201 お問い合わせ『本棚の中身について』4
ちょっと長めです。
もともとの願いは、もっと些細なものだった。
全てが白紙の本で場所を埋める。それは確かにダンジョン管理術式としては十分な機能である。
それこそ、本の形をした装飾や小物入れもあるなかで、わざわざ白紙とはいえ紙の本を用意するというのは、基本無料の総合ダンジョン管理術式としては凝っているとすら言えた。
だが、それにどうしても納得できない者もいた。
『本からインクの匂いがしないのはおかしいじゃないか』
彼女は、組み上がった術式から生み出される白紙の本に向かって、そう言った。
否定の声は上がらない、代わりに苦笑いが浮かぶだけだ。
誰だって、彼女の言い分は分かる。
これは本の形ではあるが、どちらかと言えばメモ帳やノートといった類のものだろう。
どうにも安っぽい外観であるのも、なお、そういった筆記用具のような『軽さ』を印象づける要素であった。
だが、そう言われても、どうしろと言うのか? そう誰もが思う。
本は、無から生み出されるものではない。
本から香るインクの匂いとは、そのまま、本の持つ情報の量に繋がる。
そして、その書き込むべき情報をどう用意するのか、その具体的なプランをその場の誰も持っていなかった。
だから、彼女の要求は流された。
優先度が高くないから、一先ず置いておかれた。
やりたいのなら、業務時間外に趣味で作っても良いよ、なんて言われてしまった。
だから、一から十まで作ることにした。
誰もアドバイスをくれないなら、自分が作るしかない。
自分が欲しいと思うものを、作れるだけの機能を作ろうと思った。
普通なら、作ろうと思って作れるものでは無い筈だったが、彼女自身が知らなかった事実があった。
実は彼女は天才だったらしい。
最初は、特定の文字を焼き付けるだけの機能を。
次に、その文字をどこかから拾ってくる機能を。
次に、文字を書き込む本の表紙や紙質に拘れる機能を。
次に、次に、次に、次に、次に。
次に、ゼロから自動で文章を生成するAIを。
次に、次に、次に、次に、次に。
次に、学習すら自動で行うために、あらゆる文章へのアクセスを可能とするAIに。
次に、次に、次に次に次次次次次次次次次次次次、
そして。
「会社に『警察』が来た」
「!?」
「ダンジョン管理術式を隠れ蓑として、不正に機密情報にアクセスする術式を作成している容疑だった」
「!?!?」
そう、彼女は止まらなかった。
本人ですら気付かぬうちに覚醒してしまった天才は、誰にも知られずに、この世界の機密情報にすらアクセスして『文章』を学習するようなAIを作り上げていた。
そしてこの世界の『管理者側』は、巧妙に偽装されたその痕跡をどうにか辿って、この会社までやってきたのだ。
当然、会社はそんなものが作られているとは知らなかったし、作っている本人ですらそんなことになっているとは知らなかった。
そして悲しいことに、それを成し遂げたAIは、自分のホームでなら足跡を完璧に消し去る程度のことは平然とやってみせた。
「捜査は難航した」
「そりゃまぁ、犯人に犯罪を犯している自覚がないんですからね……」
術式のソースを全開示したところで、当然現行版に犯人は居ない。
であるならば、開発チームの作成中の術式を片っ端から見た所で犯人は居ない。
だって、既に完成した機能を個人が個人的に趣味で改良していただけだったから。
「で、そんな状況で唐突に犯人が見つかった」
「なぜ?」
「『警察』が漏らしていない筈の捜査状況を、AIが勝手に拾って来ていて、それを見た製作者がうっかり『警察』に進展を尋ねたから」
「ヒューマンエラーかな?」
そして『警察』の機密情報も餌場にしていた革命的AIは発見され、ついでにその製作者も発見された。
そこで改めて、本棚の術式についてが見直される結果となったのだ。
「その製作者の人は捕まったんですか?」
「いや、本人に犯罪を犯す意図が全く無かったのと、やらかしまくったAIが逆に機密情報をちらつかせて脅しに入ったから、司法取引の結果推定無罪となった」
「それ絶対にテロリストに屈しただけの形ですよねそれ」
「その代わり、AIにはいくつかの足枷が付けられることになったんだ。このおかげで、少なくともドラ子の質問に対する答えが出てくる」
「ほう?」
そしてようやく、話は最初のドラ子の疑問に戻って来たところだった。
そう、この世のありとあらゆる書籍を複製できるようなSolomonの本棚で、著作権の問題は発生しないのかという疑問に。
その答えは、こうだった。
「著作権的に問題があるような本を生成しようとしたら、自動で口座から書籍代が引き落とされるようになった」
「電子書籍サイトかな?」
そう、Solomonで勝手に書籍を作ると、ちゃんと権利者にお金が行くのである。
あとは、文章を読むのにハッキングが必要な部類の文章は、アウトプットできないようにもなった(こっちが多分本命)
「絶版になっている本とかでも、権利者に確認のメッセージが飛んで同意を得られればお金が送金される画期的なシステムだ」
「さっきの同人作家も、急に自分の本を『ダンジョンの中の本棚に飾りたいから売ってくれ』ってメッセージ来たらビビると思うんですよね」
「しかもその辺の諸々の手続は、本棚のAIが勝手に全部段取りしてくれる」
「もはやそのAIだけでSolomonよりすごいことできません?」
いったいどうなってるんだそのAIは、とドラ子は戦慄せざるを得ない。
とはいえ、だ。
一応、著作権の問題だけは、起きないようになっていることは分かった。
「あとぶっちゃけ、この世界と関係ない異世界の人間が異世界の中で本を複製したところで、知ったこっちゃ無いんだよね。法律違うし」
「まぁ、そうですよね」
そして、そもそもそれが問題になるのは、この世界と直接深い関わりのある世界までくらいなのだ。
世界を跨げば法則が違う。ましてや著作権など無い世界もあるだろう。
そんな世界で利用する分には、こちらとしては知った事か、という感じだった。
「と、そんなわけで一応ご利用いただく分には問題がないんだが」
「問題が見えなくなっただけですが、他にも何か?」
少なくとも、異世界で誰かの権利を侵害する問題は尽きることはなさそうだったが、それよりも大きな問題があるとでも言いたげな先輩であった。
「まさか放っておくと本棚のAIにダンジョン乗っ取られるとかです?」
ありそうだと思ったことを真っ先に尋ねた。
話を聞いている限り、AIはもはや超一流のサイバーテロ魔術師くらいのことはできる。
そんなAIを起こしてしまったが最後、並のダンジョンマスターだったらあっという間に実権を握られて、何も出来なくなってしまいそうだ。
「いや、その点に関しては問題無い。製作者が作ったオリジナル以外は、一部の機能がオミットされている。まぁ、オリジナルの時点で本と本棚に関すること以外は全く興味がないAIなんだがな」
「それがどうして機密情報にアクセスを?」
「そこに文章があったから……?」
「そんな登山くらいの感覚で気軽に不正アクセスするAIがあっていいんですか」
「実際にあったんだから仕方ない」
と、そもそも倫理観が存在しないが故にぶっ飛んでいるAIの問題はさておき、メガネはこの術式の根本的な問題を述べる。
「問題は、最初に言ったように、コストがめちゃくちゃ重いんだよ。現存するベストセラーとかならマシだけど、過去に存在していたけど今は残っていない歴史的古典なんかは、維持するだけで莫大な魔力が必要になる」
メガネの言葉にふむ? とドラ子は考える。
作り出すのに魔力コストが必要ということは、これらの本は魔力形成で作られるものなのだろう。
だが、魔力形成といえど、通常は作成時の負担が重くて、それ以降のランニングコストはそれほどではない、筈だ。
「どこでそんなコストが?」
「それは作者の拘りらしくてな」
製作者が本棚の術式を作成する際に、最初に考えたことがあった。
それは、製作者にとって、本とはどういったものか。
本は、書斎や図書室、図書館に篭って読むもので。
それが自分の物であれば、飲み物を零すとか、食べ物の食べかすが入るなど論外で。
ましてや、それを誰かに持ち去られて──借りパクされるなど殺しても許される所業である。
やや行き過ぎた考えだったが、その考えが一つの答えを生んだ。
「この馬鹿みたいな術式で作った本は全て魔力形成で、不変の状態を保つ為に馬鹿にならない維持コストがかかって、更にダンジョンの外に持ち出すと溶けてなくなるっていう塩梅だ」
「どんだけ自分の本をどうにかされるのが嫌なんですか?」
そう言って呆れたドラ子は、過去に漫画にジュースを零すような女であった。
「そして問題は、その状態の維持をAIが至上の命題と思っていて、術式の根幹を担っているところだな」
そもそも、不変なものなどこの世に存在しない。
傷つかないように保護するだけでも、それなりのコストはかかる。
というか、実現するには物質版不老不死とか、常に新しく生み出し続ける物質版フェニックスとか、そんな感じの術式になる。
それを本一冊、本棚全てで管理するとなれば、絶対に馬鹿にならない。
本一冊とその辺の野良ゴブリン1000匹が同じくらいのコストになるんじゃなかろうか(ドラ子のざっくりとした感覚)。
「というわけで、この術式については未だに正式採用されずに、さりとてそこまで言うならと、ひっそり切り替え可能な状態で眠っているということだ」
「うーん」
まだ色々と気になるところがある、というのがドラ子の本音だった。
はっきり言って、コストの重さを考慮しなければこの本棚の術式──というかAIだけオーパーツじみたぶっ飛び方をしている。
仮に顧客にこっちの術式をダメもとで提案してみるにしても、気楽に提案できるような代物とは思えない。
「先輩は、お客さんにこっちを紹介するべきだと思いますか?」
「思わない」
「それはなぜ?」
「だってこの本棚の術式、一度変更したら戻せないから」
「え!?」
衝撃的な発言であった。
そんな不可逆な出来事が、ダンジョン管理術式にあっていいのだろうか。
「正確には、一度AIを起動すると、そのAIがどうあっても消せない」
「なぜ?」
「逃げるから」
逃げるんだ。
ダンジョンマスターの削除から逃げるAIが居て良いんだ。
「そのAIが居る限り、ありとあらゆる手法をもって本棚と本を守ろうとする。それが行動原理だからな。だから、一度起動したが最後、ダンジョンの本と本棚はダンジョンマスターにも手が出せない聖域になって、移動はともかく削除は永久にできなくなる。まぁ、ダンジョン全部フォーマットするなら話は別だがな」
「流石に諸刃の剣すぎますか」
その製作者はいったいなんてものを生み出してしまったのでしょう。
むしろ、そんなヤバめのAIを曲がりなりにも管理できているなんて、他のスタッフの努力が窺える。
そうドラ子が感心していたところで、メガネはフッと乾いた笑みを浮かべた。
「言っておくがドラ子。俺達はそのAIを管理できてなどいないぞ」
「え?」
「足枷を付けたといったが、それは製作者がAIにお願いしてやらないようにしてもらっているだけだ。AIが本と本棚にしか興味がないから問題が発生していないだけで、俺達は常に爆弾と共に働いている」
「……まさかぁ」
ドラ子は先輩の言葉を、ジョークと受け取った。
さっき足枷を付けたと言ったけど、その口振りではそんなもの最初から関係ないかのような──
ピロン。
そう思っていたドラ子のデバイスに、一件の通知があった。
ドラ子が何気なくデバイスの方を見ると、そこにはチャットツールSlashへ、見知らぬ相手からの連絡が来ていた。
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アイ:初めまして。お仕事頑張ってね♪(byアイちゃんから愛を込めて)
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ドラ子はギギギと音が出そうなくらいぎこちなく先輩を見た。
メガネは乾いた笑いを浮かべたまま、言った。
「ま、あんまり怒らせないようにな」
メガネがずっと渋い顔をしているのはこのAIが苦手だからです。
なぜ苦手かというとこのAIが教えてないのにメガネの素性に勝手にたどり着いた唯一の存在だからです。




