ忘れる所でした! それで結局どうなんですかお二人の仲は? 実はお二人についての情報はチマチマと私のもとに届いているんですよ! なんでも、二人仲睦まじくお昼を一緒に食べることが多いみたいじゃないですか! これはつまり、お昼デートと言っても過言ではないのではないでしょうか!?」
初対面に話題が戻ったと見てか、トゲちゃんは思い出したようにその話を蒸し返した。なお、今度はメガネに七味されないために、言葉の勢いの割には小声であった。
ドラ子としては、そんなトゲちゃんの疑問についてはどうでも良くて、どうして自分の過去がだだ漏れなのか気が気ではなかった。
だが、過去の話を置いておいても、現在進行形で進展している凄まじい誤解もまた、どうにかせねばならないものではあった。
「私とメガネ先輩がそんな仲だなんてあるわけないじゃないですか。どうして私が、こんな愛想の欠片もない男に心ときめかせることがあるんですか」
ドラ子は一切の熱を感じさせない口調で言い切った。
そう、ドラ子は入社したとき、たまたま昼ご飯を一緒に食べる人間がいなかったので、たまたま同じように一人だった先輩とたまたま飯を食う間柄になっただけなのだ。
そこに特別な感情は存在しないし、仮に存在していたとしたらカワセミ先輩の顔をどうして直視することができようか。
そんな気持ちを胸一杯に秘めてドラ子は言う。
「…………」
一方、尋ねられたもう片方のメガネは、眉間に深い皺を寄せて、ぼそりと言った。
「……わからない」
「え?」
てっきりメガネからも自分と同じような真っ向からの否定が帰ってくるものと思っていたドラ子は、先輩から漏れた言葉に目を瞬かせた。
「そ、それは、自分の心が自分でも分からない、という意味で受け取ってよろしいんですか?」
トゲちゃんが、かなり興奮気味にメガネに言い募っていた。
だが、それを端から見ているドラ子も、混乱の最中にあった。
『分からない』──それは暗に、ドラ子ちゃんの眩しい魅力に中てられて、自分の心すらも良く分かっていないということなのだろうか。
この、恋愛感情を母親の遺伝子の奥底に忘れて来たよう鬼畜眼鏡をして、ときめかせてしまう魔性の魅力がドラ子ちゃんにあるということなのだろうか。
そう考えると、そんな気がして来た。
ドラ子は、思春期の迷路に迷い込んだらしい先輩に、精神的優位の立場からそっと言った。
「良いんですよ先輩。先輩が迷ってしまうのは仕方ないことです。だって私はドラゴン系超美少女ですから」
「は? 俺が迷う? なんの話だ?」
「え?」
だが、そうやって優しく手を差し伸べたドラ子を、メガネはいつにも増した冷淡な瞳で見つめながら言った。
「どうして、傲慢な性格のせいで社内ぼっちになりかけた野良ドラゴンを親切で構ってやって、あまつさえ時には餌を恵んでやるという慈善行為が、そのような誤解を受けるに至るのか──まったく分からない」
「言い方ァ!?」
残念ながら、どこまでいってもメガネの中で後輩は女性扱いではなかったのだった。
これでも仲は悪くない二人なんです。