205 昼休憩『本と本棚の製作者』について3
「改めて、開発設計部所属の『腹ぺこトゲムシ』です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
喉の痺れも取れた頃に、ぺこりとお辞儀をしたトゲちゃんこと、腹ぺこトゲムシにドラ子はぺこりと頭を下げる。
そのまま、真っ先に気になったことを尋ねた。
「その、変わったお名前ですね」
もちろん、ここで名乗った名前は本名ではない。
この世界において、会社では会社で使う名前を新たに設定して名乗るのが習わしだ。本名がやたらと長ったらしい種族とやたら短い種族が入り交じった世界ならではのものである。
故に、この場で言う名前はコードネームみたいなもので、それを付けるのは基本的には自分自身である。
だから『メガネ』とか『ドラ子』とかの短くて適当な名前を付けるものも居れば『レッサーゴブリン』とか『ハイパーイケメン蝙蝠』とかのどういう気持ちでそれ付けた? と逆に尋ねたくなるものまでいる。
ドラ子の判定だと、トゲちゃんは後者だった。
「はい。我ながら良い名前だなと思ってます」
「んん?」
ドラ子の純粋な疑問は、何故かトゲちゃんの中で褒めた判定になった。
怪訝な表情をするドラ子を置き去りにして、トゲちゃんは語る。
「もともと本の虫っていう単語があるじゃないですか。そうです本ばっかり読んでる人のことです。私も自分のことそうだなって思います。より正確に言うならどこまでもどこまでもずっと本を求めてまして。だから腹ぺこなんです。とにかくそういう意味では本の虫って呼ばれるのは嫌いじゃないんですけど、なんですけどわたし紙魚虫の事は大嫌いなんですよ。紙魚って分かります? 古書とかを食い荒らす本の大敵です。だから腹ぺこの虫ではあるんですけど紙魚にはなりたくなくて。その時たまたまテレビでやってた虫がトゲトゲって言いましてもうそうするしかないと思って。もじって腹ぺこトゲムシなんです。我ながら良い名前ですよね」
「そうですね」
ドラ子は思考を放棄した。
世の中にはマトモに取り合うべき話題とそうでない話題がある。これは圧倒的に後者だった。
今の話で重要なのは彼女が本の虫であったという一点だけだ。
ドラ子は虚空を眺める慈愛の目を浮かべながら、トゲちゃんの言葉の大半を聞き流した。
その辺りでトゲちゃんも、自分が語り過ぎて来たことに気付く。
「あ、すいません私ちょっと落ち着きがないところがあって」
「そうですね」
「こら、ドラ子」
ハッと我に返ったトゲちゃんの言葉に思わず同意してしまったドラ子を、メガネが軽く諌めた。
「トゲちゃんが開発チームの中でも基本的には使えない側の人間で、唯一使える本棚関連においても特大の地雷を埋め込んだせいで腫れ物扱いされてるからって、言って良いことと悪いことがあるぞ」
「それ本当に擁護してます先輩?」
自分よりも明らかに言い過ぎな先輩の言葉に、思わずドラ子はトゲちゃんの表情を確認した。
よかった、特に効いてなさそうだった。
「それで、そのトゲちゃん先輩がなして私達に吶喊かますことになるんです?」
これ以上トゲちゃん独自のワールドに引き込まれていても仕方ないので、ドラ子はあまり聞きたくない話題であっても先に進めることにした。
即ち、どうして自分とメガネ先輩の間に斯様な噂が流れていて、それをトゲちゃんが突撃リサーチしてきたのかである。
トゲちゃんは一瞬「そうそうそれを聞きたかったの!」とでも言いたげに目を輝かせる、が、すぐに隣のメガネの顔を窺った。
「えっと、怒りませんか?」
「内容による」
「…………そこをなんとか」
「内容による」
先程の七味が記憶に新しいトゲちゃんは及び腰だったが、メガネは譲る気はなさそうだった。ゴーレム部長並の岩の意思である。
「えっと、それじゃあ、端的に言いますと、その……お二人が実は付き合っているのではないかという噂が、社内の一部で持ち上がっていまして」
「粛清する。ドラ子、手伝え」
「了解です」
「落ちついでください! お、落ち着いてください!」
こんな時だけ息ピッタリに腰を浮かせかけた二人を、トゲちゃんは慌てて静止した。
メガネは一瞬だけじろりをトゲちゃんを見たが、すとんと腰を落ち着かせた。
「まぁいい、どうしてそんな話になっている?」
「ええと、怒らないでくださいね?」
「内容による」
「…………」
自ら突っ込んだ死地であるのに、トゲちゃんはちょっと泣きそうな顔になっていた。
「その、実はメガネさんの『臣民』の間で、最近色々と噂になっていて」
「ちょっと待ってください」
当たり前に話を始めようとしたトゲちゃんに待ったをかけたのはドラ子だった。
というのも、まずこの回答には必要な前提条件の記載がない。ゴーレム部長だったら無慈悲な回答再作成である。
というのも。
「臣民ってなんですか?」
当たり前にでてきた単語だが、それは一般常識的な用語ではなさそうだった。
辞書的な意味では、君主の民とかそんなものだろうが、会社は君主ではないし、この世界にそういった意味での君主は居ない。
果たして、トゲちゃんはその前提条件をこともなしに語る。
「臣民は、メガネさんのファンユニオンの通称ですよ」
「ファンユニオン!? この鬼畜眼鏡に!?」
「おい」
思わず口走って先輩に睨まれるが、ドラ子はそんなこと気にしている余裕はなかった。
だってどう考えてもおかしい集団が存在していると言われたのだから。
「いったいどこのアンダーグランドな勢力が、メガネ先輩のファンに?」
「えっと、ドラ子さんはご存知なかったですか? 我が社の非公式人気投票でメガネさんは男性部門二位なんですよ。通称『皇帝』です」
「!???!?!!?!?」
非公式人気投票なる存在も初めて知ったが、それ以上に理解できない結果に、思わずドラ子は捲し立てた。
「ご存知ないなんてもんじゃないですよ。頭おかしいんじゃないですかそいつら? 確かに顔が良いのは認めますけど、性格がろくでもないですよ。例えば休日にデートに行ったとして急に『やる事できたから解散な』とか言い出しかねない男ですよこの眼鏡は」
「そこまで言いますか」
ドラ子の剣幕には、トゲちゃんも若干引き気味であった。
とはいえ、デートではなかったにせよ、一緒に遊びにいった魔王城にてなんやかんやで強制的に帰宅させられたのは記憶に新しいので、あながち間違いというわけでもない。
少なくとも、恋人よりも大切な何かのためにあっさりと恋人を切り捨てる姿だけは、ありありと想像できるメガネである。
「でもですね、実はそういう所が人気の秘訣だったりして」
「は?」
「人気投票の際に寄せられた声でも『冷たい目で見下されたい』とか『ちょっと本気で威圧されてみたい』とか『強めの口調で命令されたい』とか『誰にでも厳しい皇帝陛下万歳』とか『誰にでも厳しいメガネ先輩がふいに見せる優しさ以上の歓びはない』とか、特にそういった層から一定の支持を集めてまして」
「…………」
ドラ子は理解した。
この会社の女性社員、頭おかしい、と。
「ちなみに、ドラ子さんも実は本年度の『要注目の可愛い新入社員ランキング』で第四位に入ってましたよ」
「は? なんで私が一位じゃないんですか? ぶっころ?」
「そういうところが四位の理由だと思います」
トゲちゃんのやや冷ややかな目を無視してドラ子は思った。
女性社員だけじゃなくて、この会社の男性社員も頭おかしい説あるな、と。
ちなみに、要注目の可愛い新入社員ランキングで堂々の一位に輝いたのは白騎士(仮)であった。そのせいで保守サポート部はちょっとだけ男性社員から目の敵にされていた。
なお、現在同じアンケートを取ったらドラ子の順位が下がっているだろうことは言うまでもないだろう。
「で、トゲちゃんが胴元になってる怪しげな人気投票はどうでも良いから、その噂とやらはなんなんだよ」
それまで黙って話を聞いていたメガネが、一向に進まない本題に対して痺れを切らして切り込む。
地味に『トゲちゃん先輩が胴元!?』と驚いているドラ子を置いて、トゲちゃんはああそうでした、と頷きつつ話を戻す。
「そうですそうです。えっと、その、今から私が言う事はあくまで噂ですからね? 怒らないでくださいね?」
トゲちゃんは再度、予防線を張ろうとする。
メガネは相変わらず『内容による』という目線を崩さない。
これ以上の譲歩はどうあがいても存在しないと諦めたトゲちゃんは、その噂の内容をええいままよと口にした。
「実はですね。お二人が頻繁にデートをしているという類の目撃情報が、上がっておりまして」
「粛清する。ドラ子、手伝え」
「了解です」
「だから怒らないでって言ったじゃないですかぁ!?」
そのまま、とりあえず目の前の怪しい人物(腹ぺこトゲムシ)から手始めに粛清を開始しようとする二人に、必死で命乞いをするトゲちゃんであった。
ぎりぎり土曜日……です……
共通の敵に対する対応だけは息ぴったりなんですけどねこの二人。




